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函館市史 通説編 第一巻
(崇広の嘆顧)
賜わった例もあるから、西蝦夷地の内、津軽藩の支配地を除き、久遠から厚田に至る15場所ならびに乙部から
熊石
,しかし後、元治元(1864)年崇広が老中に就任すると、11月19日に至り乙部から
熊石
に至る8か村を賜わり
戸井町史
(一、運上屋時代(場所請負時代))
和夷雑居地から東、汐首岬以東、西、
熊石
以西は蝦夷のみが居住していた。 ,するため、和人と蝦夷の居住地を区分することを考え、天正十八年に当時の和夷の居住現状により、汐首岬以東、
熊石
以西,を蝦夷地とし、東蝦夷地、西蝦夷地と名づけ、
熊石
から汐首までを和人地とした。
函館市史 通説編 第二巻
(函館県警察の発足)
亀田郡 16.11.14 寿都警察署磯谷分署 磯谷郡島古丹村 磯谷郡 16.11.14 江差警察署
熊石
分署,爾志郡
熊石
村
熊石
相沼内 泊川 17.2.14 福山警察署江良町分署 松前郡江良町村 雨垂石 茂草
椴法華村史
(場所)
下級武士は切米取と称して米を与えられる)は、和人地においては漁獲物を現物税として徴収し、蝦夷地(西、
熊石
函館市史 別巻 亀田市編
(中島有郷)
その後、札幌郡篠路村、瀬棚郡利別村、爾志郡
熊石
村の各村長を歴任し、大正十四年十二月亀田村長に当選した。
函館市史 通説編 第二巻
(松前藩との戦闘)
りを感じていた海軍士官の要請で、敵状視察にやって来ていた旗艦開陽は、松前勢が江差も支え難いとの判断から
熊石
,松前藩主松前徳広は、逃れて
熊石
から近臣と共に和船で津軽へ渡ったが、失意の内に没している。
恵山町史
([渡島半島“みち”のはじめ])
蝦夷島の統治者となった松前藩は、和人の定住地を東は亀田(函館市)から、西は
熊石
までに限定し、この区域を,そして、亀田以東の内浦湾・襟裳岬・根室半島、国後・択捉島を加え知床岬までを「東蝦夷地」、
熊石
以北宗谷から,松前地と蝦夷地の境には亀田・
熊石
番所(関所)を、福山・江差・箱館の3港に沖の口(税関)を設け、規定の諸税
函館市史 通説編 第一巻
(江戸時代の用語)
安永8年に、また続いて3編6巻が享和元(1801)年に出版されているが、3編巻之5には松前と蝦夷の境の
熊石
,『雲根志』(今井功訳注解説・昭44)にある江差の村上八十兵衛の話によれば、安永6年から8年に
熊石
に落雷
函館市史 通説編 第一巻
(三港の戸口比較)
11,637 10,746 備考 福山村々は知内より小砂子に至る21か村 江差村々は石崎より
熊石
椴法華村史
(安東氏より独立)
このように松前藩は、蝦夷地に支配地を持つようになったのであるが、最初の実支配地は、普通和人地と呼ばれた西は
熊石
,なお松前藩は、和人地の西端の
熊石
と、東端の亀田には番所を設置して、出入者、出入船の検査を行っている。
函館市史 通説編 第一巻
(生産および流通の変化)
により、従来わずかに前浜での昆布・鰊・その他魚介類などの漁労に過ぎなかったものが、西海岸では追鰊といって
熊石
以北
戸井町史
(二、松前時代前期の概観)
藩主慶広は蝦夷との紛争を緩和し、軋轢を回避するために、東は汐首岬、西は
熊石
を境界として和人地と蝦夷地に,この時代の初期の享保年間(一七一六―一七三五)から、汐首岬以東と
熊石
以西の蝦夷地に「場所請負制度」が適用
椴法華村史
(主要道路の開削)
岩内間 仝 仝 ○岩内-余市間 仝 開削・修理 ○余市-小樽間 仝 開削 ○
熊石
函館市史 銭亀沢編
(〈ブカタとヤトイ〉)
青森県の南部地方(南部衆)、秋田県(秋田衆)などからのヤトイもいたが、道内の島牧、乙部、
熊石
方面からの
函館市史 通説編 第一巻
(地震観測と午砲)
としてかなり早くから観測が始められており、明治15年には、すでに福山、江差、久遠、寿都、森、福島、江良、俄虫、
熊石
函館市史 別巻 亀田市編
(松前藩の蝦夷地統一と番所の設置)
ともに蝦夷地の支配者となり、松前氏は政治の中心を本拠地松前の地に置き、その支配地である和人地の両端、西は
熊石
函館市史 別巻 亀田市編
(段丘形成と人類)
長万部段丘、日吉町段丘、
熊石
町中位段丘と知内、上ノ国、江差の海成段丘で、14C年代測定によると三万三、,年代の新しい知内と
熊石
を除くと三万年代である。
函館市史 別巻 亀田市編
(亀田)
当時は、上の国百四、五〇軒、福山一二〇軒程、
熊石
八〇軒で、亀田近くでは「箱館 澗有、古城有、から家あり,西の
熊石
と東の亀田に番所を置いて取締ったが、箱館や志濃里など、東の海岸は古くから昆布などの産地として知
南茅部町史 下巻
(大正四年 函館港海運・回漕店)
平穏丸 酒田・加茂行 定航第二 近洋丸 江差・蚊柱・相沼内・
熊石
,北海道庁命令航路 補助定期 日向丸 福島・福山・江良町・江差・蚊柱・相沼内・
熊石
恵山町史
([函館・椴法華線『下海岸道路』の国道(278号線)昇格])
45年3月1日、南北海道市町村連絡協議会の主催で函館市共愛会館を会場に、この『国道277号線(八雲・
熊石
線
函館市史 通説編 第一巻
(俵物指定問屋)
場所請負人および生産者から俵物を買入れさせ、その指定問屋は、松前は河内屋増右衛門、箱館は長崎屋半兵衛、江差は
熊石
屋吉三郎
函館市史 銭亀沢編
(アイヌの存在形態)
中世末期に形成されていた上ノ国から知内間の初期和人地が、寛文期(一六六一~一六七三年)頃までに、西は
熊石
南茅部町史 下巻
(上磯式 奴振り)
桧山管内
熊石
相沼奴 原型は奉納奴。相沼八幡神社の祭りに登場。
恵山町史
(3、松前島郷帳・松前蝦夷図にみるアイヌ居住地と和人村)
また、松前福山諸掟によれば、1691年(元禄4年)西蝦夷地(日本海側)現
熊石
町字関内以北については、和人定住
恵山町史
(恵山に登った菅江真澄)
渡来目的は松前各地の見聞であったが、当時、松前藩はアイヌ居住地(蝦夷地)と城下(日本人村・松前から西側、
熊石
町関内
函館市史 銭亀沢編
(松田家と樺太)
この漁場では地元の銭亀沢をはじめ道南の
熊石
や乙部、遠くは秋田県からも漁夫を雇っていたという。
戸井町史
((参考)北海道と青森県の円空仏)
(参考)北海道と青森県の円空仏 ①北海道の円空仏 場所 像の種類 摘要
熊石
町泊川 北山神社 観音像,
熊石
町泊川 根崎神社 聖観音立像 台座共九二、五センチ、身高五九センチ 乙部町花磯(旧蚊柱村) 本誓寺
函館市史 通説編 第一巻
([日吉町段丘について])
長万部町付近の長万部段丘(標高60~40メートル)、松前半島の三ッ石段丘(標高40メートル)、檜山西海岸の
熊石
付近,また檜山郡
熊石
町付近の第2段丘も前述したように日吉町段丘に対比されるものであるが、西浜付近では基盤岩の
恵山町史
(歴代の上席書記・助役)
小西栄作(昭和15年5月2日~同18年1月21日) 左沢の後任、小西栄作は爾志郡
熊石
村字根崎の出身,、大正6年郷里の
熊石
村役場に奉職、同13年檜山郡厚沢部村に転勤したが、同15年には樺太(サハリン)に渡
函館市史 通説編 第二巻
(北海道における近代寺院の造立と函館)
妙心寺 小樽長昌寺 函館高龍寺 本願寺 本願寺 松前正行寺 小樽長昌寺 札幌新善光寺
熊石
門昌庵
恵山町史
([蝦夷地の馬])
れることのなきよう、急いで申し付けるべきである』と記されていることから、松前藩の給地内(東は石崎村から西は
熊石
村
恵山町史
(1、郷土の起源・集落の形成)
茅部・野田追の漁業交易区域)」を、1801年(享和元年)日本人の定住者が多いことを理由に、西蝦夷地の
熊石
村
南茅部町史 下巻
(明治)
江差から
熊石
を経て久遠に至る線路は江差久遠両局から四・九の日午前六時に出発した。
函館市史 通説編 第二巻
(区営港湾改良工事)
根室、石狩川水運開拓による石炭運搬、函館、室蘭、砂原、森、江差、小樽、岩内、
熊石
、福山、寿都を調査している
恵山町史
(2、開国・蝦夷地の再直轄)
上申)を検討し、翌1855年(安政2年)2月22日、木古内以東、箱館六ケ場所を含む東蝦夷地、乙部以北
熊石
村
恵山町史
(渡島半島の地震・津波被害)
群発地震 ・1966年(昭和41年)八雲町鉛川の群発地震(最大M4.6) ・1957年(昭和32年)
熊石
戸井町史
([蝦夷地と馬])
寛永十年(一六三三)以来、将軍が代変り毎に巡見使が派遣され、その一行が馬に乗り、大行列を組んで、西は
熊石
恵山町史
([明治・大正時代の漁業])
しかしながら、江戸時代、蝦夷島(北海道)の主権を握った松前氏は、福山(松前)に居城を構え、西は
熊石
(関内
南茅部町史 上巻
(町村制度の沿革)
上ノ国村 乙部村
熊石
村
函館市史 通説編 第二巻
(漁業生産の推移)
この中で渡島国は噴火湾の森までの茅部郡から
熊石
までの爾志郡を含む以南の地域である。
恵山町史
(戦後の遭難)
恵山灯台東南二・六二哩の海上で東京都中央区泉汽船の汽船「第八泉丸」(二、一七〇トン)とイカ釣り操業中の爾志郡
熊石
村黒田氏所有漁船
恵山町史
(恵山地域の地震活動)
有珠火山での活動を除くと、活動は2つの地域(八雲(くも)−
熊石
(くまいし)の地帯および駒ヶ岳−函館−厚沢部
恵山町史
(2、箱館六ケ場所の成立)
西蝦夷にあっては元禄4年(1691)
熊石
村関内以北への和人の出漁を禁じており(松前福山諸掟)、その後享保年間
恵山町史
([箱館裁判所(箱館府)と箱館戦争])
松前藩主徳広は、11月19日、
熊石
、関内村目谷又右衛門の250石の小舟で船出、21日夜半、津軽郡平館砲台下
戸井町史
([戸井の地名考])
昔は汐首と
熊石
が、和夷の境界であったが、
熊石
附近にもエゾムラという地名があった。
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