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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 通説編 第二巻 (上海における日本昆布会社の営業)

上海における日本昆布会社の営業 他方、昆布の輸出先となる上海の営業状況をみると、初めて輸出する明治22,  (1)日本昆布会社は北海道で集荷した清国向け昆布総ての輸出取扱いを三井物産会社に委託,(2)昆布の商談には日本昆布会社の主任が当たるが、その際必ず三井物産上海支配人に協議すること。,(4)三井物産会社は、日本昆布会社が輸出する昆布1万石までに対して、上海相場で概算して7分の前貸金を承諾,し、その内から運賃諸掛り立替金を引き去り、函館日本昆布会社に送金すること。 / 上海における日本昆布会社の営業
函館市史 通説編 第二巻 (日本昆布会社開業後の昆布取引)

日本昆布会社開業後の昆布取引 明治22年5月、前述した昆布会社と連合組合との契約要領に基づき、最初の,   表6-34 明治23年日本昆布会社より各組合への前貸金高 組合名 前貸金額 貸付度数,表6-34 明治23年日本昆布会社より各組合への前貸金高  前貸金については、組合全体が連帯責任を負,   表6-35  日本昆布会社の昆布購入価格の推移 種別 明治21 明治22 明治,』)、過去数年間低迷していた昆布の産地価格や需要地の価格が、連合組合と日本昆布会社による一元集荷と直輸出 / 日本昆布会社開業後の昆布取引
函館市史 通説編 第二巻 (日本昆布会社の解散)

日本昆布会社の解散 このように、連合組合と昆布会社の矛盾対立が深まる中で、会社の経営は一層悪化した。,ヲナスコト能ハスシテ不幸ニモ会社自身ニ於テ生産者トノ契約ヲ破ラサルヘカラサルニ至レリ… (前出『日本昆布業資本主義史,この結果、昆布の生産者価格の維持、流通過程における清国商人の排除を目的に組織された日本昆布会社と連合組合 / 日本昆布会社の解散
函館市史 通説編 第二巻 (日本昆布会社の設立と昆布生産者連合組合の結成)

日本昆布会社の設立と昆布生産者連合組合の結成 昆布諮問会開催の翌22年、道庁は、諮問会の答申を受けて,新会社は、22年5月、社名を日本昆布会社(後に日本昆布株式会社)と称し、資本金50万円(1株50円)、,し、協議不成立の際は日本昆布会社の委託し清国に直接輸出することなどが決められている。  ,  1.連合組合の生産する昆布は総て日本昆布会社に販売すること。,3.価格協議不成立の場合は日本昆布会社に販売を委託すること。 / 日本昆布会社の設立と昆布生産者連合組合の結成
函館市史 通説編 第一巻 (箱館六箇場所の和人)

採取季節については、「春はソウマイ昆布と申し三~四月頃は最中、本昆布は六、七月より外、法度に御座候」(,なおソウマイというのは棹前という意味で、本昆布は多く棹で採るところから、いわゆる季節前の若生いを採ることをいった
函館市史 通説編 第二巻 (カンカン料の廃止の要求)

(2)付け昆布の全廃  これは無代価にて見本昆布を清商に与えていたものである。,見本昆布は廃止。,に権衡は買主のものを用いる、5斤飛は従来通り実施、カンカン量は1000分の5を100分の1とする、見本昆布
函館市史 通説編 第一巻 (税制改革)

が居ながら採取する時は同2匁、鱈取船役は、泉沢より亀田まで1隻に付金4匁、汐首以北へ昆布取に行く時は本昆布
函館市史 通説編 第一巻 (昆布の種類)

昆布の種類 この地方の昆布は真昆布といい、また本昆布ともいわれ、その産地は西はいまの上磯郡から東は内浦湾
南茅部町史 上巻 (宇賀昆布)

ほんぞうわみょう)」三巻には、一名比呂女(ひろめ)、衣比須女(えびすめ)とその語源が記されている(稲垣美三雄編・日本昆布大観
椴法華村史 (昆布収穫税)

一、汐くびより下え昆布取ニ相越候者共、本昆布四駄宛人別の役右書出候。役金弐匁の代り相納候事。   
函館市史 通説編 第二巻 (明治後期の昆布貿易)

22,163 100.0 100.0 100.0 100.0  左欄:千斤、右欄:%  『日本昆布大観
函館市史 別巻 亀田市編 (享保年間の覚書)

一 汐くびより下え昆布取ニ相越候者共、本昆布四駄宛人別の役右書出候。役金弐匁の代り相納候事。   
函館市史 銭亀沢編 (マコンブと昆布食の歴史)

1989)によれば、最初にマコンブの和名を付けたのは宮部金吾博士によるようで、水産上は「ホンコンブ」(本昆布
函館市史 銭亀沢編 (文献)

分布24」『海洋と生物』68 大石圭一(1987)『昆布の道』 羽原又吉(1940)『支那輸出日本昆布業資本主義史
南茅部町史 上巻 (戦後の昆布市場)

日本昆布協会が設立される。  昭和四八年、石油ショックがあった。
函館市史 通説編 第二巻 ([目次])

一 明治後期の外国貿易の概況…762    外国貿易の新たな展開/明治後期の昆布貿易   二 日本昆布会社,の設立…766    清国市場視察と昆布諮問会/日本昆布会社の設立と昆布生産者連合組合の結成/日本昆布会社開業後,の昆布取引/上海における日本昆布会社の営業/直立会議における昆布会社と組合側の対立/昆布会社の営業方針,の転換/日本昆布会社の解散  第五節 商業機関の整備と米穀塩海産物取引所の成立…788   一 商業機関
函館市史 通説編 第二巻 (直立会議における昆布会社と組合側の対立)

直立会議における昆布会社と組合側の対立 このようにして日本昆布会社の営業においても成功を収め、23年,   表6-36 日本昆布会社第1・2実際報告書 1.負債資産勘定 借方(負債の部)
函館市史 通説編 第二巻 (昆布会社の営業方針の転換)

船数人夫ヲ減シ、若シクハ前借金連帯責任ヲ脱センカ為メ中途廃業シ他人ヲシテ其義務ヲ果サシム」(前出『日本昆布業資本主義史,えることになるが、特に昆布流通に最も深い拘わりいもつ、海運、回漕、港湾荷役関係業者24名は、翌25年5月、日本昆布会社
南茅部町史 上巻 (昆布市場視察)

               尾札部産の上品は僅少                小売・百匁四、五〇銭位 広島市 辻本昆布問屋
函館市史 通説編 第二巻 (北海道共同商会の設立)

共同商会は、広業商会の再生ともいうべき日本昆布会社が設立されるまで、その空白を埋める役割を果たしたかも
函館市史 通説編 第二巻 (清国市場視察と昆布諮問会)

函館商人ヨリ貸シ渡シタル金ハ多キハ一家一万四五千円、少キモ三四十円モアリ云々」(羽原又吉『支那輸出日本昆布業資本主義史
南茅部町史 上巻 (【資料】松前福山諸掟)

畑蒔候共給所同然之事、其外薪川流追昆布鮫鱈取候者は大目の百姓同然之事  8一、汐くひより下江昆布取ニ相越候者共、本昆布四駄宛人別之役右書出候役金弐匁之代
南茅部町史 上巻 (漁業協同組合のあゆみ)

手持不足で一万函買入           木直漁協、一粒カキの企業化試験           日本昆布協会付道営水産物検査
恵山町史 (4、江戸時代の昆布漁)

東在木古内から汐首までの役は亀田支配の漁民が居ながら取るものは倍、汐首から下(東)へ昆布取りに行くものは本昆布四駄
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