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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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南茅部町史 上巻 (昭和の献上昆布)

昭和の献上昆布 昭和一一年秋、天皇陛下の北海道行幸をお迎えすることになった。,昆布の採取は尾札部木直昆布海区の境界で、尾札部村の村場所として知られている日陰浜沖に選定した。  ,実に謹厳壮観な献上昆布採取の状況であった。  ,天下昆布にはじない絶品を正副各一把ずつ仕上げた。  ,昭和一一年夏の献上昆布謹製は、記録写真が一連で保存されている。 / 昭和の献上昆布
函館市史 通説編 第一巻 (昆布税)

尤も献上昆布は志野利浜宇加と申す所の海取分能(よき)ゆへ取申し候由   収納 亀田村 十三駄 内半駄献上,二十五駄納の時は切昆布と申し、元昆布の能を取り末の薄きあしき所にて外より多く赤昆布納め申す候事は、昆布出所,赤昆布は、一名天下昆布ともいい、幕府にも献上した最良品で、この昆布と普通の昆布の区別について『松前蝦夷記,之を吟味いたし献上昆布に仕立申す由。,青昆布は沢山、是も本末段々分け申す由、本の能所は赤昆布の如く、知らざるものは是も本赤昆布と存じ、尤も常 / 昆布税
椴法華村史 (享保二年ころの昆布の種類)

享保二年ころの昆布の種類 享保二年(一七一七)ごろの昆布の種類について『松前蝦夷記』は次のように記している,本赤昆布と申は、右の如く常の青昆布の内、千枚に一枚も他目なきものにて候由、青昆布は沢山、是も本末段々分,け申候、本能所は赤昆布の如く、不知者は是も本赤昆布と存、尤常の商売の赤昆布は夫を用申よし。    ,元来赤昆布は昆布の中で品質の下等なものに属し、今日では荒昆布・塩昆布と呼ばれるものであるが、当時は色彩,の点で賞せられていた故か珍重せられ献上昆布としてこの赤昆布が用いられていた / 享保二年ころの昆布の種類
南茅部町史 上巻 (入稼地)

この地方の漁業は鱈漁であり昆布漁である。,昆布は、志苔の昆布が上品で比類なく献上昆布となり、外国交易の品として長崎に送られると。  ,この地方の稼(かせぎ)(家業)は、昆布が第一であるとも記している。,このためか、松前、江差地方からは、妻子と家財を船に乗せて昆布採りにやってくると。,このことから単身入稼(いりかせぎ)の者はこの地に定住し、妻子と来た者も一家が昆布採りに来たまま住みつくことが
南茅部町史 上巻 (松前昆布)

宇賀昆布として知られたこの地方の昆布は、松前地の名産として松前昆布と呼ばれ、若狭の小浜へ積み送られていた,享保二年(一七一七)の松前蝦夷記には、昔から昆布は大別して、赤昆布・本赤昆布・青昆布・切昆布・細昆布などにわけられていた,赤昆布は品質は今では荒昆布・塩昆布と呼んで下等なものであるが、当時は色彩の点で珍重されたものか、献上昆布,海辺二十里外の所にて取申候 尤献上昆布は志野利浜宇加と申処の海取分能ゆゑ取申由   一、収納 亀田村,天明年間(一七八一)、大坂には数軒の昆布問屋が開業されて、昆布商として荒昆布を刻(きざみ)昆布に加工が / 松前昆布
函館市史 銭亀沢編 (宇賀昆布)

宇賀昆布 ところで一四世紀中葉に書かれたとされる「庭訓往来」(『続群書類従』巻三六一)に諸国の産物が,その中に「宇賀昆布」も並んでいる。,の「松前蝦夷記」に「東郷亀田村志野利浜ト云所より東蝦夷地内浦嶽前浜まで海辺弐拾里余之所ニテ取申候、尤献上昆布,志野利浜の昆布は上品にあらざれども、長崎の俵物にて、異国人懇望する故金高也。,志苔から噴火湾沿岸の各地が良品質の昆布産地(特に尾札部)として著名になるにしたがって、宇賀昆布は『庭訓往来 / 宇賀昆布
戸井町史 ([昆布漁])

然し献上昆布は、志野利浜と宇賀というところの海からとれるものが、特別品質がよいので、そこから取るとのことである,これを吟味(ぎんみ)して献上昆布にするという。  ,銭亀沢の宇賀や志海苔産の昆布は献上昆布にはならなかったのである。    ,又この昆布は献上昆布にもなるという。    ,島之烝が御上り昆布(○○○○○)と書いているのは、これ以前の古書の献上昆(○○○)布(○)であり、菓子昆布 / [昆布漁]
南茅部町史 上巻 (口絵)

と〓竹中自動車 昭和5年 板木(安浦)の鰮漁の景況 昭和のはじめ 安田範彦所蔵 献上昆布
南茅部町史 下巻 (漁業開拓三百年記念の歌)

主題歌「大謀網ばやし」と、「ふるさと慕情」を加えてテイチクレコードでレコードを制作して、記念式典に有料頒布した,がこもる 楽し誇りの  川汲・尾札部 磯の帯 エーエ ヨイト ヨイヨイ  恵比須浜 サテ 献上昆布
南茅部町史 上巻 (【資料】滕知文「東夷周覧」(享和元年・一八〇一))

春彼岸ヨリ春土用マテハ鯡漁ヲ専ラトシ夏土用入ヨリ八月マテハ昆布ヲ取ル。,此所昆布至テ多ク其上志野利ト云ル所ヨリ産スル昆布ハ極メテ上品ニシテ外場所ニ比類ナシ。,故ニ献上昆布トナリテ其餘ハ皆長崎へ渡シテ外国ノ交易トナルト云。,此所ノ稼ハ昆布ヲ以テ第一トス。,夷人稼業男子ハ春鯡漁カスベ稚茸昆布鱒。九月ヨリ川々ニテ鮭漁ヲナス。
恵山町史 (4、江戸時代の昆布漁)

この「夷布」とは「昆布」のことである。,また、「献上昆布は、志野利浜と宇賀というところから採れるものが特別品質がよいので、そこから採る」となっている,<昆布の銘柄、赤昆布・青昆布>  当時の採取昆布の種類については、赤昆布・本赤昆布・青昆布・切昆布・,これを吟味して献上昆布にする」という。「本赤昆布というのは、普通の青昆布のうち千枚に1枚もない。,刻昆布の原料となる、長切昆布・棹前昆布・駄昆布・拾昆布は、長切昆布を除いて価格の安いものである。 / 4、江戸時代の昆布漁
戸井町史 ([松浦武四郎の『蝦夷日記』(嘉永三年)])

昆布取小屋がある。,小川があり、昆布小屋がある。この辺の昆布は巾広く丈が長い。花折りにするのであろう。,この村の昆布は皆長崎屋に納める。この昆布は御物(献上昆布)になるという。,その味はともかくとし、昆布の大きなことは、この村からシノリ辺の昆布以上のものはない。,このあたりは昆布漁を第一としている。
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