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函館市史 銭亀沢編
(志苔館と渡党)
志苔館と
渡党
一般に志苔館を含めて「道南の十二館」という。,
渡党
と云ふはかれ等が末なり。,『新羅之記録』は、その末裔を「
渡党
(わたりとう)」と呼ぶと伝えるのである。,その意味で、この古代末期における渡島者は、原「
渡党
」といえなくもなく、かかる「
渡党
」の人びとの渡島は年,道南には、この小林氏をはじめ「
渡党
」たちの生活の痕跡がさまざまに残されている。 / 志苔館と
渡党
函館市史 通説編 第一巻
(諏訪大明神絵詞)
諏訪大明神絵詞 当時、この地に渡り住んだものは、
渡党
(わたりとう)の名で呼ばれていたものらしく、すなわち,千島というのは、わが国の東北に当る大海の中央にあって、そこには日(ひ)の本(もと)、唐子(からこ)、
渡党
,そのうちには宇曽利鶴子州と万堂宇満伊犬という小島もあり、
渡党
は多く奥州津軽の外ヶ浜に往来して交易している,一方、
渡党
は和人に似ているが髭(ひげ)が濃く多毛である。言語は俚(り)野だが大半は通ずる。」,であり、それに出てくるウソリケシ、マトウマイヌの地名は函館・松前と見て誤りはなく、これら北海道の南部の
渡党
函館市史 銭亀沢編
(概説)
是
渡黨
ノ初メニシテ更ニ下ツテ文暦時代ニ至リ北條氏和田ノ一族其他不逞ノ徒ヲ捕ヘテ蝦夷ニ放ツ。,是ニヨリ之ヲ案ズルニ當地ハ津軽下北二半嶋ト僅ニ一葦帯水ヲ隔ツルノミナレバ、
渡党
及鎌倉残徒ノ走リテ是ガ始祖
椴法華村史
(本州との交易)
一三五六)の『諏訪大明神絵詞』によれば、『蝦夷カ千島ト云ヘルハ我國ノ東北ニ当テ大海ノ中央ニアリ日ノモト唐子
渡党
此三類各三百三十三,ノ嶋ニ郡居セリト、一嶋ハ
渡党
ニ混ス、其内二宇曾利鶴子、万堂宇満伊犬ト云小嶋トモアリ、此種類ハ多ク奥州津軽外
函館市史 別巻 亀田市編
(東北・北陸との交流)
一三五六)年の『諏訪大明神絵詞』によれば「蝦夷カ千島ト言ヘルハ我国ノ東北ニ当テ大海ノ中央ニアリ日ノモト唐子
渡党
此三類各三百三十三,ノ島ニ群居セリト、一島ハ
渡党
ニ混ス、其内ニ宇曽利鶴子、万堂宇満伊犬ト云小島トモアリ、此種類ハ多ク奥州津軽外
函館市史 銭亀沢編
(安藤康季の渡道と「道南の十二館」)
この地域は、一四世紀末から一五世紀初頭の志苔館と戸井館の築造に象徴されるように、蝦夷島の南でも逸早く「
渡党
,アイヌとの交易が活発になるに伴い、「
渡党
」と中世アイヌとが交易をめぐって競合する地域でもあったので、ほかの,推測をたくましくすれば、永享十一年以前のある時期、「平氏盛阿弥」を中心とする「
渡党
」たちが、昆布漁や鍛冶業,先住のアイヌと隣接する地内の東端の石崎に所在する
渡党
の生業神としての「脇澤山神社」を小林氏が「館神」として,館の築造は、館主、従者、さらには「
渡党
」の和人の居住空間であった。
函館市史 銭亀沢編
(志苔館跡に生活をしのぶ)
前に、この志苔館は、一四世紀末期、津軽の「日ノ本将軍」安藤氏の支援のもと、「
渡党
」の小林重弘が築造したと
函館市史 銭亀沢編
(志海苔古銭をめぐって)
がこの館と古銭を、となれば、これまでの推測による限り、答えは、津軽「日ノ本将軍」安藤氏の支援に依った「
渡党
,むべきではあるが、先住民としてのアイヌと境を接する志苔館の立地条件と安藤氏と小林氏の経済力から考えて、「
渡党
恵山町史
([昆布の道])
[昆布の道] 下海岸一帯に和人が大挙して渡来したのは13世紀中頃、南部氏に追われた安東氏一族、
渡党
と
函館市史 銭亀沢編
(光広の大館移住)
この間、領主不在のまま庶民「
渡党
」の中世の中に、近世の具体的な村落形成を準備することとなる。
函館市史 銭亀沢編
(銭亀沢周辺の地名)
第七巻史料一)などから「文治年間源頼朝奥羽を征するや、泰衡の残党逃れて津軽に奔り後蝦夷地に入る、是れ
渡党
函館市史 銭亀沢編
(志苔館跡の発掘調査)
ともあれ、一四世紀末期、「
渡党
」に出自する小林氏は、自らの生活の場でもあり軍事的な防衛の場でもある志苔館
函館市史 銭亀沢編
(志海苔の鉄)
推測をたくましくするなら、乙孩は先祖が擦文時代に修得していた伝説の鍛冶技術を拠りどころにして、和人「
渡党
函館市史 銭亀沢編
(幕末の村むら)
小林太郎左衛門良景の居趾と言い伝えられ、良景は本国上野の
渡党
で、良景の祖父次郎重弘がこの地に渡って住んだという
函館市史 銭亀沢編
(目次)
志苔館とその周辺からみる中世世界(佐々木 馨)…39 古代・中世の地域・民族呼称/志苔館と
渡党
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