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南茅部町史 下巻
(消防組)
消防組
明治二七年二月、
消防組
規則が公布され、明治二八年二月八日、尾札部村
消防組
を創設する。 ,ついで明治三二年、臼尻村と熊泊村にそれぞれ
消防組
が設置された。 ,39年 4月 1日 二級町村制施行に伴い臼尻村・熊泊村
消防組
を合わせ、臼尻村
消防組
を組織し三分団制, 第二九三号 大正七・三・二〇)
消防組
規則施行細則第一条別表中として、次のように尾札部
消防組
小頭・消防手,ノ件 明治三一年三月北海道庁令第一八号
消防組
規則施行細則第一条別表中 渡島国茅部郡臼尻村臼尻
消防組
/
消防組
函館市史 別巻 亀田市編
(消防組時代)
消防組
時代 (明治三十七年から昭和十四年までの三十六年間)明治三十八年(明治二十七年勅令
消防組
規則施行,)、により組を合併して公立亀田村
消防組
を組織した。,当時は戸数二一八戸、人口一、三〇八人で火災発生件数も年々増加の傾向にあったので、早くから
消防組
の必要性,明治三十八年五月寺島紋太郎を初代組頭とし、公立亀田村
消防組
を創設した。,大正五年には戸数一、〇二九、人口六、一六三人と増大し、一連の都市化が推進されるに従って
消防組
も同年(別 /
消防組
時代
函館市史 別巻 亀田市編
(消防組の設置)
消防組
の設置 明治二十一年三月二十七日、訓令第三十二号により「
消防組
設置準則」が出され、各町村の実状,により適当数の
消防組
を結成することになった。,このため
消防組
の総指揮は警察署長または分署長が行い、消防内の指揮は組頭と小頭が取り、組頭と小頭は選挙によって,また、
消防組
へ入る条件としては、(1)
消防組
設置町村の現住者であること、(2)年齢は満一七歳より満五〇,この訓令第三十二号により、亀田村でも公設の
消防組
が設置されることになり、翌明治二十二年に結成された。 /
消防組
の設置
椴法華村史
(消防組の充実)
消防組
の充実 このように火防宣伝を行う一方、
消防組
は組頭が中心となり設備の充実、消防手の技術向上を計,このガソリンポンプの試験結果はすこぶる良好であり、椴法華
消防組
の見学希望者が次から次へとあり、道南地方各村
消防組
,昭和三年九月十五日 函館毎日新聞 椴法華 △ガソリンポンプ購入当村
消防組
には目下手動ポンプ,このような
消防組
を中心とする村民一体の努力により、消防設備の充実増強、消防手の技術向上、村民への啓蒙宣伝,昭和七年と昭和十一年における椴法華
消防組
の概要は次のようなものであった。 /
消防組
の充実
椴法華村史
(消防組のはじめ)
消防組
のはじめ 明治二十七年二月、
消防組
規則が公布され、これに其づき全国の町村に
消防組
が任意に組織されることになったのであるが,その後明治三十三年六月十一日北海道庁令第七十七号消防設置令の公布により、それまでの任意
消防組
から公設必置,この法令により椴法華村にも
消防組
が設置された。 ,明治三十三年七月一日から〓小寺富太郎が
消防組
の頭取となったが、消防手のなり手がなく誰に当たっても異議が,・明治三十五年八月十九日、椴法華
消防組
、盆の出揃といって、家々門前で梯子(はしご)乗の曲芸を披露、「北海 /
消防組
のはじめ
函館市史 別巻 亀田市編
(公立亀田村消防組)
公立亀田村
消防組
明治二十七年二月勅令第十五号「
消防組
規則」が発布になり、これを受けて五月北海道庁令第二十九号,「
消防組
施行細則及び
消防組
施行細則取扱手続」が定められ、従来の私設消防又は町村別小範囲の
消防組
織は北海道全体,の
消防組
織にまとめられた。,なお明治三十四年四月、亀田村の一部を当時の函館区に編入したが、これに伴い亀田
消防組
の一部を函館
消防組
に,編入し、函館
消防組
第六部として新たな出発をした。 / 公立亀田村
消防組
函館市史 通説編 第一巻
(消防組の設置)
消防組
の設置 箱館にはこれまで
消防組
の設けがなかったが、この大火を機会にこれが設けられたもののごとく /
消防組
の設置
函館市史 通説編 第一巻
(消防組織の確立)
消防組
織の確立 古くは火災発生の際、近隣の人々が協力して消火に当たる以外には一定の
消防組
織を持たず、,火災に出動する専門的な
消防組
織が確立されたのは、次に述べる文化3(1806)年10月4日の大火以降のことであった /
消防組
織の確立
函館市史 別巻 亀田市編
(組織の変遷)
組織の変遷 亀田村役場の事務監査書類によると、大正四年から同十年までの
消防組
織は次のとおりである。,[
消防組
織] しかし、自治消防創設五〇周年記念消防現勢によると、大正五年には、次の四部制に改組されたと,[
消防組
織] しかし、前記監査書類と函館新聞には組織変更は大正十一年となっており、その組織は次のとおりである,[
消防組
織]
南茅部町史 下巻
(熊泊村消防 歴代組頭)
熊泊村消防 歴代組頭 明治32 熊泊村
消防組
創設 初代組頭 磯野太三郎 (明治三九年四月一日,、臼尻村と熊泊村を合わせ臼尻村となり、二級町村制が施行され、臼尻・熊泊
消防組
は、臼尻村
消防組
と改組となる
戸井町史
(一、沿革概要)
一、沿革概要 戸井町に消防の組織ができたのは、明治二八年で、戸井組・小安組の二つの
消防組
がつくられ、,明治四〇年、その後つくられた汐首組をあわせて、戸井
消防組
となり、村内を第一部から第六部までに分け、定員,昭和二二年、
消防組
織法により、消防団となり、六分団、定員一七五名となった。 ,
消防組
の時代は、組頭一名(現在の団長)、部長各組に一名計六名、部長の下に部長を補佐する小頭が各部に二名
函館市史 別巻 亀田市編
(新聞記録)
明治二十二年三月十四日付雑報 亀田村も函館市街に接続のため年々商家の建設を増し、人々稍々非常用心の必要を感じ、当春以来
消防組
新設,二 大正四年一月十四日付報道 亀田村
消防組
は十四日午前八時各番屋集合、九時亀田村役場前に参集し、出初式,三 大正八年正月十八日付報道 亀田村
消防組
吉例出初式は、二十二日同村役場前で行う。
南茅部町史 下巻
(尾札部村消防 歴代組頭・団長)
尾札部村消防 歴代組頭・団長 明治28・ 2・ 8
消防組
創設 初代組頭 吉川与三郎, 28・ 6・29から34・ 4・30まで 消防団長 大川源之助 北海道庁警察部から尾札部村
消防組
組頭吉川与三郎,
消防組
組頭吉川与三郎の辞令 吉川竹雄 提供
函館市史 別巻 亀田市編
(出初式)
大正四年一月十四日刊函館新聞 亀田村
消防組
、十四日各番屋集合八時に亀田役場前参集、出初式を行う。,大正八年一月十八日刊函館毎日新聞 亀田消防出初 亀田村
消防組
吉例出初式二十二日同村役場で行う。
椴法華村史
(防火への関心)
すなわち
消防組
においては以後施設、設備の増強、充実を計画し、消防予算の増加及び消防手の増員に努めた。,
消防組
の充実年度別状況は上の表のとおりであるが、消防予算及び消防手の増強は特に大正十三年が多かった。,椴法華
消防組
このほかにも消防手の技術の向上を図るべく講習会を開催し、さらに村民に対する啓蒙宣伝
函館市史 銭亀沢編
(消防団)
消防団 明治三十六年、銭亀沢村に銭亀沢
消防組
が設立された。,大正期の銭亀沢村の
消防組
合は、大字根崎村、大字銭亀沢村、大字石崎村などの三部に分かれており(大正七年『,函館支庁管内町村誌』)、昭和九年の『村勢一班』によると、銭亀沢村
消防組
は、四組に分れていた。,
消防組
の行事として、出初式や秋季演習などがおこなわれた。 ,この警防団が結成されるまでは、銭亀沢村
消防組
があり、組頭(くみとう)と副組頭(ふくくみとう)がいた。
函館市史 別巻 亀田市編
(函館大火応援)
大火の翌日、亀田村
消防組
は食糧などを荷馬車で搬送して被災者を救護したり、また新川などで焼死した人々を川,昭和十二年ころ、日本が進出していた大陸の情勢が悪化し、当村の
消防組
員も逐次出征し、数少なくなった組員で
函館市史 別巻 亀田市編
(駒ケ岳噴火救援)
地鳴り、山鳴りとともに灰降りしきる危険な中を、当村では他町村に負けじとばかり
消防組
員五〇名をもって直ちに,のため爆発、地鳴り、降りしきる灰の下で、火口より吹き上げる大火柱を仰ぎながら我が身の危険をも顧みず、
消防組
員,昭和五年には天皇陛下初の北海道御親閲の際、亀田村
消防組
より池田音右衛門、本谷勝太郎、佐藤某の三名が旭川市
函館市史 銭亀沢編
(火防)
火防 本村
消防組
ハ之ヲ三部ニ分ツ。大字根崎村大字銭亀沢村、大字石崎村等ナリ。
椴法華村史
(火防宣伝)
火防宣伝 大正十二年の大火後昭和時代に入っても、
消防組
や婦人会は意気込みも強く火防宣伝に活躍した。,函館日日新聞 過年本村大火三十六戸を焼失せしめし以来各自火防に注意、今日まで事なきを得たるは
消防組
函館市史 別巻 亀田市編
(組織)
組織 亀田の消防の沿革は時代によって
消防組
時代、警防団時代、自治体消防時代の三つにわけることができる
椴法華村史
(明治三十三年)
この法令により各町村は
消防組
を設置し、年二回の消防演習を実施しなければならないことを義務づけられる。,かくて椴法華村にも七月一日より
消防組
が結成されることになり、小寺富太郎が初代組頭となったが、
消防組
員(
椴法華村史
(警防団の結成)
北海道行政 昭和十四年五月号より 警防團令施行細則制定 警防團が
消防組
防護團を改組統合,に加味せしめて之を警防精神と為し其の使命に於ては新時代の所産たる防護團の任務とせる國民防空の諸業務に
消防組
,出場手當及非番手當 三、年手當 四、辨當料(以下略) 附則 第七十條
消防組
規則施行細則
南茅部町史 下巻
(臼尻村消防 歴代組頭・団長)
臼尻村消防 歴代組頭・団長 明治32 臼尻村
消防組
創設 初代組頭 篠田繁太郎 34
椴法華村史
(明治二十七年)
明治二十七年 ・二月十日
消防組
規則公布(勅令) 全国の町村に
消防組
が任意に組織されるようになる
南茅部町史 下巻
(〔熊泊鉱山大雪崩(なだれ)事故〕)
鉱山事務所は警察や地元の
消防組
に救援を求め、臼尻や鹿部の
消防組
が救援に馳けつけた。
椴法華村史
(汐首沖の漁船遭難)
この時戸井
消防組
第三部及び汐首青年団の活動によって全員を救助した。
戸井町史
(十三、汐首沖の漁船遭難事件(大正十一年))
この時戸井
消防組
第三部及び汐首青年団の活動によって全員を救助した。
南茅部町史 下巻
(若者組)
篠田順の「臼尻沿革誌」(明治四〇年)には、明治の
消防組
発足以前のことを、「当村臼尻村ハ元若者トカ又熊泊
函館市史 別巻 亀田市編
(発展推移の大要)
発展推移の大要 一 明治三十八年五月、公立亀田
消防組
を創設、村役場に事務所を置く。,四 昭和十四年四月、
消防組
を「警防団」と改称。
戸井町史
((3)〓金沢家(館町))
金 沢 勇次郎 大正二年九月北海道亀田郡戸井村
消防組
第一部消防器具置場
函館市史 別巻 亀田市編
(経過)
経過 亀田村消防が公立
消防組
として創設されたのは、明治三十八年である。
南茅部町史 下巻
(御真影奉戴)
村界ニハ、役場吏員・村會議員・帝國軍人會臼尻村分會員・赤十字社員・熊泊
消防組
・熊泊青年會・村有志者奉迎,此処ニハ、臼尻村ノ官公吏・公職者・青年團員・
消防組
・赤十字社員・帝國軍人會臼尻分會員・愛國婦人會員及臼尻村有志,少憩ノ後、官公吏・公職者・赤十字社員・愛國婦人會員・臼尻
消防組
・臼尻青年團員・臼尻在郷軍人分會員ハ、役場學校
函館市史 別巻 亀田市編
(大正七年の加入状況)
熊井製瓦工場(二)など三 ○亀田村字陣屋通-函館水電株式会社函館変電所 ○亀田村字村内-北海道ガス、
消防組
第四部
戸井町史
(九、汐苜燈台官舎の火事(大正四年))
この火事で、消防に努力した戸井
消防組
の第一部、第二部、第三部に対して、標識管理所長から、北海道庁長官を
戸井町史
(三、椴法華沖の汽船衝突事件(明治四十一年))
救助船の出動を求められたので、巡査三輪亀三郎は
消防組
員を召集し、漁船三艘を出し、青年同志会は二艘を出し,急報に接した戸井分署長萩田七十次警部は、巡査部長と巡査を引率して椴法華に急行し、戸長を督励し、
消防組
員及
戸井町史
((2)池田家(館町))
池 田 栄 吉 北海道厚岸郡厚岸町第三部
消防組
器械蔵置所壱棟並器具器械一式有志共同寄附候段奇特, 池 田 栄 吉 北海道亀田郡戸井村
消防組
第壱部器械器具費, 池 田 栄 吉(二代) 大正二年九月北海道亀田都戸井村
消防組
第一部消防器具置場
椴法華村史
(大海難陸奥丸と秀吉丸の衝突)
救助船の出動を求められたので、巡査三輪亀三郎は
消防組
員を召集し、漁船三艘を出し、青年同志会は二艘を出し,急報に接した戸井分署長萩田七十次警部は、巡査部長と巡査を引率して椴法華に急行し、戸長を督励し、
消防組
員及
函館市史 別巻 亀田市編
(警防団時代)
警防団時代 (昭和十四年から同二十三年までの十年間)昭和十四年、勅令警防団令の施行により従来の亀田村
消防組
戸井町史
(七、古武井、大滝の沢の大火(明治四十三年))
然し古武井までは二里余り離れており、
消防組
を召集する暇もなく、附近から駈けつけた者を督励して消火につとめ
椴法華村史
(椴法華警防団)
昭和十四年四月一日勅令を以て全国の消防団は警防団と改組され、我が椴法華村においても
消防組
は警防団と改められ,、
消防組
員は警防団員とよばれるようになった。
函館市史 別巻 亀田市編
([主な火災])
この地域は木造密集地で、組頭が陣頭指揮を取り、
消防組
の八割が出動したが腕用ポンプが四台よりなく、更に水利
戸井町史
(十二、椴法華、銚子岬沖の磯舟転覆事件(大正七年))
この遭難を目撃した村民や
消防組
員が急いで現場へ行ったが、遭難後一時間も経過していたので、一人も救助することができなかった
椴法華村史
(椴法華回漕株式会社)
椴法華回漕店は株式会社で株主は大部分が村民であり、村民の中でも特に
消防組
の人々によって強い支持を得ていたといわれている
南茅部町史 下巻
(七飯村の記録)
役場・
消防組
・学校職員・青年団員などが出動して、大火鉢に番茶を用意して接待につとめた。
南茅部町史 下巻
(〔渡島東部消防署〕)
消防は火災の消火を任務としているが、明治期の
消防組
創設以来、町村の治安のため災害時には度たび町村長や駐在所
函館市史 通説編 第一巻
(風)
ちなみに、昭和9年3月21日の函館大火の際の風速については、『函館大火史』に函館
消防組
調として「発火時,瞬間風速は、平均最大風速の約1.5ないし2倍というから、発火当時には
消防組
調のように40メートル近くに
椴法華村史
(昭和三年)
椴法華
消防組
、御大典記念としてT型フォードガソリンポンプ購入。
南茅部町史 下巻
(尾札部村の記録)
尾札部村の記録 ・民心安定 噴火直後の六月二四日、尾札部村長から区長、漁業組合長、
消防組
頭、衛生組合長
椴法華村史
(昭和五年)
・元青年團小谷作松・椴青年團三石伊之松・渡邊勇・外に豫備員七名選任 當日は燈火管制も行はるべく
消防組
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