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函館市史 通説編 第二巻
(産物会所の設置)
産物会所
の設置 開国、自由貿易と大きく変わって来た対外関係、緊張の避けられない国際情勢のなかで、幕政強化策,が様々にとられるが、安政3(1856)年の「通船改会所諸
産物会所
」構想(『幕外』14-201)も、そのような,箱館
産物会所
は、この構想の一環としてのものの実現という意味があったようである(永井信「箱館
産物会所
の機能,と意義-幕末産業統制の破綻-」『北大史学』第8号、守屋嘉美「幕府の蝦夷地政策と箱館
産物会所
-安政期幕政,
産物会所
は、甚だ評判が悪かった。 /
産物会所
の設置
函館市史 通説編 第一巻
(産物会所の設置)
産物会所
の設置 幕府の蝦夷地再直轄は、開港および北辺の防備という対外的な要因によって行われたものであったが,そのため、箱館奉行所は、安政4(1857)年幕府へ
産物会所
の設置を稟請した。 /
産物会所
の設置
函館市史 通説編 第一巻
(会所設置の目的)
会所設置の目的 従って、この
産物会所
の目的は、名目的には、 (1)密貿易・抜荷取締,すなわち、各地
産物会所
の主要な任務は、拡散した漁場仕込制を統制し、外国貿易を幕府の手に握ることであった,こうして幕府は、箱館はじめ各地の
産物会所
を介して、蝦夷地の生産および流通に全面的な統制を加え、そのなかから,なお、この
産物会所
は、産物振興のため鉱山の開発、硫黄の買上げ、養蚕機織の奨励、陶器および紙の製造、紫根
函館市史 通説編 第一巻
(市街の拡張)
役所正門から海岸に向かって広い坂道が通り、貿易港としての表玄関である運上所、
産物会所
および交易会所につき,それに続く大町は
産物会所
、交易会所から、内陸の旅人、商品の出入を取締まる沖ノ口役所および問屋、小宿、諸商人
函館市史 通説編 第一巻
(藍)
藍作に熟練した者2名を招き、種子2斗7升を播(ま)いて藍玉584個、目方にして75貫200匁を収穫し、
産物会所
函館市史 通説編 第一巻
(杉浦嘉七の埋立)
地蔵町海面(いまの豊川町の一部)の埋立を出願、2,865坪余の新地を得、内1,003坪5合を冥加として
産物会所
倉庫地
函館市史 通説編 第一巻
(会所の設置地)
会所の設置地 幕府は、ただちに箱館奉行の意見を受け入れ、前幕府直轄時代の
産物会所
の例に準じ、2、3年試
恵山町史
(『福島屋文書』「取扱向大意心得帳」万延2年(1861)より (市立函館図書館所蔵))
箱館開港以来、外国人の需要により、箱館奉行所では近在の村々に五升芋の作付けを奨励し、箱館
産物会所
で買い,
産物会所
の記録(福島屋文書)によれば、万延二年の買い上げ見込みは凡そ八万俵である。
函館市史 通説編 第一巻
(鶴岡町海面埋立と蓬莱町排水)
そして一方には
産物会所
用達杉浦嘉七、山田寿兵衛外1名組合に換地を与えるため、鶴岡町の海面5,190余坪
椴法華村史
(亀田御役所の行政)
榎本軍の御役所が、単に村々に用向をいいつけるだけでなく、海産物の密売取締り、御役銀(税)の制度を採用し
産物会所
,之右品々取扱所取立御配締者勿論商人共難渋不致様能法相立〓間当嶋出産之ゟ其外内地ゟ積来〓分共明歳賣買之度々
産物會所
江可二罷出一而得差図若密商等以至
函館市史 通説編 第一巻
(各会所用達)
これらの
産物会所
では、蝦夷地からの船舶、貨物を検査し、商人に入札で貨物を売買し、その代金を会所に納めて
函館市史 通説編 第一巻
(機械)
産額は文久2年ころには1か年2,000反内外で、これを
産物会所
付属の用達に命じて販売させ、また将軍家奥向用
函館市史 通説編 第二巻
(設置の理由)
、西蝦夷地の産物は松前沖の口で検査収税する制度を設け、安政4年閏5月7日に密取引防止の方法として箱館
産物会所
,維新後、明治政府のもとで、箱館府は本道統治に当って幕府の組織を継承して箱館
産物会所
も同じく機能を継承して,そこで開拓使は三井組および小野、島田両家に開拓使御用達北海道産物取締方を命じ、「
産物会所
規則」を制定して
南茅部町史 下巻
(五升芋)
このため奉行所では箱館近在の村々に、五升芋の作付を奨励して、現物上納とさせ、箱館
産物会所
で買上げた。,福島文書「
産物会所
」の記録によれば、この年の秋の村々の五升芋の買上見込みは凡そ八万俵であったという。
南茅部町史 下巻
(〔川汲山銀銅山〕)
このため鉱山師(やまし)に対し薬料として金三分ゟ一両を加えたり、
産物会所
からの鉱山の使い用品物には課する
函館市史 通説編 第二巻
(「筥嶴経済」にみる産業開発)
前出の「書類」にも「御損失」や「御益」について、触れた内容の部分がある(「
産物会所
之事」の項では、川汲山,五升芋、金銀山、
産物会所
の3項で「御損」の90パーセント以上の金額をしめしている。,
産物会所
の経理の内容は全く触れられていないまま金額があげてあるので実状は不明であるが「御入用并御手当其外,」とあるので会所の運営の経費が支出されている状況だけをしめしているものと思われる(この
産物会所
の項に薬種類,17,285 養蚕(安政4~文久2年) 10,117(諸入用) 11,684(上納、有品代) △1,567
産物会所
函館市史 通説編 第二巻
(運上会所設置と海岸道路普請)
この運上会所が、
産物会所
とともに大町の御作事場に建設されることに決まったのが安政5(1858)年10月,万延元(1860)年7月1日運上所波止場が落成し、10月20日に全体で4551両をかけた運上会所
産物会所
建築工事
南茅部町史 下巻
(〔川汲山銀銅山〕)
はじめは砥石山入用の諸物品は、箱館の
産物会所
から仕送りしていたが、万延二辛酉年(一八六一)甚右衛門が砥石山運送御用
椴法華村史
(明治二年)
前後関係から考え明治二年はじめに出されたと思われる触書に、海産物の密売取締り、御役銀(税)の制度を採用し
産物会所
恵山町史
(榎本政権の統治)
之右品々取扱所取立御配締者勿論商人共難渋不致様能法相立候間 当嶋出産之より其外内地より積来分共明歳売買之度々
産物会所
江可二罷出一而得差図若密商等以致,これには海産物、特産の長崎俵物(煎海鼠・干鮑)に触れ、その、密売や取締と御役銀(税)制度を示し、また、
産物会所
函館市史 通説編 第二巻
(開拓使の政策)
これらの事業は箱館の
産物会所
が担当したものであるが、新産物を開発して、これを各地へ売り捌くことを任務としていた
南茅部町史 下巻
(〔資料〕)
一杉浦嘉七義金銀山並諸産物御取開初年ゟ出精相勤殊ニ品々諸失費相掛候ニ付都テ諸
産物会所
取扱之分売捌方之弐分五厘並蝦夷地軽物山且交易品御払高之百歩一為御手, 酉二月十二日評決 一右砥石山御入用米噌其外諸品共是迄
産物会所
函館市史 通説編 第二巻
(洋風建築への挑戦)
そのため、安政6年に運上会所や
産物会所
を建てようとする時には、「箱館表之儀は、毎々申上候通、材木諸品を
函館市史 通説編 第二巻
(旧制度の改廃と開拓使の流通政策)
開拓使の流通政策 明治元年には、商法司のもとに箱館生産会所がおかれ、箱館奉行所の管轄下にあった箱館
産物会所
,、新たに設立された通商司のもとに北海道産物改所が設けられた(明治3年5月より開拓使所属となり、北海道
産物会所
函館市史 通説編 第一巻
(請負人と場所との関係)
された者であるが、幕末に急激に成長し、元治元年には上位2位にまでのしあがっているのは、安政期以降箱館
産物会所
函館市史 通説編 第二巻
(回漕会社)
開拓使はこの時に「
産物会所
規則」を定めて、そのなかで海運事業の取り組みとして「廻漕ノ為蒸気船一艘北海道
函館市史 通説編 第二巻
(沖之口制運用の変化など)
流通するようになれば、幕府領となっている所からの産物積出しの統制もやりにくくなって「江戸、大坂、兵庫
産物会所
御取締并御益筋
函館市史 通説編 第一巻
(輸出品及びその金額の推移)
減少し、わずか1%余にすぎず、鱶鰭に至っては皆無で、俵物3品が前年に比べて減退しているのは、幕府の箱館
産物会所
函館市史 通説編 第二巻
([目次])
箱館奉行の経済政策―旧制との相剋…95 場所請負制、沖之口制の継続/沖之口制運用の変化など/
産物会所
恵山町史
(①松前地古武井熔鉱炉の研究並びに考証年表)
右進達之義申遣す 9月15日・箱館
産物会所
普請出来ニ付同所ニ於テ御用向取扱候義申上候書付10月12日・
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