機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
函館市/函館市地域史料アーカイブ
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 59件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 2ページ
函館市史 通説編 第一巻
(杉浦嘉七の埋立)
杉浦嘉七
の埋立
杉浦嘉七
は場所請負人で用達をも務め、水産物はもちろん釧路産の石炭をはじめその他取扱い /
杉浦嘉七
の埋立
函館市史 通説編 第一巻
(鶴岡町海面埋立と蓬莱町排水)
そして一方には産物会所用達
杉浦嘉七
、山田寿兵衛外1名組合に換地を与えるため、鶴岡町の海面5,190余坪
函館市史 銭亀沢編
([儀礼伝承の定着と混合])
であるといえるが、安政年間に町年寄の蛯子七左衛門が箱館奉行に対して提出した「箱館風俗書」並びに、その後に
杉浦嘉七
函館市史 通説編 第一巻
(物価高と庶民への影響)
それがため昆布産地の請負人や市中商人などは一時的な好況によって利益を得、
杉浦嘉七
、小林重吉、佐野孫右衛門
函館市史 通説編 第一巻
(各会所用達)
各会所用達 各会所には、掛役人のほかに用達を置いたが、箱館会所の用達元〆として福島屋
杉浦嘉七
が充てられた
函館市史 通説編 第二巻
(北海道共同商会の設立)
定款にしたがい、
杉浦嘉七
以下11名を取締役に選出し、その互選によって田中正右衛門を頭取に推挙し、取締役,設立発起人には、
杉浦嘉七
、長谷川直則、山田慎、田中正右衛門、村田駒吉、野村正三、栖原小右衛門、佐野定七,筆頭株主
杉浦嘉七
の72株は、全体の3.6パーセント、10大株主の持株率も28.4パーセントにすぎず、多数株主
函館市史 通説編 第一巻
(洋銀引替所)
万両とし、外国人に対する引替えは先例によるべき旨が達せられたので、万延元年、佐藤忠兵衛、山田寿兵衛、
杉浦嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(経済力と土地所有)
との関連 氏名 M9 頃 大区別土地所有(坪) M21住所と財産額(円) M26 住所と業種
杉浦嘉七
,東浜町 和洋酒商 東浜町 物産商 氏名 M26 地区別土地所有 (坪)
杉浦嘉七
, 122 氏 名 M36 地区別土地所有 (坪) M39住所と所得税額(円)
杉浦嘉七
,まず
杉浦嘉七
は明治18年から同26年の間に「市中ノ景気モ駸々乎トシテ繁盛ノ域ニ進ミ地価モシダイニ騰貴シ, 函館区多額納税者調 氏 名 地 租 営 業 税 計(円) 渡辺熊四郎 相馬哲平
杉浦嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(区会議員選挙と臨時区会)
141 枚田藤五郎 109 林字三郎 90 工藤弥兵衛 90 石田啓蔵 58 4 安浪治郎吉 187
杉浦嘉七
,年以上間断なく寄留する者 2月5日には議員互選による議長副議長の選挙が行われ、議長に
杉浦嘉七
,当日の出席議員は19人で議長
杉浦嘉七
は商用で東京に行っており、副議長の安浪次郎吉が議長を務めた。
函館市史 通説編 第二巻
(印刷所北溟社の誕生)
杉浦嘉七
、常野与兵衛、魁文社、佐野専左衛門、藤野喜兵衛、渡辺熊四郎、今井市右衛門、浜時藏,伊藤鋳之助 資金収集の目途もついた翌10年3月10日、戸長の井口嘉八郎をはじめ、
杉浦嘉七
函館市史 通説編 第一巻
(絵画)
弘化年間箱館に来た平沢屏山は、奥州稗貫郡大迫村の人で、はじめ絵馬を描いて糊口をしのいでいたが、福島屋
杉浦嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(管内説諭)
説諭し、学校新設に尽力するなど、区内の学事を世話する「学務世話係」が置かれ、8年3月戸長の白鳥衡平・
杉浦嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(札幌、函館2つの請願)
請願書提出の手続に及びしに之に少しく後れて函館にても同一線路に対し園田実徳氏を首とし阿部興人、渡辺熊四郎、
杉浦嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(可愛良集)
抱月亭の「亭主」はゆかりや色香(
杉浦嘉七
)、「番頭」が我もの傘雪(岡野敬胤)、「居候」がくさのや酔庵(
函館市史 通説編 第二巻
(共同運輸会社の成立)
と政府からは品川が中心となり行われたが、16年4月の株主の名簿には藤野喜兵衛、高橋七十郎、園田実徳、
杉浦嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(共同運輸系ステベ)
発起人
杉浦嘉七
、常野正義、園田実徳(函館支店長)ら函館の有力政財界人の総力をあげて創立した海運会社である
函館市史 通説編 第二巻
(定期船・不定期船と営業倉庫)
開拓使系の「堀基主唱となり、
杉浦嘉七
、常野正義、園田実徳ら発起人となって政府所有の船舶貸下げの許可を得
椴法華村史
(椴法華近村と通信の充実)
村垣淡路守公務日記之九』 三月廿日、快晴(根田内村へ到着宿泊の部分) 一、良輔箱館江着、
杉浦嘉七
宅旅宿之由
函館市史 通説編 第二巻
(幕末期の埋立)
山田寿兵衛、大津屋茂吉との5500坪(たて50間、横100間)埋立、島野市郎治の地蔵町1715坪埋築、
杉浦嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(北海道運輸会社設立の動き)
最初の事件報道があった8月10日、
杉浦嘉七
、佐野専左衛門、田中正右衛門、小林重吉、藤野喜兵衛、常野正義
函館市史 通説編 第二巻
(区会による常備倉払下げ運動)
この時議長
杉浦嘉七
他23人の区会議員は、函館区民総代の肩書で「常備倉御払下願」書を函館支庁へ提出した。
函館市史 通説編 第二巻
(設立の背景)
14年6月18日常野正義、
杉浦嘉七
、田中正右衛門、村田駒吉、泉藤兵衛、金沢弥惣兵衛、高橋七十郎、宮路助三郎
函館市史 通説編 第二巻
(肩書調査)
また、
杉浦嘉七
、泉藤兵衛、田中正右衛門、常野正義ら市内の有力者も仲介に奔走し、「向後斯様の不適当なる事
函館市史 通説編 第二巻
(育児会社)
「奇特ノ義ニ付、右入費ノ内ヘ今般金五百両下ケ渡、育児会社差許候」と結社を認可、社長に槙山淳道、副社長
杉浦嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(函館商工会の設立)
第百十三国立銀行頭取 明治二十二年四月廿四日
杉浦嘉七
,6月7日には総会を開いて役員選挙を実施し、会頭に
杉浦嘉七
、副会頭に園田実徳、幹事には工藤弥兵衛、遠藤吉平,明治23年 明治24年 明治25年 明治26年 明治27年 明治28年 明治29年3月迄 会頭
杉浦嘉七
,
杉浦嘉七
常野正義 平出喜三郎 遠藤吉平 小川幸兵衛 小川幸兵衛 小川幸兵衛 副会頭 園田実徳
南茅部町史 下巻
(〔資料〕)
市立函館図書館所蔵) 諸産物御取開 未十二月七日評決 一
杉浦嘉七
義金銀山並諸産物御取開初年,シ候ニ付右二割残金之分ハ染金ニ相成候間右ヲ以支払候事 但当時諸品物トモ
杉浦嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(五稜郭の築造)
なお、五稜郭の築造にかかわった請負人は、箱館御役所附御用達の佐藤忠兵衛・山田寿兵衛・
杉浦嘉七
、箱館御用取扱北蝦夷地御直場所差配人元締
函館市史 通説編 第二巻
(東京風帆船会社と宮路助三郎)
宮路に歩調を合わせるように函館では高橋七十郎、小林重吉が風帆船会社の発起人に加わり、後に
杉浦嘉七
、田中正右衛門
函館市史 通説編 第二巻
(招魂社の祭りと競馬)
その始期については史料的に俄に断定できないが、
杉浦嘉七
の作とされる「函館風俗補拾」(『函館市史』史料編
函館市史 通説編 第二巻
(貯蓄銀行条例と函館貯蓄銀行の設立)
頭取は田中正右衛門、取締役は渡辺熊四郎、
杉浦嘉七
、監査役相馬哲平、広谷源治であった(「北海道銀行概略」
函館市史 別巻 亀田市編
(東照宮の建立と焼失・遷座)
元ハ上山村ナリシモ改メテ大神ノ鎮座ヨリ神山村ト称ス 御用達
杉浦嘉七
ヨリ数百両御宮御造営ニ献納ス。
函館市史 通説編 第一巻
(取締港則)
そのため箱館奉行は佐藤忠兵衛、山田寿兵衛、
杉浦嘉七
の用達を指定し、これを取り扱わせたが、この3人は不慣
函館市史 通説編 第二巻
(弁天台場の築造)
なお、同台場築造に関係した請負人は、五稜郭と同じく箱館の佐藤忠兵衛、山田寿兵衛、
杉浦嘉七
、越後の松川弁之助
函館市史 通説編 第二巻
(明治以降の埋立)
市民自費を以て埋築 6.10 船匠島野市郎次、造船所設置のため、西浜町の海汀915坪余埋立 8.10
杉浦嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(公立小学校の開校)
この状況をみた学務世話係の
杉浦嘉七
は、9年8月、内澗町51の私宅と土蔵を地代7年間無料で校舎に提供したいと
函館市史 通説編 第二巻
(開拓使の廃止と3県設置)
そこで、最初に汽船と倉庫の払下げを出願した36人の内、
杉浦嘉七
、小林重吉、常野正義、藤野喜兵衛、田中正右衛門
函館市史 通説編 第二巻
(脱走軍支配下の箱館)
10日の項に「市中一万金借貸ノ話アリ、亦タ可笑(翌十一日に金一件年寄ヘ談、都テ了解)」とあり、この時
杉浦嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(肥田浜五郎の調査)
一方用地買収の対象地にあげられた幸町の地主
杉浦嘉七
は売却に応じようとしたが、幸町の居住者から移転反対の
函館市史 通説編 第二巻
(会所用達)
(田中治郎左衛門、榎本六兵衛、林留右衛門、渡辺治右衛門、栖原角兵衛、笠野熊吉)および函館の富商3名(
杉浦嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(政府首脳への請願)
この変更に対し、函館市民は29日、
杉浦嘉七
、常野正義、田中正右衛門、杉野源次郎、渋田利右衛門、常野嘉兵衛
函館市史 通説編 第二巻
(函館商人の系譜)
明治21年の住所 近世(系譜) 明治初年~明治10年代 明治20年~30年代
杉浦嘉七
,の家政改革名義変更問題をのりきり、明治20年代には缶詰業、汽船海運業、倉庫業、等々に進出しているし、
杉浦嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(郡区経費分離問題)
函館支庁は、まず
杉浦嘉七
議長ほか数名の議員を呼出し、函館市民の税負担の現況調査の提出を要求、堪えがたい
函館市史 通説編 第二巻
(地蔵町築出地の居留地化)
もうひとつは、
杉浦嘉七
などの商人による埋立地の代替地として鶴岡町に新規に5100坪余の埋立を3180両
函館市史 通説編 第二巻
(都市空間拡大の要因とその様相)
醸し候儀は相違も無之」(「幸町埋立関係文書」『函館市史』史料編第2巻)と弁天町有志らの願いを受けて、
杉浦嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(戸長の公選)
氏名 投票数 氏名 40 33 ※31 29 25 24 22 19 安浪次郎吉
杉浦嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(会社組織と株式募集)
100 100 100 100 100 100 堀基 園田実徳
杉浦嘉七
函館市史 通説編 第二巻
(巴珍報)
当時の豪商
杉浦嘉七
も由縁舎色香(ゆかりやいろか)という雅号を用いて毎号のように多くの作品を寄せているし
函館市史 通説編 第二巻
(商人による社会資本の投下)
また明治10、20年代を通して
杉浦嘉七
も渡辺熊四郎と同様に、区会議員としての要職にあるばかりでなく、多
函館市史 通説編 第二巻
(北海道関係航路の重視と道庁補助航路)
若松は元
杉浦嘉七
の十勝漁場の支配人を勤め、その後独立して同所で漁業を経営し資本蓄積をなした人物で、また
函館市史 通説編 第二巻
(創業総会までの経歴)
これは区会で選挙された港湾改良調査委員である平田文右衛門、平出喜三郎、遠藤吉平、
杉浦嘉七
、久保扶桑が作成
/ 2ページ