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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 通説編 第一巻 (鰤漁)

『松前志』によれば「冬月東部オヤス・シヲクビ辺殊に多し甚だ美味なり」と見られ、『松前国道中記』には、戸井
函館市史 通説編 第一巻 (鰯漁)

鰯漁 鰯(いわし)は『松前志』(天明年間著)にも「東部此魚多し」とあり、箱館地方の海域でも鰯漁があったことが
函館市史 通説編 第一巻 (薬物と売薬行商)

によって薬に使用したが、和人は種々の薬物を発見し、幕府の採薬使がしばしば派遣され、天明元(1871)年の『松前志
椴法華村史 (ヲビルネップ砲撃事件)

天保二辛夘年八月朔日松前志摩守御届    (前略)    ウス領之内ヲビルネップと申所ヘ橋船貳艘二而異國人十六人程上陸仕,此段御届申上候、以上     八月朔日                                松前志摩守,   八月朔日                                         松前志摩守
椴法華村史 (烏賊漁の沿革)

烏賊漁の沿革 烏賊漁は古く前松前藩時代より始められており、『松前志』天明元年(一七八一)著によれば、
椴法華村史 (天保三年異国人椴法華に上陸)

天保三年七月廿五日                          松前志摩守御届    私領分東在箱館附六,今廿五日私居所江相達候間右糺書相添此段御届申上候、已(以)上    七月廿五日                                松前志摩守,天保三年七月二十五日 松前志摩守御届  私領(松前志摩守領)東部箱館在六ヵ場所の内トトホッケという所,以上         七月廿五日                          松前志摩守                                   
椴法華村史 (繩とじ船)

正徳五年(一七一五)『松前志摩守差出候書付』によれば、当時使用されていた船と航路・天候について次のように
椴法華村史 (異国船内浦湾に出現)

七月五日                                         松前志摩守
函館市史 別巻 亀田市編 (水田の試作)

『松前志』巻之六穀類部に「元禄五年(一六九二)東部亀田にて作左衛門と云もの新田を試みけれど、二、三年にして
函館市史 通説編 第一巻 (藩制初期の交易)

たとえば天和2(1682)年の著述といわれる『遠目鏡』には、敦賀に松前志摩守船の船宿として、岐阜屋六兵衛
函館市史 別巻 亀田市編 (赤川沢から赤川村へ)

赤川沢から赤川村へ 赤川村の名が初めて資料に見られるのは、天明元(一七八一)年の『松前志』である。
函館市史 通説編 第一巻 (徳川の幕下に入る)

慶長九年正月二十七日 黒印                         松前志摩守どのへ  
戸井町史 (二、戸井の板碑(いたび)と発見の経緯)

その後、文献で細かな地名まで記録したものは、天明元年(一七八一)の松前志で「よことまり、とひ、おかべとのま,松前志と松前国中記では、オカベトノマとトイの順序が逆になっているが、オカベトノマは館のあった附近の入江,同じ地域の海岸の入江と崖につけられた名であるので、松前志と松前国中記の何れが正しいとは言われない。
函館市史 通説編 第一巻 (松前藩復領の経緯)

                   松前志摩守 一 其方儀、最前蝦夷地の手当行届き兼ね
戸井町史 (三、各神社の棟札(むなふだ))

奉再建宮川大明神  御本社一宇              願 主  戸井村 氏子中        当島大学  松前志摩守源章広公,宮川神社  神拝殿一宇       天保二辛卯歳(一八三二)八月神直日          当国大守  松前志摩守源章広公
椴法華村史 (日吉丸砲撃事件)

則再吟味仕口書並被奪取候品書共相添此段御届申上候、以上   九月廿五日                                 松前志摩守
函館市史 銭亀沢編 (宇賀昆布)

ところが、天明元(一七八一)年に松前広長が書いた「松前志」(『北門叢書』第二冊)では穀類部で「コンブ並
戸井町史 ([戸井の地名考])

ヨコドマリ(横泊)この名は天明元年(1781)の松前志にも出ている。,シスン松前志や松前国中記にも「シスン」という地名が書かれている。,ヨモギナイ(蓬内)『松前志』や『ひろめかり』に「ヨモギナイ」という名が書かれている。,『松前志』を書いた大学者、松前広長の説明を注意して読んで見るべきだ。,松前広長の書いた『松前志』に書かれている「宇賀昆布」の説明を読んで見よう。
南茅部町史 上巻 (村役人)

文化六(一八〇六)   文政八(一八二五) 文政一〇(一八二七) 天保七(一八三六) 椴法花   十四世松前志摩守章廣
椴法華村史 (安東氏より独立)

の如し    慶長九年正月二十七日 黒印                            松前志摩守
函館市史 通説編 第一巻 (日本人人種論)

この伝説は『蝦夷島奇観補注』(松前志摩守徳広)や『蝦夷図説』(山田金銀軒)にも抜書きされていて、要約すれば
戸井町史 ([昆布漁])

(5)天明元年(一七八一)松前広長が書いた『松前志』に    「コンブ並にアラメ、即ち昆布である。,『松前志』の昆布の説明を読んだだけでも、広長は当時の松前藩第一の学者であったことがわかる。  ,『庭訓往来』に書かれた「宇賀昆布」の産地を、昆布の質を知らない人やこの海岸の地理に暗い人、『松前志』の
函館市史 銭亀沢編 (幕末の村むら)

小林の家は後世松前志摩守の子兵庫が其名跡を嗣ぎ三左衛門と改め、松前家の重臣となるとある。
南茅部町史 上巻 (徳田屋和兵衛と小板屋久兵衛)

ヨリ上地セリ    賞與及事務負擔之辞令等ヲ拜受セシ事左ノ如シ 一、嘉永三庚戌年六月 旧松前藩主松前志摩守様
戸井町史 ([戸井と近隣の変遷])

⑤天明元年(一七八一)『松前志第三巻』   「湯川村、鍛治村、箱館村、えくらまえ、しのり村、黒岩村、,『松前志』は松前広長の書いたものであるが現在の地名と大差ない。     
恵山町史 (2、箱館六ケ場所の成立)

  箱館之者共運上申請 二百石ばかり之小船に而(て)度々箱館江通江申候 一、臼尻よりマツヤと申所迄 松前志摩守様江運上金揚
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