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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 通説編 第二巻 (大町外国人居留地化の意味と課題)

このポーターの家作の要求に対し、文久元年6月27日の応対によれば村垣淡路守は「素々商人共所々に散在候ては,がもたれており、ユースデンは「築出し地所は至て狭く蔵より他は家作取建不相成候」と大町築出地の狭さを指摘し、村垣淡路守,ユースデンに対応するのは勝田伊賀守の意見で「尤此地居留地には無之、蔵地と申義に心得居申候」であり、村垣淡路守,散在候義は何とも御沙汰無之、只今に至り一ヶ所に取纒度由被仰聞候は如何訳に候哉」という質問に対し、村垣淡路守
函館市史 通説編 第一巻 (奉行の増員)

2人で、江戸と箱館とに交互に在勤したが、安政3年7月28日、更に1名を増員し、村垣範正をこれに補し、淡路守
函館市史 別巻 亀田市編 (川上神社)

安政四年三月箱館奉行村垣淡路守より社殿造営料として金一〇両下渡され、石川に社を建立した。
函館市史 通説編 第二巻 (箱館開港と売女渡世の公認)

見込ノ通可被取計候事」という老中の裁可を得て、翌5年1月ライスの元へたまという女性を引き渡した(「村垣淡路守公務日記,箱館奉行の予想通り、この後何件か外国人に″婦人懇望″を申し立てられ、異人休息所へ案内している様子が『村垣淡路守公務日記
椴法華村史 (椴法華近村と通信の充実)

安政四年(一八五七)村垣淡路守の『公務日記』の文中、根田内(現恵山町)及び尻岸内の部分に、江戸や箱館など,『村垣淡路守公務日記之九』   三月廿日、快晴(根田内村へ到着宿泊の部分)   一、良輔箱館江着、
函館市史 通説編 第一巻 (奉行支配吏員)

奉行支配吏員 村垣淡路守範正  また、箱館奉行支配の属吏は、組頭、組頭勤方、調役、調役並、調役下役元締
函館市史 通説編 第一巻 (気象観測)

述べたように、安政元年から風向・風力・天気・気温・地震・雷など、気象に関する観測を行い、それを『村垣淡路守公務日記
椴法華村史 (椴法華と近村の海運)

安政四年(一八五七)三月箱館奉行村垣淡路守は蝦夷地巡察の途中、尾札部・椴法華間を通過したが、この時もまた
函館市史 別巻 亀田市編 (松川弁之助の開拓)

『村垣淡路守公務日記』(大日本古文書、東京大学)には、石川沢御手作場の費用として幾度も金子を弁之助に渡
函館市史 通説編 第一巻 (製鉄)

の計画は経費の関係で放棄し、高炉に全力をそそいだようであったが、それもなお完成しなかったことは『村垣淡路守公務日記
函館市史 通説編 第二巻 (運上会所の創設と通訳)

この時の副使が箱館奉行の村垣淡路守であったこともあろうが、名村は日本を代表するような英語通訳にまでなっていた
函館市史 通説編 第二巻 (箱館奉行の再置)

より外国奉行(初置)兼帯 安政6.6.4より神奈川奉行(初置)兼帯 3 村垣(與三郎・範忠)範正 淡路守,勘定吟味役 安政3.7.28 安政5.10.9 外国奉行 200俵加増 4 村垣(與三郎・範忠)範正 淡路守
函館市史 通説編 第二巻 (牛供給の許可)

「獣畜場」については、「村垣淡路守公務日記」安政5年正月14日条に「豕囲所、御蔵地後千四百三十弐坪、牛囲所
函館市史 通説編 第一巻 (開港前後の観測)

、風力、天気、気温、地震、雷などの気象要素の定時観測(朝夕2回)が行われていたことが、箱館奉行『村垣淡路守公務日記
函館市史 通説編 第二巻 (新しい産業分野をめぐって)

「村垣淡路守公務日記」には、捕鯨船の価格調べの様子を示す次のような記録がみられる。,入港 アメリカ軍艦ミシシツピ(蒸汽フレガット) 乗組308人 8月26日 出港  アメリカ軍艦 「村垣淡路守公務日記,「村垣淡路守公務日記」には、この「鯨火矢」=ボンブランスについて次のようないくつかの記事がある。,柴田利三郎」が乗り組んで、「鯨漁師」も乗っていたので醍醐組の漁師の同行と思われるが、ネモロからは箱館奉行村垣淡路守
函館市史 通説編 第二巻 (大町築出地における分割問題)

さらに、この時期において村垣淡路守とロシア・イギリス・アメリカの各国領事との間で箱館地所規則12か条が
函館市史 通説編 第二巻 (ペリーの抵抗と要求)

をめぐって幕閣内で論議が紛糾したが、最終的には2月22日、下田・箱館を開港する旨正式に決定した(「村垣淡路守公務日記
函館市史 通説編 第一巻 (直捌制廃止の理由)

、口銭上納仕候得ば金拾両程にも相成り候由の処、「右の始末に付掛りのもの了簡にて相済まざる儀に付、内々淡路守殿
函館市史 通説編 第二巻 (五稜郭の採氷)

アメリカのライスが七重浜ゴミ川が氷室の建設場所としてふさわしいとしていることなどが資料に見えている(「村垣淡路守公務日記
恵山町史 (①松前地古武井熔鉱炉の研究並びに考証年表)

翌4年(1857)3月21日にはまだ休業していたが、見分の村垣淡路守は早々操業するよう、現場責任者徳兵衛,この事業は失敗したが、箱館奉行には、竹内保徳(野州)、堀利煕、村垣範正(淡路守)、津田正路ら幕府一流の,為御用御目付堀織部御勘定吟味役村垣与三郎手に付可相勤(水野行敏編、竹塘武田先生伝) 3月27日・村垣淡路守蝦夷地,・この月、弁天砲台着工、*亀田は4年6月着工12月17日・村垣淡路守蝦夷地廻浦へ12月末・仮熔鉱炉(蘭名,この年、高炉火入れ(失敗)(以上、古文の中、脚注なき文書体のものは、村垣淡路守「公務日記」−幕末外国関係文書
函館市史 通説編 第二巻 (場所請負制、沖之口制の継続)

「織部正、淡路守廻浦之上申聞候通り蝦夷地請負之ものは相止メ手捌ニ取計、運送船は勿論、鯨漁船等打立漁事専
函館市史 通説編 第二巻 (「筥嶴経済」にみる産業開発)

産業開発 文久2(1862)年5月24日、老中の水野和泉守から、当時、江戸在勤であった箱館奉行村垣淡路守
函館市史 通説編 第二巻 (農業開拓策)

イワナイの御手作場は、安政4(1857)年、田1反、畑7反というほどであった(「村垣淡路守公務日記」『
南茅部町史 上巻 ([入北記])

万延元年(一八六〇)、村垣淡路守らの遣米使節に随行、「航米日録」をまとめた。
恵山町史 (④尻岸内仮熔鉱炉について)

安政4年3月、箱館奉行村垣淡路守巡視の際に随行した普請役梶山米太郎らの報告には、この仮熔鉱炉を『コウキヤウヘン
恵山町史 ((4)古武井高炉と一連の施設)

このことについて安政4年(1857年)3月、箱館奉行村垣淡路守巡視の際に随行した普請役梶山米太郎らの報告書,①安政4年(1857年)3月、箱館奉行村垣淡路守範正、普請役梶山米太郎を随て尻岸内村々を視察、3月21
恵山町史 (②古武井熔鉱炉に関する研究 幕末期蝦夷地開拓と外国技術)

村垣淡路守公務日記に(以下公務日記と称する)   五月十八日(安政3年) 一、箱館奉行申上候、同所
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