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函館市史 通説編 第一巻
(掘割および築島)
『蝦夷島奇観』、『蝦夷雑記』、『箱館夜話草』などに、
松右衛門
や
松右衛門
島などのことが築島に関係して所見,
松右衛門
とは工楽
松右衛門
のことで、播磨国高砂の人、
松右衛門
帆の考案や、嘉兵衛の推挙で択捉島紗那を築港したことで
恵山町史
(航路の進歩と官営の廃止)
高田屋嘉兵衛の推薦で、享和2年(1802)箱館奉行から択捉島の修築を命ぜられた播磨の人、工楽(こうらく)
松右衛門
,築島の築造をはじめ、幕府に規制されていた大型船の帆布の改良は、当時の船舶の航行能力を飛躍的に高め、「
松右衛門
帆
函館市史 別巻 亀田市編
([子])
三九郎 一 弐 俵 勘太郎 一 壱俵半 長兵衛 一 壱俵半
松右衛門
函館市史 別巻 亀田市編
([亥])
勘太郎 一 壱 俵 五郎右衛門 一 壱俵半 長兵衛 一 壱俵半
松右衛門
函館市史 別巻 亀田市編
(上山村)
後平田
松右衛門
ノ祖松之助、菊谷弁太郎ノ祖弁之助、元禄十二(一六九九)年各南部地方ヨリ移住シテ上ノ山ニ居宅
恵山町史
(④尻岸内仮熔鉱炉について)
「尻岸内町史」では「尻岸内川支流の冷水川上流に、安政2年頃、箱館弁天町山カセ印、
松右衛門
が、砂鉄吹立を,始めた」ことを述べ「以下尻岸内町史…さて
松右衛門
の砂鉄吹立によって銑鉄を造ることの可能性は容易に確認された,かくて安政3年の頃、斐三郎がその知識によって試験的な段階として、いわゆる仮熔鉱炉の取建てを指導し、
松右衛門
,即ち(尻岸内町史では)仮熔鉱炉は
松右衛門
のタタラ吹きを改めて斐三郎指導の下に作られた洋式高炉であるとして,この炉が
松右衛門
なるものの出資、経営であることもそれがタタラ炉であることの根拠になる。
函館市史 通説編 第一巻
(製鉄)
なお仮溶鉱炉を引き受け、原料を高炉に供給した箱館弁天町の
松右衛門
は、近在赤川村に溶鉱炉を造ったが長くは
函館市史 通説編 第二巻
(育児会社)
右入費ノ内ヘ今般金五百両下ケ渡、育児会社差許候」と結社を認可、社長に槙山淳道、副社長杉浦嘉七、世話方小島
松右衛門
恵山町史
([鉱業のあゆみ−砂鉄])
箱館奉行村垣範正の公務日記、安政4年3月21日にその存在が記録されている)箱館の大町の職人(山カセ印)
松右衛門
函館市史 通説編 第一巻
(開墾)
また亀田村惣百姓代
松右衛門
らも、村内の開墾を願い出たので、安政3年大縄において19町4反2畝歩を割渡したのを
函館市史 別巻 亀田市編
(明治以前)
慶応三年、箱館奉行が首切場の話をきき、有珠の善光寺から僧の派遣を請い、また亀田村の名主田原源蔵、年寄塩屋
松右衛門
函館市史 通説編 第二巻
(町と町に準ずるもの)
重兵衛 山上町 宇左衛門 村林又右衛門 辻嘉左衛門 尻沢辺町 徳三郎
松右衛門
函館市史 通説編 第二巻
(戸長の公選)
佐々市三郎 松浦重吉 大橋宇左衛門 ※137 50 30 32 19 西村本次郎 砂原
松右衛門
恵山町史
(②古武井熔鉱炉に関する研究 幕末期蝦夷地開拓と外国技術)
)(鎔鉱略形・或いは仮リノホウギヨヘン(資料5))という仮の熔鉱炉があり、箱館弁天町(4)(大町)の
松右衛門
,仮の熔鉱炉は、玉蟲の記す如く(資料5)「仮リノホウギヨヘン是又斐三郎取リ立テト見ヘタリ」とあるように
松右衛門
,が経営する炉ではあるが、武田の設計する洋式のもので、恐らく古武井熔鉱炉に先立ち、試験的目的を兼ねて
松右衛門
,当節銑鉄砂等願人等有之候へ共いまだ吹試中に御座候」とあり、又「公務日記(7)」の安政4年3月21日の条に「
松右衛門
代徳兵衛小屋,よろしく相見へ申候、右ヒヤミツ川添ニ弐拾町程山入ニ、コウキヤウヘント号、則鎔鉱略形ニ有之、箱館弁天町
松右衛門
恵山町史
(③幕末蝦夷地の洋式製鉄(金属・1968年9月1日号) 技術のふるさと:古武井の高炉)
「ヒヤミツ川添い弐拾町程山入に、コウキャウヘンと号、則鎔鉱略形に有之、箱館弁天町
松右衛門
と申者願請、自分入用以取,この炉が
松右衛門
なる者の出資・経営であることも、それがタタラ炉であったことの根拠になる。,
松右衛門
の出身地は分からないが、箱館には南部藩出身の者が当時から多く来住しており、南部では江戸中期以来
恵山町史
(江戸時代から明治にかけての耕地の実態 『明治六年 畑反別書上小前連印帳より』)
一、四畝二分 同人 第四〇番字カラ川ノ沢 字上同断一二番地 一、九畝 伊藤
松右衛門
函館市史 通説編 第二巻
(新しい産業分野をめぐって)
安政元年頃、すでに古武井(シリキシナイのうち)で箱館弁天町の
松右衛門
が、タタラ吹の製鉄場をはじめていた
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