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恵山町史
([陸路の充実])
主な道路の開削では、寛政・享和年間(1789~1803年)東蝦夷地の礼文華山道(長万部~虻田)、
様似
山道,(
様似
~幌泉)、猿留(さるる)山道(幌泉~猿留(さるる))等の道路を開削、文化年間(1804~1817
函館市史 通説編 第一巻
(ロシア船との遭遇)
米塩を送るため、大坂の伊丹屋平兵衛所有の栄徳丸という船を雇い、船頭重蔵が乗ってきたが、たまたま風がなく
様似
沖
函館市史 通説編 第一巻
(択捉場所開発)
のため兵庫に帰った嘉兵衛は、明けて寛政12年弟金兵衛とともに辰悦丸に乗り、図合船2艘、鯨船4艘を率いて
様似
恵山町史
(海運の官業)
受け続いて凌風丸を買上げ、浦賀で大船神風丸を、南部大畑で数艘の小船を造らせ、翌12年には、東蝦夷地の
様似
函館市史 通説編 第一巻
(幕府の蝦夷地調査)
一行は5月福山に到着すると、渡辺胤はここに留まり、大河内政寿は東蝦夷地を巡回して
様似
に至り、その別動隊
戸井町史
(三、幕領時代前期の概観)
この時長万部、礼文華(れぶんげ)、
様似
、猿留、釧路、厚岸等の山道が開かれたのである。,(えとも)(今の室蘭)に渡ったのが最初で、乱後その馬を留めておいて、有珠で飼育され、この馬を有珠から
様似
函館市史 通説編 第一巻
(神社)
東照宮は日高
様似
の等澍院(文化年間建立、蝦夷三官寺の1つ)に勧請されていた東照大権現を元治元(1864
南茅部町史 下巻
(大正四年 函館港海運・回漕店)
二七〇番 第一日高丸 門別・春立・三石・後辺戸・ロ舞・浦河・
様似
行,廣尾・大津・釧路行 命令航路 十勝丸 門別・下下方・三石・浦河・
様似
,直江津行 三場所汽船会社 定航 國引丸 門別・春立・三石・□舞・後辺戸・浦河・
様似
函館市史 通説編 第一巻
(場所請負人の交替)
三石 三〇〇両 箱館 栖原屋寅之助 浦河 六六四両一分永五〇文 松前 萬屋宇右衛門
様似
椴法華村史
(昆布の清国直輸出)
天保年間二千五百石)十勝の四千二百六十余石(天保年間二千石)がこれに次ぎ、浦河は約三千石(天保年間千五百石)
様似
函館市史 通説編 第一巻
(箱館の場所請負人)
金 六八一両一分 箱館 若狭屋庄兵衛 浦河 金 八三〇両二分 福山 万屋羽右衛門
様似
椴法華村史
(明治十七年)
・九月 清国商人、昆布・鯣を買い集めはじめ、このため海産物の価格が上昇、三ツ石・浦川・
様似
産の昆布は百石
椴法華村史
(蝦夷地の主要道路)
松前-大野-茅部峠-森-長万部(礼文華-虻田)-幌別-白老-勇拂-
様似
-幌泉-広尾-大津-白糠-釧路(
椴法華村史
(するめ烏賊の回遊)
はこぞって、浦河・広尾方面へ出漁するようになり、その後の昭和三十一年の時には、函館の船の中にも浦河・
様似
方面
函館市史 通説編 第一巻
(江戸交易と東回り航路の発達)
このため幕府は早くも寛政11年、蝦夷地御用として政徳丸を交付し、凌風丸を買上げ、次いで浦賀、大畑および
様似
恵山町史
(1、蝦夷地の直轄)
名は総勢180余名の調査隊を組織し、同年4月江戸を出発、5月福山(松前)到着、大河内政寿は東蝦夷地を
様似
椴法華村史
(陸路の充実)
以上のような幕府の方針に基づき、まず寛政・享和年間(一七八九~一八〇四)には、東蝦夷地長万部-虻田間、
様似
恵山町史
([蝦夷地の馬])
)までの間に軍馬として20頭の馬を送り、その内何頭かはウス(伊達市有珠)で飼育され、ウス、シャマニ(
様似
,11.8キロメートル)の山道が開かれると、幕府は翌年、南部地方から馬60頭、牛4頭を移入し、シャマニ(
様似
恵山町史
(1、異国船の来航)
所の、合計14か所の台場を構築し、さらに勤番所を、東蝦夷地の山越内(現八雲町字山越)・絵鞆(室蘭)・
様似
函館市史 通説編 第一巻
(箱館及び蝦夷地の警衛)
一方、蝦夷地全域の取締り、警備については、安政3年東蝦夷地は室蘭、
様似
、厚岸、国後、択捉の5か所、西蝦夷地
函館市史 通説編 第二巻
(矢越丸による海運業の創始)
また恵山丸の場合も釧路、厚岸方面と三場所(日高地方の昆布主産地で三石、
様似
、幌泉を指す)への航海を意味
函館市史 別巻 亀田市編
(東照宮の建立と焼失・遷座)
明治二己巳五月上山東照宮社兵火ニ焼亡ノ節、御神号ハ
様似
郡等澍院エ守護イタシ、御画像ハ当庵(等澍院休泊所天祐庵
函館市史 別巻 亀田市編
(決戦の状況)
なお御神号については、「明治二己巳五月、上山東照宮社兵火に焼亡の節、御神号は
様似
等澍院え守護いたし……
函館市史 通説編 第二巻
(編集人・紙面改良)
岡野は岡野知十ともいい北海道
様似
の生まれ、12年創刊の「与し余誌」の編集人で、のち東京の小新聞界で活躍
恵山町史
(新たに設けられた19の支庁 明治30年(1897年)10月)
・有珠・虻田・幌別・勇払・白老 浦河支庁 日高国浦河郡浦河村 浦河・沙流・新冠・静内・三石・
様似
函館市史 通説編 第二巻
(清商との取引)
また18年8月7日の「新昆布の景況」という記事をみると3場所(三石、幌泉、
様似
)の新昆布が函館に到着、
函館市史 通説編 第二巻
(西洋形帆船の建造ブーム)
幸丸 長運丸 栄勢丸 環運丸 敦賀丸 新日高丸 昌盛丸 亀子丸 栄昇丸 文明丸
様似
丸,石川 函館 愛媛 東京 新潟 函館 函館 東京 函館 函館 函館 東京
様似
,東京 函館 函館 京都 函館 浦川
様似
大阪 浦川 東京 函館 函館 新潟
函館市史 通説編 第二巻
(醸造)
通じ土石を積み、家屋および醸造所数棟を建築した費用は3万円といわれるが、この資本は佐野が静内、浦河、
様似
函館市史 通説編 第二巻
(刻昆布)
業者は主として北海道産を用いたが、函館の業者は根室産の3等の昆布が8割、残りが厚岸、釧路、国後、三石、
様似
産
函館市史 通説編 第二巻
(巴珍報)
編集者の岡野は日高郡
様似
で出生、その後各地を転住して明治14年6月来函し函館師範学校付属小学校予備教員
函館市史 通説編 第一巻
(円筒土器)
遺跡数も増加し、B式が石狩地方や勇払地方まで分布し、更に地方化して焼尻島、礼文島、旭川、名寄、日高の
様似
函館市史 通説編 第二巻
(日本昆布会社の設立と昆布生産者連合組合の結成)
昆布営業組合連合の設立が決まり、連合組合には上磯組、室蘭幌別組、沙流新冠組、静内組、三石組、浦河組、
様似
組
椴法華村史
(「まこんぶ」「みついしこんぶ」)
長一尺八九寸幅二寸厚五分ノ板片ニシテ一端ハ稍々細ク抜キ挿シニ便ナラシム用材ハいたやトス 投まつけ
様似
郡地方,云ヒ葉質薄ク且ツ短少拾昆布ハ漂着セシモノヲ云ヒ品質劣等)而シテ是等製法ハ各地大同小異ニシテ就中三石、
様似
両水産組合部内最
函館市史 通説編 第二巻
(函館支庁の設置)
、勇払郡 白老郡 北海道庁浦河支庁 日高国浦河郡浦河村 浦河郡、沙流郡、新冠郡、静内郡、三石郡
様似
郡
函館市史 通説編 第二巻
(旧制度の改廃と開拓使の流通政策)
旧分領支配地諸郡には、漁場持の設定がなされず、函館と関係の深い旧東蝦夷地では、小林重吉が三石、杉浦嘉七が浦河、
様似
函館市史 通説編 第二巻
(渡島国を7大区とする企画)
6小区 30村 第22大区(日高国沙流新冠静内三石の4郡)1~7小区 53村 第23大区(日高国浦河
様似
幌泉
南茅部町史 上巻
(町村制度の沿革)
歌棄郡有戸外 一、嶋牧郡本目外 一、
様似
郡
恵山町史
(歴代の村長とその業績・村政の状況)
翌12年には新冠村長に転じ、14年
様似
村長と日高国を歴任。
函館市史 通説編 第二巻
(函館商人の系譜)
杉浦が浦河、
様似
など、藤野が網走、斜里など、栖原が増毛、宗谷などの諸郡の漁場持に任じられ、場所請負制期
椴法華村史
(椴法華村の鰮漁)
明治廿六年ノ調査ニ據レハ二千五百五十六艘《上磯・亀田・茅部・山越・勇拂・沙流・新冠・静内・三石・浦河・
様似
恵山町史
(3、明治前期の昆布漁について)
ミツイシコンブについては、しおほしこんぶ(恵山)、うらかわこんぶ(浦河)、しゃまにこんぶ(
様似
)、そうぱうし
恵山町史
(6、郷土と高田屋嘉兵衛)
嘉兵衛歿後、天保2年(1831)5月、高田屋雇船(大阪大津屋持船といわれているが)栄徳新造(船名)が日高の
様似
沖合,恵山沖から暖流に乗り一気に
様似
、幌泉まで行くことも、寒流と季節風をとらえ3昼夜で江戸湾に入ることも可能
戸井町史
([昆布漁])
文化年間、日高国
様似
(さまに)の漁場請負人栖原(すはら)某が、始めて船と採取用具を使って昆布取を行い、
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