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函館市史 別巻 亀田市編
(東照宮の建立と焼失・遷座)
東照宮
の建立と焼失・遷座
東照宮
(昭和44年) 『祭神記』という天台宗等澍院執事(実質的には,
東照宮
の宮司)の書いた記録によれば、 箱館奉行従五位下小出大和守殿政府ノ命ヨリ北門ノ鎖鑰ニ,というような状況であり、現在の神山
東照宮
跡からは想像も出来ないほど盛大な祭りが行われ、官民こぞってこれに,明治二年榎本軍が
東照宮
を拝した様子を前記『函館戦記』(彰義隊員某の手録)は次のように記している。 ,また明治二年五月十一日
東照宮
焼失について『奥羽並蝦夷地出張始末』によれば次のごとく記されている。 /
東照宮
の建立と焼失・遷座
函館市史 別巻 亀田市編
(決戦の状況)
決戦の状況 四稜郭
東照宮
略図 市立函館図書館蔵 明治二年五月十一日、海陸決戦のこの日、榎本軍側,は四稜郭、
東照宮
方面へは松岡四郎次郎を長とする一連隊、梶原雄之を長とする衝鋒隊、それに砲兵隊を配置し、,また、
東照宮
境内正面向かって左側段丘上にも砲座が設けられ、小型の大砲が配備されていたらしい。,このような榎本軍の防衛体制の所へ官軍が攻撃して来るのであるが、この四稜郭や
東照宮
の戦闘の状況について官軍側,ナリ」とまで言われた
東照宮
も官軍の手により放火され、残念なことに焼失してしまった。
函館市史 別巻 亀田市編
(神山稲荷神社)
明治十四年
東照宮
跡に建立したという。同四十五年鍛治村の稲荷神社に合祀された。,合祀後も同神社の祭典は続き、旧宮地は農地開放のため失い、昭和二十三年ころ、村長より旧
東照宮
跡地約八反歩,同社の花崗岩の大鳥居は、前述したとおり、元
東照宮
の正面に元治二年建設したものである。
函館市史 別巻 亀田市編
(権現台場)
権現台場 榎本軍、官軍ともに「権現山の台場」「神山権現台場」と普通呼びならわしており、旧神山
東照宮
跡,『遊撃隊起終録 南蝦夷戦争記付録戦地写生図』の中に「神山村御宮并台場の図」があり、これらのことにより
東照宮
境内
函館市史 別巻 亀田市編
(五稜郭の築造)
同心長屋、定役・組頭などの役宅が建てられ、その外に五稜郭の鬼門(北東のすみ)を守る意味で元治元年には
東照宮
函館市史 別巻 亀田市編
(明治以前)
称名寺(自正保元年至宝永五年)、山上大神宮(天和年中)、亀田八幡宮(自明徳元年至明治三十二年)、および
東照宮
, 亀田村 名主 武 兵 衛
東照宮
,最近、
東照宮
の礎石が発掘され、調査研究の必要もあり、文化庁からも視察に来訪するなど、今後の検討の結果が
函館市史 通説編 第一巻
(神社)
東照宮
は日高様似の等澍院(文化年間建立、蝦夷三官寺の1つ)に勧請されていた東照大権現を元治元(1864
函館市史 別巻 亀田市編
(明治のころ)
「亀田郡神山村
東照宮
社焼亡跡石鳥居、漱盤残有分取払申付候処、同村稲生社へ申請度段願出候に付、御評議願
函館市史 別巻 亀田市編
(上山村)
後徳川家ニ於テ当村へ
東照宮
ヲ御宮ヲ新ニ建築シテヨリ神ト云字ヲ以テ上ニ換へ神山村ト改名シ と記
函館市史 別巻 亀田市編
(最近までの歩み)
サイベ沢、四稜郭、
東照宮
跡などのことも、一部の人によってその重要性を指摘されるにとどまっていた。
函館市史 銭亀沢編
(婚礼と衣服)
昭和二十七、八年頃より函館の八幡宮や共愛会館、
東照宮
などでおこなうことが流行り始めたが、昭和四十年頃でも
函館市史 通説編 第二巻
(明治時代の函館の寺院群)
明治元年、兵火に罷 り
東照宮
に遷座、その後、住職の逃亡によって大教院の管轄となる。
函館市史 通説編 第二巻
(函館の区入費)
官有地ニアラサル墳墓地等ヲ云 地所名称 函館の該当地 官有地第1種 八幡社 山上社 市杵島(巌島)社
東照宮
函館市史 通説編 第二巻
(開拓使の神仏分離観の転換)
20戸
東照宮
亀若町 村社 幕命により神山村に奉祭。明治2年の箱館戦争で宮殿全焼。
函館市史 別巻 亀田市編
(函館市史 別巻 亀田市編 目次)
亀田諸村の飢饉の状況 二 鍛冶村に見られる助郷 三 黒船出現と村人 第七節 五稜郭の築造と
東照宮
,の建立 ……………………………………157 一 五稜郭の築造 二
東照宮
の建立 第三章 明治,…………………………………167 一 箱館戦争 二 榎本軍の防備体制 三 四稜郭・
東照宮
南茅部町史 下巻
(〔明治五年神社巡回日記〕)
弁天町 厳嶋社 境内稲成神(文政二) 相生町 歓喜天(慶応元) 等樹院休泊所天祐庵 〃
東照宮
恵山町史
([箱館裁判所(箱館府)と箱館戦争])
は、無抵抗のまま五稜郭に入城し箱館を押さえ、早速、新政府軍の反撃に備えて、赤川の高台に「四稜郭」を、
東照宮
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