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函館市史 別巻 亀田市編
(松川弁之助の開拓)
松川弁之助
の開拓
松川弁之助
肖像 こうした情勢の中で安政三(一八五六)年、越後出身の
松川弁之助
,また、『
松川弁之助
君事蹟考』では、 一 箱館糞尿を山に捨、海に投せしに、弁之助手人に汲取らせて,と記されており、
松川弁之助
は箱館奉行所の援助を受けながら、糞尿の利用、かんがい用溜池の建設、新田開拓によく /
松川弁之助
の開拓
函館市史 通説編 第一巻
(松川弁之助等の埋立)
松川弁之助
等の埋立 また、万延元年
松川弁之助
、佐藤広右衛門らが出願し、地蔵町の海面を埋築したのが、いまの /
松川弁之助
等の埋立
函館市史 通説編 第一巻
(鶴岡町海面埋立と蓬莱町排水)
鶴岡町海面埋立と蓬莱町排水
松川弁之助
ら以下4筆の埋立地は、元治元年政府が外国人居留地の予定で上地を,を与えるため、鶴岡町の海面5,190余坪を埋築し、また山上町遊女屋営業者が築島の内に移転する計画で、
松川弁之助
函館市史 通説編 第一巻
(藍)
藍 その他、安政4年箱館奉行は、
松川弁之助
に命じて箱館蔵地のうち不用の箇所3000坪を開墾し、藍を作
函館市史 通説編 第一巻
(樺太漁業)
樺太漁業
松川弁之助
樺太漁業は当時なお微々たるものであったが、箱館とは密接な関係があった。,ロシア人の侵入を防ごうとし、安政3(1856)年東海岸および西海岸ノタサン以北を直捌場所として、越後の人
松川弁之助
函館市史 通説編 第一巻
(建築)
喜三郎は
松川弁之助
とともに弁天岬台場も手がけたが、のち配下が築いた石垣が欠壊したので、責任を取って自刃
函館市史 通説編 第一巻
(五稜郭の築造)
五稜郭の築造 五稜郭設計図 亀田役所土塁(五稜郭)は、安政4年から工事を起こし、その堀割は
松川弁之助
函館市史 別巻 亀田市編
(相馬藩の開拓)
このように
松川弁之助
や相馬藩により、石川郷の開発が積極的に行われ、ある程度の成功を見たが、新開発地である
恵山町史
(3、泉藤兵衛の供養塔)
後、箱館に転居(五稜郭築造の土木工事を請負った
松川弁之助
の下で土木事業を行う・別資料による)。
函館市史 別巻 亀田市編
(函館と天然氷)
『
松川弁之助
君事蹟考』によれば、「此川(願乗寺川)筋成りし冬、上品なる凝氷を生じ、西洋人之をきり取、囲
函館市史 通説編 第一巻
(弁天岬台場)
この工事の請負は初め
松川弁之助
であったが、翌4年備前の石工井上喜三郎が加わり、後には主として喜三郎によって
函館市史 別巻 亀田市編
(五稜郭築造の内容)
かくて設計監督は諸術調所教授武田斐三郎、土工工事担当
松川弁之助
、石垣工事担当初代井上喜三郎、庁舎及び役宅建築担当中川源左衛門
函館市史 通説編 第二巻
(幕末期の埋立)
これから
松川弁之助
、佐藤広右衛門の地蔵町海面2万37坪余の海面埋築、山田寿兵衛、大津屋茂吉との5500
函館市史 通説編 第一巻
(外国人居留地問題)
元治元(1864)年になって築島を居留地に当てることにし、
松川弁之助
らの埋立地を官地とし、これに若干の
函館市史 通説編 第二巻
(五稜郭の築造)
請負人は、箱館御役所附御用達の佐藤忠兵衛・山田寿兵衛・杉浦嘉七、箱館御用取扱北蝦夷地御直場所差配人元締の
松川弁之助
函館市史 通説編 第二巻
(弁天台場の築造)
なお、同台場築造に関係した請負人は、五稜郭と同じく箱館の佐藤忠兵衛、山田寿兵衛、杉浦嘉七、越後の
松川弁之助
恵山町史
([明治・大正時代])
五稜郭、弁天砲台の築造や樺太(サハリン)の漁場開拓をした蝦夷開拓御用扱、
松川弁之助
の事業を助け事業家として
函館市史 通説編 第二巻
(交換条約と出漁)
これら漁民の系譜は、勝山藩・若狭藩関係者、加納藩関係者、
松川弁之助
一族、北蝦夷地出稼人・樺太御用達人にわけられる
函館市史 通説編 第二巻
(農業開拓策)
庵原菡斉が自費で銭亀沢村の亀尾に開発していたところを御手作場としたり、
松川弁之助
に取扱わせて赤川村の石川沢
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