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函館市史 通説編 第一巻
(寺院)
またこの年
浄玄
寺が本山の掛所となり、本願寺箱館御坊
浄玄
寺と改称した。,
浄玄
寺は松前専念寺の掛所であったが、京都の本山は開教上の拠点として箱館に着目し、年額50両の借上会釈金
函館市史 通説編 第一巻
(寺院)
浄玄
寺(浄土真宗、現大谷派本願寺函館別院) 宝永7年に泉沢から、いまの弥生小学校東側辺,元来寛文8(1668)年に、松前専念寺6世
浄玄
が木古内に建立(寛永18年説は誤り)、翌年蝦夷乱で焼け、,宝暦9年に専念寺掛所
浄玄
寺と公称した。
南茅部町史 下巻
(〔嘉永七年「六ヶ場所書上」にみる神社庵室〕)
地蔵庵 壱ヶ所 禅宗箱館高龍寺末 一向宗集場 壱ヶ所 箱館
浄玄
寺末, 稲荷社 壱ヶ所 (神主 同) 一向集場(庵寺) 壱ヶ所 箱館
浄玄
寺末
函館市史 通説編 第一巻
(東本願寺の桔梗野開拓)
東本願寺の桔梗野開拓 安政6年、箱館御坊
浄玄
寺役僧の世話で、東本願寺では箱館奉行に桔梗野の開拓を出願
函館市史 通説編 第二巻
(貨物専用の艀)
その見張所の場所は、船改所の波止場、仲浜町
浄玄
寺通りの物揚場、西浜町物揚場(幸町物揚場両所を兼)、弁天砲台下物揚場
函館市史 通説編 第一巻
(寺院)
浄玄
寺(浄土真宗大谷派) 天明6(1786)年に表門を楼門に造り替えているが、文化の大火で焼け、文政12
函館市史 通説編 第一巻
(元禄の大洪水)
またこのころ八幡社や、弁財天社などを修造し、泉沢の
浄玄
寺が移転したことからみても、この災害を契機として
函館市史 通説編 第二巻
(明治時代の函館の寺院群)
1,828人 浄土真宗 東派別院 元町 浄土真宗 大谷派 東本願寺 松前専念寺6世の
浄玄
が、寛永18,宝暦9(1759)年に、専念寺掛所
浄玄
寺と公称。,安政5(1858)年、幕命により本願寺函館御坊
浄玄
寺と公称。
函館市史 通説編 第一巻
(外国人医師と施療)
外国人医師と施療 安政5年2月、米人医師G・M・ヘーツが来箱、同国貿易事務官ライスと共に
浄玄
寺に止宿
函館市史 通説編 第一巻
(市街の拡張)
また弁天町の坂上には神明社および高龍寺があり、大町の坂上には実行寺、称名寺、
浄玄
寺等の大寺が門を並べて
函館市史 別巻 亀田市編
(瓦と煉瓦)
また、年代はつまびらかではないが、高龍寺、
浄玄
寺、願乗寺、実行寺、湯殿山は同店の瓦を使用したと言われている
函館市史 通説編 第一巻
(文化3年の大火と消防体制)
惣門ならびに門番所、高札場、交代屋敷、仕入物を入れておく板蔵2棟、土蔵1棟、寺院では実行寺、称名寺、
浄玄
寺
函館市史 通説編 第一巻
(米国官吏ライスの在留)
に便乗して箱館に来港し、6日上陸して堀奉行に面会し、大統領の書簡を提出して在留することを告げたので、
浄玄
寺別堂
南茅部町史 下巻
(〔龍宮庵創建〕)
函館の東本願寺の前身である
浄玄
寺の文化文政の過去帳にも、臼尻村・熊泊村の者が亡くなった家族のために、後日
函館市史 通説編 第二巻
(外国人居留地の性格)
函館に最初に外国人が居住したのは、安政4(1857)年のアメリカ人ライスであり、当時大町にあった
浄玄
寺境内,英吉列国岡士館地所 1,500坪 同 仏蘭西館地所 1,500坪 同 亜米利加岡士館地所 1,500坪 大町2丁目
浄玄
寺境内
函館市史 通説編 第一巻
(箱館の町勢)
中の坂 この坂は
浄玄
寺にのぼる坂である。 ,青龍山
浄玄
寺 浄土真宗東本願寺派松前専念寺の末寺であり、宗判の印形は専念寺の印形を用いている。,護念山称名寺 法華寺の東、
浄玄
寺の西うしろ天神町寄りにあり、浄土宗松前光善寺の末寺で、山門、庫裏、本堂
函館市史 通説編 第二巻
(函館中教院における国民教化)
10月27日には、早速、
浄玄
寺・願乗寺を説教場として教導を開始している。,毎月1日・16日・26日 夜講 毎月2日・3日・4日 神明社 夜講 毎月12日・13日・14日
浄玄
寺
函館市史 通説編 第二巻
(居留外国人の家作)
場所は
浄玄
寺境内のアメリカ領事ライスの家の隣である。
函館市史 通説編 第一巻
(ペリー提督上陸会談)
進行しないので、提督は勘解由に対し、夕方まで回答を求めると同時に、市中見学を申入れ、実行寺、称名寺、
浄玄
寺
函館市史 通説編 第一巻
(密貿易)
-中略-私達の持っていった雑貨類は、案内人によってある場所(現在の弥生小学校あたり、当時寺町と呼ばれ
浄玄
寺
函館市史 通説編 第二巻
(実行寺は再建か廃寺か)
函館仏教界も、明治12年12月6日、堀江町より出火した思いも寄らぬ大火に巻き込まれ、実行寺・東本願寺(
浄玄
寺
函館市史 通説編 第二巻
(沿岸型開教と内陸型開教)
3 3 3 2 1 浄土宗 善光寺 称名寺 13 3 浄土真宗
浄玄
寺
函館市史 通説編 第二巻
(幕末の外国人医師たち)
通治療相頼種々薬用仕候得共、今以て全快不仕何共難渋至極に罷在候処、内澗町喜兵衛手代寅之助と申もの長々足病相煩、此度
浄玄
寺止宿
南茅部町史 下巻
(安政の大噴火)
函館
浄玄
寺(現真宗大谷派函館別院)の過去帳に「八月二六日、沙原駒ケ嶽焼崩れニ付、トメの湯ニテ、高田屋新右衛門
函館市史 通説編 第二巻
(箱館開港への対処)
国人同時上陸の際は、高龍寺・称名寺を追加)、御用所を称名寺(3か国人同時上陸の際は、山田屋寿兵衛宅)、応接所を
浄玄
寺
函館市史 通説編 第二巻
(幕領初期に直面した問題)
条約未締結国であるにもかかわらず、薪水・食料の供給をはじめ、ポシュエット他の乗組員の上陸を許可し、かつ
浄玄
寺
函館市史 通説編 第二巻
(米・露・英の領事)
居留外国人の第1号でもあった最初のアメリカ領事は、安政4(1857)年4月に来箱して
浄玄
寺に止宿した、
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