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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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椴法華村史 (口絵)

 椴法華村と近村の状況 チャウシの図 安政2年(1855)ころ 弘前図書館蔵 「東蝦夷地海岸図台帳,」 安政2年(1855) 長沢盛至著 古部、屛風岩、銚子のようす 「東蝦夷地海岸図台帳」 安政,2年(1855) 長沢盛至著 矢尻浜、島泊、椴法華のようす 「東蝦夷地海岸図台帳」 安政2年
南茅部町史 下巻 (〔稲荷社〕)

〔稲荷社〕 安政年間の郷土を描いた延叙歴検真図や東蝦夷地海岸図台帳などによれば、郷土の村々には、どこの
南茅部町史 下巻 (〔漁港〕)

安政二年(一八五五)、長澤盛至が東蝦夷地海岸図台帳に描いたもの、安政六年(一八五九)前田夏陰の延叙歴検眞図
南茅部町史 上巻 (嘉永の昆布出産高)

             七五        三二〇           一五〇   ―その二―東蝦夷地海岸図台帳
南茅部町史 下巻 (作物の収穫高)

作物の収穫高 安政二年(一八五五)の東蝦夷地海岸図台帳に、郷土の作物の収穫高が記されている。
函館市史 通説編 第一巻 (外国船噴火湾に入る)

これを長沢盛の『東蝦夷地海岸図台帳』には、次のように記している。,とあって、月日が若干異なっているが、前記『東蝦夷地海岸図台帳』に見た船舶と同じ船であったと思われる。
南茅部町史 下巻 (〔安政年間の牛馬の数〕)

嘉永七年の六箇場所書上と、翌安政二年の東蝦夷地海岸図台帳、そして明治四年二郡二九ヶ村一面表を対照すると
椴法華村史 (恵山大権現)

さらに安政二年(一八五五)の『東蝦夷地海岸図台帳』によれば、「ゑさんの川原より恵山御殿まで登り七百廿間
椴法華村史 (鰮漁の実態)

このほかに安政二年(一八五五)長沢盛至の『東蝦夷地海岸図台帳』(要約)によれば、「網ハ鰯あみ二流、しまとまり・
南茅部町史 上巻 ([郷土の戸口])

なかでも、よく知られるものに、東蝦夷地海岸図台帳、入北記、延叙歴検真図などは、戸口と集落の形成のすがたを
南茅部町史 上巻 ([鰮(いわし)漁業])

また、安政二年の東蝦夷地海岸図台帳には、六箇場所書上にある翌年の生産高が次のように記されている。  
南茅部町史 下巻 (五升芋)

蝦 夷 日 誌 六箇場所書上  東蝦夷地海岸図台帳 上磯茅部郡一面表 弘化二年(一八四五) 嘉永七年(
恵山町史 (3、六ケ場所、南部藩が警備)

キロメートル)を、1日6里、通常の2~3倍の早さで測量し、同年10月には、距離と地形地名入りの絵図『東蝦夷地海岸図台帳
南茅部町史 上巻 ([地名のうつり変わり])

1 寛政以後の地名 えぞのてぶり 東西蝦夷 蝦夷日誌 巻五 東蝦夷地海岸図台帳 同 同 松前蝦夷
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