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椴法華村史
(椴法華近村と通信の充実)
安政四年(一八五七)
村垣淡路守
の『
公務日記
』の文中、根田内(現恵山町)及び尻岸内の部分に、江戸や箱館など,『
村垣淡路守
公務日記
之九』 三月廿日、快晴(根田内村へ到着宿泊の部分) 一、良輔箱館江着、
函館市史 通説編 第二巻
(箱館開港と売女渡世の公認)
「見込ノ通可被取計候事」という老中の裁可を得て、翌5年1月ライスの元へたまという女性を引き渡した(「
村垣淡路守
公務日記
,箱館奉行の予想通り、この後何件か外国人に″婦人懇望″を申し立てられ、異人休息所へ案内している様子が『
村垣淡路守
公務日記
函館市史 通説編 第一巻
(気象観測)
編で述べたように、安政元年から風向・風力・天気・気温・地震・雷など、気象に関する観測を行い、それを『
村垣淡路守
公務日記
椴法華村史
(椴法華と近村の海運)
安政四年(一八五七)三月箱館奉行
村垣淡路守
は蝦夷地巡察の途中、尾札部・椴法華間を通過したが、この時もまた,安政四年
公務日記
三月廿日 快晴 一、今朝五時二分廻尾札部出船三里四時二分前椴法花江着船同所
函館市史 別巻 亀田市編
(松川弁之助の開拓)
『
村垣淡路守
公務日記
』(大日本古文書、東京大学)には、石川沢御手作場の費用として幾度も金子を弁之助に渡
函館市史 通説編 第一巻
(製鉄)
反射炉の計画は経費の関係で放棄し、高炉に全力をそそいだようであったが、それもなお完成しなかったことは『
村垣淡路守
公務日記
函館市史 通説編 第二巻
(新しい産業分野をめぐって)
安政3~4年の間の経費は「四百十六両弐分ヨ 反射炉御入用 弐千弐百七十弐両ヨ 熔鉱炉御入用」(前出「
公務日記
,「
村垣淡路守
公務日記
」には、捕鯨船の価格調べの様子を示す次のような記録がみられる。,入港 アメリカ軍艦ミシシツピ(蒸汽フレガット) 乗組308人 8月26日 出港 アメリカ軍艦 「
村垣淡路守
公務日記
,「
村垣淡路守
公務日記
」には、この「鯨火矢」=ボンブランスについて次のようないくつかの記事がある。,柴田利三郎」が乗り組んで、「鯨漁師」も乗っていたので醍醐組の漁師の同行と思われるが、ネモロからは箱館奉行
村垣淡路守
函館市史 通説編 第二巻
(ペリーの抵抗と要求)
回答内容をめぐって幕閣内で論議が紛糾したが、最終的には2月22日、下田・箱館を開港する旨正式に決定した(「
村垣淡路守
公務日記
,」『幕外』付録2、以下「
公務日記
」と略す)。
函館市史 通説編 第一巻
(開港前後の観測)
風向、風力、天気、気温、地震、雷などの気象要素の定時観測(朝夕2回)が行われていたことが、箱館奉行『
村垣淡路守
公務日記
函館市史 通説編 第二巻
(牛供給の許可)
「獣畜場」については、「
村垣淡路守
公務日記
」安政5年正月14日条に「豕囲所、御蔵地後千四百三十弐坪、牛囲所
函館市史 通説編 第二巻
(五稜郭の採氷)
アメリカのライスが七重浜ゴミ川が氷室の建設場所としてふさわしいとしていることなどが資料に見えている(「
村垣淡路守
公務日記
恵山町史
(①松前地古武井熔鉱炉の研究並びに考証年表)
翌4年(1857)3月21日にはまだ休業していたが、見分の
村垣淡路守
は早々操業するよう、現場責任者徳兵衛,諸術教授御付候旨・分析所取建之儀伺候書付之通取計、分析所の唱も不宜候間、諸術調査と唱候様御書取添御渡し・
村垣淡路守
箱館奉行,10月16日・松浦武四郎、目賀田帯刀、市川十郎、菅野潔会合、同日目賀田船にて江戸へ出航11月 8日・
村垣淡路守
箱館在勤,・この月、弁天砲台着工、*亀田は4年6月着工12月17日・
村垣淡路守
蝦夷地廻浦へ12月末・仮熔鉱炉(蘭名,この年、高炉火入れ(失敗)(以上、古文の中、脚注なき文書体のものは、
村垣淡路守
「
公務日記
」−幕末外国関係文書
函館市史 通説編 第二巻
(農業開拓策)
イワナイの御手作場は、安政4(1857)年、田1反、畑7反というほどであった(「
村垣淡路守
公務日記
」『,幕外』附録-安政4年閏5月12日の項、以下「
公務日記
」と表記)。
恵山町史
(②古武井熔鉱炉に関する研究 幕末期蝦夷地開拓と外国技術)
村垣淡路守
公務日記
に(以下
公務日記
と称する) 五月十八日(安政3年) 一、箱館奉行申上候、同所,蝦夷地銭通用并銑鉄於箱館地鋳立方之義奉伺候書付(6)」に「当節銑鉄砂等願人等有之候へ共いまだ吹試中に御座候」とあり、又「
公務日記
,しかも、先に引用したように、現に操業中の模様を表現した記録もあり、更に同じ
公務日記
(8)」の安政4年12,尻岸内熔鉱炉について』) (5)資料2に見られるように、この記録は安政4年3月21日のものであり、村垣
公務日記
恵山町史
((4)古武井高炉と一連の施設)
このことについて安政4年(1857年)3月、箱館奉行
村垣淡路守
巡視の際に随行した普請役梶山米太郎らの報告書,このことを考えると『村垣
公務日記
』に「反射炉御入用四一六両二分余、熔鉱炉御入用二、二七二両余を支出し…,①安政4年(1857年)3月、箱館奉行
村垣淡路守
範正、普請役梶山米太郎を随て尻岸内村々を視察、3月21
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