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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 銭亀沢編 (コラム(陸繋砂州はいつ頃現れたのか))

かつて、市役所脇(東雲町一三番地一六)で、いわゆる「東雲町自然貝層」が見いだされ、砂州の成立に手がかりを,ただし、東雲町自然貝層の頂面高度が間違いなく標高一・三メートルとするならば、その堆積後、相対的な海面低下,柱状図に、東雲町自然貝層の上に海浜砂とみられる砂層、また軽石層、ピート(泥炭)などの記載が見られるのは,図2・1・15 陸繋砂州の表層地質と貝化石年代 (市立函館博物館編(1966):『函館市東雲町自然貝層調査研究報告書
函館市史 通説編 第一巻 (平野)

トンボロの地質については、昭和41年10月、下水道管敷設工事に関連して発見された函館市役所わきの「東雲町自然貝層,従って東雲町自然貝層の推積は、縄文海進のピークから次第に低下していったある停滞時を示すものと思われる。,東雲町自然貝層を研究した石川政治(1966)によると、これら貝類はいずれも強内湾性のもので、貝類の中央値平均,以上の資料によると東雲町自然貝層堆積時代は現在よりも温暖であり、海水面は現在よりも高く、その他の資料を,東雲町自然貝層はこの海進が海退に転じたある段階に堆積したものと思われる。
函館市史 銭亀沢編 (文献)

文献 石川政治(1966)「「東雲町自然貝層」が教えるもの」『函館市東雲町自然貝層調査研究報告書』,2 瀬川秀良(1966)「函館市東雲町発見の「沖積世貝化石層」のもつ意味と函館市街の成立」『函館市東雲町自然貝層調査研究報告書,女那川テフラ‥津軽海峡函館沖から噴出した後期更新世のテフラ」『地理学評論』62 吉崎昌一(1966)「東雲町自然貝層,の意味」『函館市東雲町自然貝層調査研究報告書』 Ono,Yugo(1984)Late glacial
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