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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 通説編 第一巻 (寺院)

またこの年浄玄寺が本山の掛所となり、本願寺箱館御坊浄玄寺と改称した。,浄玄寺は松前専念寺の掛所であったが、京都の本山は開教上の拠点として箱館に着目し、年額50両の借上会釈金
南茅部町史 下巻 (〔嘉永七年「六ヶ場所書上」にみる神社庵室〕)

          地蔵庵     壱ヶ所  禅宗箱館高龍寺末           一向宗集場   壱ヶ所  箱館浄玄寺末,          稲荷社     壱ヶ所  (神主 同)           一向集場(庵寺) 壱ヶ所  箱館浄玄寺末
函館市史 通説編 第一巻 (東本願寺の桔梗野開拓)

東本願寺の桔梗野開拓 安政6年、箱館御坊浄玄寺役僧の世話で、東本願寺では箱館奉行に桔梗野の開拓を出願
函館市史 通説編 第二巻 (貨物専用の艀)

その見張所の場所は、船改所の波止場、仲浜町浄玄寺通りの物揚場、西浜町物揚場(幸町物揚場両所を兼)、弁天砲台下物揚場
函館市史 通説編 第一巻 (寺院)

浄玄寺(浄土真宗大谷派) 天明6(1786)年に表門を楼門に造り替えているが、文化の大火で焼け、文政12
函館市史 通説編 第一巻 (寺院)

  浄玄寺(浄土真宗、現大谷派本願寺函館別院) 宝永7年に泉沢から、いまの弥生小学校東側辺,宝暦9年に専念寺掛所浄玄寺と公称した。
函館市史 通説編 第一巻 (元禄の大洪水)

またこのころ八幡社や、弁財天社などを修造し、泉沢の浄玄寺が移転したことからみても、この災害を契機として
函館市史 通説編 第一巻 (外国人医師と施療)

外国人医師と施療 安政5年2月、米人医師G・M・ヘーツが来箱、同国貿易事務官ライスと共に浄玄寺に止宿
函館市史 通説編 第一巻 (市街の拡張)

また弁天町の坂上には神明社および高龍寺があり、大町の坂上には実行寺、称名寺、浄玄寺等の大寺が門を並べて
函館市史 通説編 第一巻 (文化3年の大火と消防体制)

惣門ならびに門番所、高札場、交代屋敷、仕入物を入れておく板蔵2棟、土蔵1棟、寺院では実行寺、称名寺、浄玄寺
函館市史 別巻 亀田市編 (瓦と煉瓦)

また、年代はつまびらかではないが、高龍寺、浄玄寺、願乗寺、実行寺、湯殿山は同店の瓦を使用したと言われている
函館市史 通説編 第一巻 (米国官吏ライスの在留)

に便乗して箱館に来港し、6日上陸して堀奉行に面会し、大統領の書簡を提出して在留することを告げたので、浄玄寺別堂
函館市史 通説編 第二巻 (明治時代の函館の寺院群)

宝暦9(1759)年に、専念寺掛所浄玄寺と公称。,安政5(1858)年、幕命により本願寺函館御坊浄玄寺と公称。
南茅部町史 下巻 (〔龍宮庵創建〕)

函館の東本願寺の前身である浄玄寺の文化文政の過去帳にも、臼尻村・熊泊村の者が亡くなった家族のために、後日
函館市史 通説編 第二巻 (外国人居留地の性格)

函館に最初に外国人が居住したのは、安政4(1857)年のアメリカ人ライスであり、当時大町にあった浄玄寺境内,英吉列国岡士館地所 1,500坪 同 仏蘭西館地所 1,500坪 同 亜米利加岡士館地所 1,500坪 大町2丁目浄玄寺境内
函館市史 通説編 第一巻 (箱館の町勢)

中の坂 この坂は浄玄寺にのぼる坂である。  ,青龍山浄玄寺 浄土真宗東本願寺派松前専念寺の末寺であり、宗判の印形は専念寺の印形を用いている。,護念山称名寺 法華寺の東、浄玄寺の西うしろ天神町寄りにあり、浄土宗松前光善寺の末寺で、山門、庫裏、本堂
函館市史 通説編 第二巻 (函館中教院における国民教化)

10月27日には、早速、浄玄寺・願乗寺を説教場として教導を開始している。,毎月1日・16日・26日 夜講 毎月2日・3日・4日 神明社 夜講 毎月12日・13日・14日 浄玄寺
函館市史 通説編 第一巻 (ペリー提督上陸会談)

進行しないので、提督は勘解由に対し、夕方まで回答を求めると同時に、市中見学を申入れ、実行寺、称名寺、浄玄寺
函館市史 通説編 第一巻 (密貿易)

-中略-私達の持っていった雑貨類は、案内人によってある場所(現在の弥生小学校あたり、当時寺町と呼ばれ浄玄寺
函館市史 通説編 第二巻 (居留外国人の家作)

場所は浄玄寺境内のアメリカ領事ライスの家の隣である。
函館市史 通説編 第二巻 (実行寺は再建か廃寺か)

函館仏教界も、明治12年12月6日、堀江町より出火した思いも寄らぬ大火に巻き込まれ、実行寺・東本願寺(浄玄寺
函館市史 通説編 第二巻 (沿岸型開教と内陸型開教)

3 3 3 2 1 浄土宗 善光寺 称名寺 13 3 浄土真宗 浄玄寺
函館市史 通説編 第二巻 (幕末の外国人医師たち)

通治療相頼種々薬用仕候得共、今以て全快不仕何共難渋至極に罷在候処、内澗町喜兵衛手代寅之助と申もの長々足病相煩、此度浄玄寺止宿
南茅部町史 下巻 (安政の大噴火)

函館浄玄寺(現真宗大谷派函館別院)の過去帳に「八月二六日、沙原駒ケ嶽焼崩れニ付、トメの湯ニテ、高田屋新右衛門
函館市史 通説編 第二巻 (箱館開港への対処)

国人同時上陸の際は、高龍寺・称名寺を追加)、御用所を称名寺(3か国人同時上陸の際は、山田屋寿兵衛宅)、応接所を浄玄寺
函館市史 通説編 第二巻 (幕領初期に直面した問題)

条約未締結国であるにもかかわらず、薪水・食料の供給をはじめ、ポシュエット他の乗組員の上陸を許可し、かつ浄玄寺
函館市史 通説編 第二巻 (米・露・英の領事)

居留外国人の第1号でもあった最初のアメリカ領事は、安政4(1857)年4月に来箱して浄玄寺に止宿した、
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