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函館市史 通説編 第一巻
(種痘の普及)
うゑほうそうの図 安政4年箱館奉行はアイヌが天然痘で多く死ぬのを憂い、桑田立斎を東蝦夷地に、
深瀬洋春
,
深瀬洋春
は父が羽州米沢から箱館に渡った町医師で、洋春は箱館で生まれた。
南茅部町史 下巻
(〔鱈肝油製造の試み〕)
「侍医安藤精軒」は、「箱館裁判所人名録に「参事席 安藤精軒、病院掛
深瀬洋春
」らとともにその名をつらねている,箱館裁判所人名録 参事席 安藤精軒 病院掛
深瀬洋春
従事席 クスリ詰病院掛
南茅部町史 下巻
(〔大舟上の温泉〕)
のち、臼尻部落の所有となり、明治三四、五年ごろ、函館区
深瀬洋春
が買い受けたという。
函館市史 通説編 第一巻
(御雇医師)
安政4年幕命を受けて、蝦夷地のアイヌに強制種痘に来た
深瀬洋春
は、箱館の生まれであるがのちに述べる。
函館市史 通説編 第二巻
(新体制下の病院)
組織や医員の変化もあって「箱館裁判所人名録」には参事席・安藤精軒、病院掛・
深瀬洋春
とあり、その他釧路詰,3年10月の「開拓使職員録」によれば病院には、1等(大主典上席)馬島春庭、2等(権大主典次席)
深瀬洋春
,それによれば、
深瀬洋春
がやめて中助教林洞斎が入り、滝野と橋本龍三がやめて、中得業生田中尭民と3等医渡辺周斎
函館市史 通説編 第二巻
(種痘の普及)
北海道においては、和人の移住が原因でアイヌの間に流行し、安政年間に桑田立斎や
深瀬洋春
が幕府の命でかれらに,函館の医師のうちでは、5年、開拓使等外1等付属の鈴木良斎や8年、開業医
深瀬洋春
が免状を交付されている記録
南茅部町史 下巻
(郷土の医療の始め)
明治期、函館病院の院長であった
深瀬洋春
・深瀬鴻堂の父である。
函館市史 通説編 第二巻
(幕末の外国人医師たち)
乍恐以書付奉願上候 私義、小商渡世罷在候処、三ヶ年以前巳年より腫物相煩候に付 田沢春堂 山口玄栄
深瀬洋春
,特にアルブレヒトの後任のザレンスキーは黴毒治療に特技を有したといわれ、
深瀬洋春
、永井玄栄、下山仙庵、高橋元済
函館市史 通説編 第二巻
(ロシア病院と医学所の設立)
組織としては「頭取」という名称で下山仙庵、田沢春堂、
深瀬洋春
、永井玄栄、柏倉忠粛を代表者として擁し、その
函館市史 通説編 第一巻
(箱館医学所(兼病院))
匏庵の案で5人の頭取(下山仙庵・田沢春堂・
深瀬洋春
・永井玄栄・柏倉忠粛)が選ばれ、その下に7人の世話役
函館市史 通説編 第二巻
(会社組織と株式募集)
60 60 60 50 50 50 40 40 40 40 40 40 40
深瀬洋春
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