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函館市史 通説編 第二巻
(遊歩区域をめぐって)
ペリーがこの問題を交渉案件として提示したのは、4月26日の
松前勘解由
以下との会談の席上(於応接所)においてであった,すなわちペリーは、
松前勘解由
が藩主より全権を委任されている旨ペリーに告げるや、幕府徒目付平山謙二郎、通詞名村五八郎,これに対し
松前勘解由
は、箱館の遊歩区域は、同地を視察したうえで決定する旨林大学頭と協議したというのであれば,
松前勘解由
がこうした返答をするや、ペリーは意外なことを主張しはじめた。,したがって、「大夫」(
松前勘解由
)がこの事を定めるべきである。
函館市史 別巻 亀田市編
(ペリーの和親要求)
ペリーの和親要求 一方ペリーと応接掛
松前勘解由
との話合いはあまり進展していなかった。,このため
松前勘解由
や遠藤らの応接係は、択捉島見分の帰途にあった幕府普請役井上富左右と相談し、上陸のこと
函館市史 通説編 第二巻
(「松前辺」から「箱館湊」へ)
要した日数や他の急便の江戸-松前間の日数(11~14日)、さらには、松前藩のアメリカ応接の責任者家老
松前勘解由
,また松前藩は、その応接役に家老
松前勘解由
、用人遠藤又左衛門、町奉行石塚官蔵、箱館奉行工藤茂五郎をあて、,藤原主馬(砲術師範)、関央(藩校徽典館旬読師)及び箱館の代嶋剛平、蛯子次郎の4名に応接方を命じたが、
松前勘解由
函館市史 通説編 第一巻
(勘解由の米艦訪問)
勘解由の米艦訪問
松前勘解由
が遠藤又左衛門、石塚官蔵、関央、蛯子次郎、金田善右衛門の幕僚を従えて、アメリカ
函館市史 通説編 第二巻
(ペリーから知らされた条約)
ところで、その後4月23日、ミシシッピー号でペリーと家老
松前勘解由
・用人遠藤又左衛門・町奉行石塚官蔵・,箱館奉行工藤茂五郎他応接方が会談した際(ペリーと
松前勘解由
との最初の会談)、ペリーより応接掛連署の日米和親条約正文,ところが、
松前勘解由
等がミシシッピー号でペリーと会談中の「夕八時頃」(午後2時頃)、城下松前から箱館役所
函館市史 通説編 第一巻
(松前藩への通達)
松前藩江戸藩邸からの通報と、右の達書を受けた国元福山の驚きはひとかたならず、その応接掛として家老
松前勘解由
函館市史 通説編 第一巻
(写真撮影)
(前同)とあるが、これはペリーに随行したブラウンが撮影したもので、現存するものでは、この2人の外に
松前勘解由
函館市史 通説編 第二巻
(松前藩の対応と松平乗全)
松前藩の対応と松平乗全 3月22日、まず応接役の家老
松前勘解由
が箱館に到着し、3月26日には、箱館付近,家老
松前勘解由
を始めとする松前藩士たちの緊張した様子を窺い知ることができる、それから2日後の3月28日
函館市史 通説編 第一巻
(ペリー提督上陸会談)
これに対し当方からは
松前勘解由
をはじめ遠藤又左衛門、石塚官蔵その他が列席すると、ウイリアムズは書面をもって
函館市史 通説編 第一巻
(松前藩の回答書)
そして遠藤又左衛門から後刻松前藩公の一族である高官、
松前勘解由
が提督を訪問する意向を伝えたので、アメリカ
函館市史 通説編 第二巻
(ペリーの要求と松前藩の回答)
ペリー及び
松前勘解由
とも出席していない点で、この会談は予備的会談であったといってよいが、両国代表が所定
函館市史 別巻 亀田市編
(ペリー来航)
この突然の達しを受けた松前藩は大いに驚き、直ちに箱館へ応接掛として家老の
松前勘解由
、用人遠藤又左衛門らを
函館市史 通説編 第二巻
(市中での買物とバザー)
この抗議文は、ペリーが応接所で
松前勘解由
以下の役人に対し、横浜・下田での日米交渉や日米和親条約の一方的解釈
函館市史 通説編 第二巻
(ペリーの新たな思惑)
なお、4月26日、
松前勘解由
が藩主より全権を委任されていることを確認するや、以後藩主との会見要求を中止
函館市史 通説編 第二巻
(幕吏との会談と退帆)
幕吏との会談と退帆
松前勘解由
以下の松前藩の役人たちは、横浜における日米交渉の具体的内容については幕府
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