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函館市史 通説編 第一巻
(杉浦嘉七の埋立)
杉浦
嘉七
の埋立
杉浦
嘉七
は場所請負人で用達をも務め、水産物はもちろん釧路産の石炭をはじめその他取扱い /
杉浦
嘉七
の埋立
函館市史 通説編 第一巻
(鶴岡町海面埋立と蓬莱町排水)
そして一方には産物会所用達
杉浦
嘉七
、山田寿兵衛外1名組合に換地を与えるため、鶴岡町の海面5,190余坪
函館市史 銭亀沢編
([儀礼伝承の定着と混合])
であるといえるが、安政年間に町年寄の蛯子七左衛門が箱館奉行に対して提出した「箱館風俗書」並びに、その後に
杉浦
嘉七
函館市史 通説編 第一巻
(物価高と庶民への影響)
それがため昆布産地の請負人や市中商人などは一時的な好況によって利益を得、
杉浦
嘉七
、小林重吉、佐野孫右衛門
函館市史 通説編 第一巻
(各会所用達)
各会所用達 各会所には、掛役人のほかに用達を置いたが、箱館会所の用達元〆として福島屋
杉浦
嘉七
が充てられた
函館市史 通説編 第二巻
(区会議員選挙と臨時区会)
141 枚田藤五郎 109 林字三郎 90 工藤弥兵衛 90 石田啓蔵 58 4 安浪治郎吉 187
杉浦
嘉七
,年以上間断なく寄留する者 2月5日には議員互選による議長副議長の選挙が行われ、議長に
杉浦
嘉七
,当日の出席議員は19人で議長
杉浦
嘉七
は商用で東京に行っており、副議長の安浪次郎吉が議長を務めた。,15.1 小野亀吉 米谷権右衛門 中村市兵衛 佐久間市五郎 和田元右衛門 村田駒吉 成田
嘉七
,補選 15.5 15.7 枚田藤五郎 西村利光 枚田藤五郎 西村本次郎 石田啓蔵 成田
嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(可愛良集)
抱月亭の「亭主」はゆかりや色香(
杉浦
嘉七
)、「番頭」が我もの傘雪(岡野敬胤)、「居候」がくさのや酔庵(,この3人とも『巴珍報』の創刊以来のメンバーであり、『可愛良集』も
杉浦
と岡野が執筆し、平福が挿画を描いていた
函館市史 通説編 第二巻
(管内説諭)
前述の「被仰出書」を受けて函館支庁は、区中へ「管内説諭」(
杉浦
家文書・明治8年「御布令」)を達して、就学,説諭し、学校新設に尽力するなど、区内の学事を世話する「学務世話係」が置かれ、8年3月戸長の白鳥衡平・
杉浦
嘉七
函館市史 通説編 第一巻
(絵画)
弘化年間箱館に来た平沢屏山は、奥州稗貫郡大迫村の人で、はじめ絵馬を描いて糊口をしのいでいたが、福島屋
杉浦
嘉七
,に見いだされ、
嘉七
の請負場所である日高や十勝へつれて行かれ、アイヌの実生活を観察することができた。
函館市史 通説編 第二巻
(設立の背景)
14年6月18日常野正義、
杉浦
嘉七
、田中正右衛門、村田駒吉、泉藤兵衛、金沢弥惣兵衛、高橋七十郎、宮路助三郎,らの大半は函館の有力商人であるが、区政のリーダー格の常野正義、第百十三国立銀行の役員で区会議員でもある
杉浦
,
杉浦
や田中のような旧特権的商人は別にして、彼らの大半が明治期に台頭してきた新興階層であった。
函館市史 通説編 第二巻
(経済力と土地所有)
との関連 氏名 M9 頃 大区別土地所有(坪) M21住所と財産額(円) M26 住所と業種
杉浦
嘉七
,東浜町 和洋酒商 東浜町 物産商 氏名 M26 地区別土地所有 (坪)
杉浦
嘉七
, 122 氏 名 M36 地区別土地所有 (坪) M39住所と所得税額(円)
杉浦
嘉七
,まず
杉浦
嘉七
は明治18年から同26年の間に「市中ノ景気モ駸々乎トシテ繁盛ノ域ニ進ミ地価モシダイニ騰貴シ, 函館区多額納税者調 氏 名 地 租 営 業 税 計(円) 渡辺熊四郎 相馬哲平
杉浦
嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(印刷所北溟社の誕生)
杉浦
嘉七
、常野与兵衛、魁文社、佐野専左衛門、藤野喜兵衛、渡辺熊四郎、今井市右衛門、浜時藏,伊藤鋳之助 資金収集の目途もついた翌10年3月10日、戸長の井口嘉八郎をはじめ、
杉浦
嘉七
,東京からこの件の問い合わせを受けた函館支庁の責任者である
杉浦
3等出仕は、「至当ノ義ニ付小官ニ於テモ同意
函館市史 通説編 第二巻
(北海道共同商会の設立)
定款にしたがい、
杉浦
嘉七
以下11名を取締役に選出し、その互選によって田中正右衛門を頭取に推挙し、取締役,設立発起人には、
杉浦
嘉七
、長谷川直則、山田慎、田中正右衛門、村田駒吉、野村正三、栖原小右衛門、佐野定七,筆頭株主
杉浦
嘉七
の72株は、全体の3.6パーセント、10大株主の持株率も28.4パーセントにすぎず、多数株主
函館市史 通説編 第一巻
(洋銀引替所)
万両とし、外国人に対する引替えは先例によるべき旨が達せられたので、万延元年、佐藤忠兵衛、山田寿兵衛、
杉浦
嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(北海道運輸会社設立の動き)
最初の事件報道があった8月10日、
杉浦
嘉七
、佐野専左衛門、田中正右衛門、小林重吉、藤野喜兵衛、常野正義, 表2-56 北海道運輸会社発起人 氏名 記号 氏名 記号 氏名 記号 杉滞
嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(札幌、函館2つの請願)
請願書提出の手続に及びしに之に少しく後れて函館にても同一線路に対し園田実徳氏を首とし阿部興人、渡辺熊四郎、
杉浦
嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(共同運輸会社の成立)
と政府からは品川が中心となり行われたが、16年4月の株主の名簿には藤野喜兵衛、高橋七十郎、園田実徳、
杉浦
嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(貯蓄銀行条例と函館貯蓄銀行の設立)
; 函館貯蓄銀行
杉浦
知茂氏提供,頭取は田中正右衛門、取締役は渡辺熊四郎、
杉浦
嘉七
、監査役相馬哲平、広谷源治であった(「北海道銀行概略」
函館市史 通説編 第二巻
(共同運輸系ステベ)
発起人
杉浦
嘉七
、常野正義、園田実徳(函館支店長)ら函館の有力政財界人の総力をあげて創立した海運会社である
南茅部町史 下巻
(〔資料〕)
市立函館図書館所蔵) 諸産物御取開 未十二月七日評決 一
杉浦
嘉七
義金銀山並諸産物御取開初年,シ候ニ付右二割残金之分ハ染金ニ相成候間右ヲ以支払候事 但当時諸品物トモ
杉浦
嘉七
,被下候事 申三月廿八日評決 一金銀山仕送リ御用品之義松浦
嘉七
椴法華村史
(椴法華近村と通信の充実)
村垣淡路守公務日記之九』 三月廿日、快晴(根田内村へ到着宿泊の部分) 一、良輔箱館江着、
杉浦
嘉七
宅旅宿之由
函館市史 通説編 第二巻
(定期船・不定期船と営業倉庫)
開拓使系の「堀基主唱となり、
杉浦
嘉七
、常野正義、園田実徳ら発起人となって政府所有の船舶貸下げの許可を得
函館市史 通説編 第二巻
(函館商人の系譜)
明治21年の住所 近世(系譜) 明治初年~明治10年代 明治20年~30年代
杉浦
嘉七
,商人」(『地域史研究はこだて』第4号)より 財産額6000円以上の最上位の6名は、
杉浦
,
杉浦
が浦河、様似など、藤野が網走、斜里など、栖原が増毛、宗谷などの諸郡の漁場持に任じられ、場所請負制期,の家政改革名義変更問題をのりきり、明治20年代には缶詰業、汽船海運業、倉庫業、等々に進出しているし、
杉浦
嘉七
,石塚弥太郎 前田嘉左衛門 平出喜三郎 鳥海義暎 駒井弥兵衛 岡本康太郎 保田七蔵 工藤
嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(幕末期の埋立)
山田寿兵衛、大津屋茂吉との5500坪(たて50間、横100間)埋立、島野市郎治の地蔵町1715坪埋築、
杉浦
嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(育児会社)
「奇特ノ義ニ付、右入費ノ内ヘ今般金五百両下ケ渡、育児会社差許候」と結社を認可、社長に槙山淳道、副社長
杉浦
嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(区会による常備倉払下げ運動)
この時議長
杉浦
嘉七
他23人の区会議員は、函館区民総代の肩書で「常備倉御払下願」書を函館支庁へ提出した。
函館市史 通説編 第二巻
(肩書調査)
また、
杉浦
嘉七
、泉藤兵衛、田中正右衛門、常野正義ら市内の有力者も仲介に奔走し、「向後斯様の不適当なる事
函館市史 通説編 第二巻
(函館商工会の設立)
第百十三国立銀行頭取 明治二十二年四月廿四日
杉浦
嘉七
,6月7日には総会を開いて役員選挙を実施し、会頭に
杉浦
嘉七
、副会頭に園田実徳、幹事には工藤弥兵衛、遠藤吉平,明治23年 明治24年 明治25年 明治26年 明治27年 明治28年 明治29年3月迄 会頭
杉浦
嘉七
,
杉浦
嘉七
常野正義 平出喜三郎 遠藤吉平 小川幸兵衛 小川幸兵衛 小川幸兵衛 副会頭 園田実徳
函館市史 通説編 第二巻
(第百十三国立銀行の設立)
杉浦
嘉七
杉浦
茂氏蔵 その後開拓使の意向が函館支庁を通じて、地元有力者側に伝られたようである,銀行設立に向けて、中心的役割を担った人々は、泉藤兵衛、村田駒吉、田中正右衛門、小林重吉、
杉浦
嘉七
などであった,というものもいなかったが、主として村田、泉の両名が中心となって設立準備が進められ、田中、小林は出金高が多く、
杉浦
,#160; 脇坂 平吉
杉浦
,
嘉七
右願書名アテノ儀心得
函館市史 通説編 第二巻
(五稜郭の築造)
なお、五稜郭の築造にかかわった請負人は、箱館御役所附御用達の佐藤忠兵衛・山田寿兵衛・
杉浦
嘉七
、箱館御用取扱北蝦夷地御直場所差配人元締
函館市史 通説編 第二巻
(招魂社の祭りと競馬)
その始期については史料的に俄に断定できないが、
杉浦
嘉七
の作とされる「函館風俗補拾」(『函館市史』史料編
函館市史 通説編 第二巻
(東京風帆船会社と宮路助三郎)
宮路に歩調を合わせるように函館では高橋七十郎、小林重吉が風帆船会社の発起人に加わり、後に
杉浦
嘉七
、田中正右衛門
函館市史 通説編 第一巻
(取締港則)
そのため箱館奉行は佐藤忠兵衛、山田寿兵衛、
杉浦
嘉七
の用達を指定し、これを取り扱わせたが、この3人は不慣
函館市史 別巻 亀田市編
(東照宮の建立と焼失・遷座)
元ハ上山村ナリシモ改メテ大神ノ鎮座ヨリ神山村ト称ス 御用達
杉浦
嘉七
ヨリ数百両御宮御造営ニ献納ス。
函館市史 通説編 第二巻
(町年寄・名主の廃止)
蛯子友輔 免 佐藤半兵衛 任 蛯子砥平 松代伊兵衛 佐藤伝四郎 注9
杉浦
忠三郎,注10 松代伊兵衛 佐藤伝四郎
杉浦
忠三郎 伊藤重兵衛 五十嵐少輔,道文蔵) 注9 慶応2年7月21日半兵衛より改名(前掲「御触書写」) 注10 先代目(2代目)
杉浦
嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(会社組織と株式募集)
社長の堀は就任後しばしば上京し中央での動きが目立つが、会社の実際経営は経済動向に熟知していた
杉浦
らの会議員,100 100 100 100 100 100 堀基 園田実徳
杉浦
嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(明治以降の埋立)
市民自費を以て埋築 6.10 船匠島野市郎次、造船所設置のため、西浜町の海汀915坪余埋立 8.10
杉浦
嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(公立小学校の開校)
この状況をみた学務世話係の
杉浦
嘉七
は、9年8月、内澗町51の私宅と土蔵を地代7年間無料で校舎に提供したいと
函館市史 通説編 第二巻
(弁天台場の築造)
なお、同台場築造に関係した請負人は、五稜郭と同じく箱館の佐藤忠兵衛、山田寿兵衛、
杉浦
嘉七
、越後の松川弁之助
函館市史 通説編 第二巻
(開拓使の廃止と3県設置)
そこで、最初に汽船と倉庫の払下げを出願した36人の内、
杉浦
嘉七
、小林重吉、常野正義、藤野喜兵衛、田中正右衛門
函館市史 通説編 第二巻
(町区総代人制の導入)
大区 1小区 鰪澗 鰭横 神明 仲町 ○ 石田四郎右衛門 ○ 成田
嘉七
, ○ 浜時蔵 ○ 松代良吉 5小区 内澗 東浜 ○ 白鳥宇兵衛
杉浦
嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(脱走軍支配下の箱館)
10日の項に「市中一万金借貸ノ話アリ、亦タ可笑(翌十一日に金一件年寄ヘ談、都テ了解)」とあり、この時
杉浦
嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(会所用達)
(田中治郎左衛門、榎本六兵衛、林留右衛門、渡辺治右衛門、栖原角兵衛、笠野熊吉)および函館の富商3名(
杉浦
嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(肥田浜五郎の調査)
一方用地買収の対象地にあげられた幸町の地主
杉浦
嘉七
は売却に応じようとしたが、幸町の居住者から移転反対の
函館市史 通説編 第二巻
(政府首脳への請願)
この変更に対し、函館市民は29日、
杉浦
嘉七
、常野正義、田中正右衛門、杉野源次郎、渋田利右衛門、常野嘉兵衛
函館市史 通説編 第二巻
(郡区経費分離問題)
函館支庁は、まず
杉浦
嘉七
議長ほか数名の議員を呼出し、函館市民の税負担の現況調査の提出を要求、堪えがたい
函館市史 通説編 第二巻
(戸長の公選)
氏名 投票数 氏名 40 33 ※31 29 25 24 22 19 安浪次郎吉
杉浦
嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(都市空間拡大の要因とその様相)
醸し候儀は相違も無之」(「幸町埋立関係文書」『函館市史』史料編第2巻)と弁天町有志らの願いを受けて、
杉浦
嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(巴珍報)
当時の豪商
杉浦
嘉七
も由縁舎色香(ゆかりやいろか)という雅号を用いて毎号のように多くの作品を寄せているし
函館市史 通説編 第二巻
(地蔵町築出地の居留地化)
もうひとつは、
杉浦
嘉七
などの商人による埋立地の代替地として鶴岡町に新規に5100坪余の埋立を3180両
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