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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 通説編 第一巻 (奉行の増員)

箱館奉行は前述のごとく当初は2人で、江戸と箱館とに交互に在勤したが、安政3年7月28日、更に1名を増員し、村垣範正,安政5年10月11日、また1名を加えて4人とし、目付津田正路(近江守)が任命されたが、これは掘利熙と村垣範正
恵山町史 ((1)箱館奉行所とその陣容)

堀利煕(ほりとしひろ)の2人が江戸と箱館に交互在勤したが、安政3年(1856年)7月には1名を増員し村垣範正,これは、堀利煕(ほりとしひろ)・村垣範正が共に外国奉行を兼務し多忙であった事情からであり、後に3名に減
函館市史 通説編 第一巻 (箱館付近の上知)

そこで幕府は当然起こる国境談判を有利に実地で決めるため(前述蝦夷地見分)、目付堀利煕、勘定吟味役村垣範正
椴法華村史 (幕府の再支配)

・村垣範正 安政元年勘定吟味役、安政三年(一八五六)箱館奉行、同四年から外国奉行を兼任、更に同六年から
函館市史 通説編 第一巻 (幕吏の来箱)

折から、前述したように、目付掘利熙、勘定吟味役村垣範正が、蝦夷地検分のため対岸の三厩まで来ていたので、
恵山町史 (2、開国・蝦夷地の再直轄)

同年9月には、目付の堀利煕、村垣範正に蝦夷地視察(樺太を含むロシアの進出状況)を命じた。  ,<在職した奉行> 着任順  竹内保徳、堀利煕、村垣範正、津田正路、勝田充万、糟谷義明、水野忠徳、小出秀実,・村垣範正 幕府勘定奉行から1856年(安政3年)箱館奉行となり、翌年より外国奉行を兼務、安政6年には
函館市史 通説編 第一巻 (貿易船の海外派遣)

安政6年2月次の案を議定し、6月、時の奉行、堀利熙、村垣範正、竹内保徳、津田正路が連署して幕府に申請した
恵山町史 ([鉱業のあゆみ−砂鉄])

1854年(安政元)か1855年(安政2)頃か(箱館奉行村垣範正の公務日記、安政4年3月21日にその存在
函館市史 通説編 第一巻 (造船)

堅牢で速力もまた早く、「暴風雨等も乗廻し候処、堅牢の造船、別して心得方にも相成り申し候」と、堀利熙は村垣範正
函館市史 通説編 第一巻 (旗艦ポーハタン号の入港)

なお、蝦夷地検分のため北上中であった目付堀利熙、勘定吟味役村垣範正が、松前藩の依頼によりペリー応接のため
南茅部町史 上巻 ([入北記])

安政元(一八五五)年、村垣範正とともに蝦夷地を巡検した。,堀は竹内保徳に次いで箱館奉行となり、安政三年、村垣範正と奉行職をともに勤める。
恵山町史 ([五稜郭と古武井熔鉱炉])

] 同じ、1854年(安政元)には、蝦夷地巡視(後の箱館奉行)を命ぜられた堀利煕(ほりとしひろ)、村垣範正
函館市史 通説編 第二巻 (場所請負制、沖之口制の継続)

安政元(1854)年5月から閏7月にかけて蝦夷地、北蝦夷地をまわって調査した堀利煕、村垣範正の報告などを
恵山町史 (②古武井熔鉱炉に関する研究 幕末期蝦夷地開拓と外国技術)

安政元年蝦夷地の調査に赴いた堀利煕・村垣範正等がこの豊富な砂鉄に着目し、これを蝦夷地の経営と開拓の用に,長崎での務めを終えた武田は、江戸に戻って間もなく安政元年3月、堀利煕・村垣範正等と同行して蝦夷地並びに
恵山町史 (③幕末蝦夷地の洋式製鉄(金属・1968年9月1日号) 技術のふるさと:古武井の高炉)

第1の点は、安政元年3月(1854)、命を受けて蝦夷地、樺太の調査に赴いた堀利煕、村垣範正の両幕臣による
恵山町史 (①松前地古武井熔鉱炉の研究並びに考証年表)

1,594両1分ヨこれは、安政3、4年両年分で、安政5年(1858)3月14日現在高であり、8月26日の村垣範正,この事業は失敗したが、箱館奉行には、竹内保徳(野州)、堀利煕、村垣範正(淡路守)、津田正路ら幕府一流の,・目賀田帯刀、脇石省助明日出立暇乞ニ来ル 4月27日・玉虫義及び菅野潔(狷介、白華)箱館奉行堀利煕、村垣範正
恵山町史 ((4)古武井高炉と一連の施設)

万延元年(1860)に新見豊前守(外国奉行)村垣範正ら遣米使節に随行しアメリカに渡り『航米目録』を残している
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