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函館市史 通説編 第一巻
(箱館奉行を改め松前奉行を置く)
箱館奉行を改め
松前奉行
を置く かくて同年10月10日戸川安論は福山に移って政務を執った。,同月24日幕府は箱館奉行を改めて
松前奉行
となし、小納戸頭兼勘定吟味方河尻甚五郎春之、勘定吟味役村垣定行,の2人を
松前奉行
に任じ、戸川安論と羽太正養も改めて
松前奉行
に任じて政庁を松前城に移した。 / 箱館奉行を改め
松前奉行
を置く
函館市史 通説編 第一巻
(ゴロウニンの釈放)
ゴロウニンの釈放 以上にして
松前奉行
は、ロシア側の謝罪を諒とし、文化10年9月26日、リコルドを沖ノ,
松前奉行
より可二申諭一趣 我国むかしより、其国と仇もなく怨もなし。,よりてあらかじめ諭し知らしむる所也 文化十年九月廿六日
松前奉行
,(朱印) これは幕府の意図に基づいての諭書であるが、このほかに同日付で、
松前奉行
支配吟味役高橋三平
恵山町史
(3、奉行所の設置)
(文化4年)3月、幕府は蝦夷地全域を直轄とすると、10月には奉行本営を箱館から福山(松前町)に移して
松前奉行
,しかし、
松前奉行
は箱館奉行に比べ、その経営は積極性に乏しく、西蝦夷地では松前藩時代の場所請負制度を存続,ロシア対策も急激に緊張緩和へと向かい、松前藩の強力な復権運動もあいまって、1822年(文政5年)幕府は
松前奉行
,この期間、箱館六ケ場所は蝦夷・箱館奉行、
松前奉行
の管轄下に置かれたことはいうまでもない。
函館市史 通説編 第一巻
(幕府の諭書)
そして文化10年3月、この「魯西亜船え相渡候諭書」を、時の
松前奉行
服部備後守貞勝が携えて福山に来任し、,それによって7月11日、
松前奉行
所から吟味役高橋三平、柑本兵五郎が、露囚シモーノフとアレキセイを伴って
函館市史 通説編 第一巻
(ゴロウニン福山から箱館へ)
一方、この間
松前奉行
はゴロウニンらを福山から箱館に移すこととし、8月17日福山を出発して20日箱館に着
函館市史 通説編 第一巻
(箱館に対する処置)
与えるおそれがあったため、特に箱館には吟味役を置いて、東蝦夷地を支配させ、ただ重要な案件だけについて
松前奉行
椴法華村史
(場所請負人の廃止)
継ぐ)なお蝦夷地奉行は享和二年(一八〇二)五月に「箱館奉行」と改められ更に文化四年(一八〇七)には「
松前奉行
椴法華村史
(鱈製品)
鱈製品 文化四年(一八〇七)以降村山伝兵衛が蝦夷地産主要海産物の製法・相場などについて調査し、
松前奉行
恵山町史
(箱館奉行羽太正養の『休明光記録』(巻之一)より)
この道路行政について、初代箱館奉行(幕府遠国奉行として1802年5月設置、1807年の全島上知以降は
松前奉行
椴法華村史
(鰮製品)
ホシカ)・鰮油などの製品も製造されていたが、文化四年(一八〇七)頃の『松前産物大概鑑』(村山伝兵衛が
松前奉行
所
函館市史 通説編 第一巻
(福山拘禁)
福山拘禁 福山に拘禁されてからは、しばしば
松前奉行
荒尾成章自ら尋問を行った。
函館市史 別巻 亀田市編
(榎本軍の占領と防備体制)
れ、各隊の士官以上による入れ札(投票)によって総裁以下副総裁、海軍奉行、陸軍奉行、会計方、箱館奉行、
松前奉行
恵山町史
(津軽海峡東口の灯台の歴史)
の潮の流れ『荒れ』と複雑な海岸地形により、船乗りや漁師らが難儀することから、文化5年(1808年)、
松前奉行
函館市史 通説編 第一巻
(ディアナ号箱館入港)
この日
松前奉行
服部備後守貞勝も箱館に来着し、翌17日いよいよディアナ号は箱館に入港した。
函館市史 別巻 亀田市編
(亀田八幡宮)
祈願所として尊崇厚く、慶長、延宝、享保、寛保、明和、安永、天明等に社の再建があり、社前の花崗岩の大島居は
松前奉行
椴法華村史
(昆布製品と値段)
昆布製品と値段 村山伝兵衛は文化四年(一八〇七)以後の海産物についてまとめ
松前奉行
に報告したが、その
函館市史 通説編 第一巻
(松前藩復領の経緯)
且又是迄彼地の御主法取計い方の儀、得と
松前奉行
へ承り合い、入念に申付けらる可く候。
函館市史 別巻 亀田市編
(蝦夷地直轄)
幕府は松前蝦夷地全部を直轄し、なお文化四年十月より奉行所を福山に移し、
松前奉行
と改称している。
函館市史 通説編 第一巻
(開墾)
前直轄時代
松前奉行
支配調役下役元〆直一の子であった庵原菡斎は、安政元年志して竹内奉行に従って箱館に渡り
恵山町史
([幕府の蝦夷地直轄と道路行政])
1807年)幕府は、さらに東・西蝦夷地(蝦夷全島)直轄の令を発し、それと同時に奉行所を松前の地に移し
松前奉行
函館市史 通説編 第一巻
([目次])
三 生活 第三章 幕府直轄下の箱館 第一節 東蝦夷地直轄の経緯 第二節 箱館奉行及び
松前奉行
恵山町史
(4、村政のはじまり)
松前奉行
、羽太正養著『休明光記』の1804年(文化元年)の条項に次の記述がある。 ,なお、幕府直轄時の
松前奉行
所時代は、箱館に町奉行が置かれ茅部・上磯・亀田郡の御用は箱館で済むようになっていた
函館市史 通説編 第二巻
(箱館奉行の再置)
1802)年2月23日創置の蝦夷地奉行(同年5月10日、箱館奉行と改称し、次いで文化4年10月24日、
松前奉行
恵山町史
([明治・大正時代の漁業])
と同時に東蝦夷地の場所請負制度に代わる、箱館・
松前奉行
直轄の直捌(じきさば)き制度を実施する。
恵山町史
([江戸時代の漁業])
その地名が示すように、この黒潮と親潮がぶつかり合う海域であり、海流や海洋気象も複雑な様相を呈しており、
松前奉行
恵山町史
(3、幕府直轄以降の箱館六ケ場所)
と称し東蝦夷地を支配、1807年(文化4)10月には、蝦夷地全域を直轄地とすると、本営を松前に移転し
松前奉行
,1804年(文化元)『休明光記』に見る六ヶ場所 文化4年、
松前奉行
、羽太正養著『休明光記』の文化元年頃
恵山町史
(津軽海峡東口灯台の概要)
恵山岬灯台に遅れること3年の、明治26年(1893年)11月20日であるが、江戸末期1800年代には
松前奉行
恵山町史
([箱館裁判所(箱館府)と箱館戦争])
松平太郎、海軍奉行 荒井郁之助、陸軍奉行 大鳥圭介、同並 土方歳三、箱館奉行 永井玄蕃、同並 中島三郎助、
松前奉行
恵山町史
(4、江戸時代の昆布漁)
なお、この文書は1807年(文化4)以降、前期幕領時代の海産物について、阿部屋(あぶや)、村山伝兵衛が
松前奉行
恵山町史
(6、郷土と高田屋嘉兵衛)
交渉には
松前奉行
服部貞勝が直接対応、ロシア側が遺憾の意を表し謝罪した事を評価し、幕府もゴロウニンら(ムール
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