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函館市史 通説編 第一巻
(各会所用達)
各会所
用達
各会所には、掛役人のほかに
用達
を置いたが、箱館会所の
用達
元〆として福島屋杉浦嘉七が充てられた,大坂は加島屋作次郎を
用達
とし、会所付仲買として松前問屋13軒を任じ、そのうち伊丹屋四郎兵衛、近江屋熊蔵,を
用達
代とした。,兵庫では北風荘右衛門、堺では和泉屋伊助、石割作左衛門が
用達
に、大和屋徳次が用聞になっている。,敦賀は西岡林助(飴屋)、山本朝之助(網屋)が
用達
になっている。 / 各会所
用達
函館市史 通説編 第二巻
(会所用達)
会所
用達
貸付会所の運営に当っては、三井が開拓使より管理を命ぜられ、小野組、島田組、その他6名(田中治郎左衛門,「貸付所閉鎖御用留」(道文蔵)により開拓使
用達
の任免をみると次のようになる。 ,5年1月に「北海道産物為替取扱方並に諸仕入品
用達
(但金銀出納は三井組にて取扱)」として、嶋田八郎左衛門,貸付会所の中で、
用達
として三井の受けた利益はつぎのようであった。,明治7年に小野、島田が破産して貸付会所
用達
から脱落したので、三井が重要な地位にあった。 / 会所
用達
函館市史 通説編 第二巻
(開拓使用達と清国直輸商会)
開拓使
用達
と清国直輸商会 このように種々の建言のなか、北海道の海産物貿易の商権をわが国に奪回しようとする,5年9月に開拓使
用達
である榎本六兵衛、小野善助、田中次郎左衛門、林留右衛門、島田八郎右衛門、栖原角兵衛,開拓使は
用達
のこの試みが成功すれば一般の商業者も同じく直輸出をてがけることにもなり、国益になるとともに,
用達
は許可を受けると同年11月に東京の江戸橋南詰錦町に出店を設けた(『開事』)。,これは東京の
用達
商会の輸出部門を担当する出店という意味なのであろう。 / 開拓使
用達
と清国直輸商会
函館市史 通説編 第二巻
(回漕会社)
また政府とは別に開拓使も独自に
用達
商人を登用し保護政策のもとに海運手段の創設に力を入れている。,その担い手が三井八郎右衛門らの
用達
で構成する開拓使
用達
商会であった。,それには開拓使の指示で三井らで構成する開拓使御
用達
産物取扱方(つまり
用達
商会を指す)がプロシア商人ユルクンフラル,
用達
名義による購入ではあるが、購入費用を始め運営経費や修繕費など一切の経費が開拓使負担とすること。,同時に開拓使は回漕会社の役員らを開拓使
用達
として任命した。
函館市史 通説編 第二巻
(海上保険と保任社)
開拓使は木村万平に貸与している北海丸に「積荷物ノ非常請合」すなわち海上保険をつけるため、その取扱を開拓使
用達
,これに対して
用達
一同は「私共ニオヒテハ行届不申トノ見込多分ニ御座候」と消極的であって、その非常請合業務,また
用達
社中では規約や定則に基づいた20条に及ぶ細則ともいうべき「申合定款」を定めた。,なおこの時同時に運漕社と開拓使御
用達
商会の函館支社の開業願いが提出されている。,これらはいずれも開拓使
用達
の下部機関であった。
函館市史 通説編 第二巻
(函館店開業と上海支店・開通洋行)
用達
の名代として赤井善平と安達栄蔵の両名が4月に函館に到着して、函館支庁に5月1日から開業する旨の届けを,函館支庁に提出した書類には「清国直輸 開拓使御
用達
商会」とあり、また清国直輸のために函館港に帆船弘業丸,5月に
用達
田中治郎右衛門と笠野熊吉両名から清国店を開業するので商号を付与されるように願書が提出され、開拓使,清国直輸商会という3本柱の経営形態で始められたにもかかわらず7年5月に保任社の解散を命じられ、さらに中枢の
用達
,ちなみに上海の開通洋行に関しては7年1月の『新報節略』に掲載された「開拓使御
用達
商会ヘ行キ刻昆布ノ輸出
函館市史 通説編 第二巻
(運漕社)
運漕社 開拓使の
用達
は保任社とは別に運漕社を設立した。,運漕社は前に述べたように開拓使
用達
の事業の一部門であったが、明治7、8年に
用達
の中心でもあった小野、島田両組,そこで翌年に
用達
のうち笠野熊吉と田中次郎左衛門の2人は事業を継続しようとして両名で運営する旨の願書を提出,笠野の願書によれば運漕社の拝借金10万6000円余は旧開拓使
用達
で負担すべきものであるが、これは自己で
函館市史 通説編 第一巻
(貿易開始の準備)
尤商い品直段の儀御
用達
共え前以て相談いたし候処取究め置、御用所へ相納む可く、弥直売の儀は堅く停止せしめ, これは、つまり外国人が上陸し、もし市中店頭にて希望する者があれば、売主とともに
用達
,の店または沖ノ口役所に来て、代金を支払う時は、
用達
は売主に対して代金を支払い、洋貨を奉行所に送って通金,と換金してもらい、沖ノ口役所では
用達
に対して支払い指令書を出すという方法で、形式的には直売買そのものは
函館市史 通説編 第一巻
(杉浦嘉七の埋立)
杉浦嘉七の埋立 杉浦嘉七は場所請負人で
用達
をも務め、水産物はもちろん釧路産の石炭をはじめその他取扱い
函館市史 通説編 第二巻
(為換座三井組の設置)
北海道の関係は古く、徳川幕藩体制の時代に遡り、蝦夷地が幕府直轄時代である万延元(1860)年に御為替御
用達
三井八郎衛門,(高福)が幕府勘定所より箱館会所産物元仕入金集方掛屋御
用達
を命ぜられている。,同3年に函館会所が開拓使の所管になってからは、島田、小野両家とともに開拓使御
用達
北海道産物取締方となった
函館市史 通説編 第二巻
(産物会所の設置)
表序-9 箱館産物会所 文久2年
用達
設立年 ,;
用達
名 職名 箱館,金方
用達
産物
用達
同上 大坂 安政5年 三井八郎右衛門 竹川彦太郎 加嶋屋作兵衛,熊野屋彦兵衛 近江屋熊蔵 伊丹屋四郎兵衛 為替
用達
同上 同上 兵庫 同上 北風荘右衛門,実施の初年次、文久元(1861)年に、大坂会所の為替
用達
三井八郎右衛門、竹川彦太郎、兵庫会所
用達
北風荘右衛門
函館市史 通説編 第一巻
(箱館東蝦夷地の中心となる)
このため、全国主要港に会所を置き、
用達
を任命して、産物を売捌かせると共に必要品を買集めさせた。
函館市史 通説編 第一巻
(鶴岡町海面埋立と蓬莱町排水)
そして一方には産物会所
用達
杉浦嘉七、山田寿兵衛外1名組合に換地を与えるため、鶴岡町の海面5,190余坪
函館市史 通説編 第二巻
(機能と業務形態)
機関であったが、明治8年5月会所規則を更正していらい旧貸出未納金取立見込高が次第に減少し、不足高は皆
用達
,貸下科目 貸 附 元 金 本年元金 返 納 本年利金 収 入 棄損 残金 旧 新 計 東京
用達
,203,829 0 203,829 450 1,755 0 203,379 大阪
用達
156,017,0 156,017 0 1,094 0 156,017 函館
用達
6,111 0 6,111 0 0,203,379 0 203,379 203,379 895 0 0 大阪
用達
156,017 0
函館市史 通説編 第二巻
(民営の青函航路)
6年1月青森県の
用達
であり、長州馬関(下関)出身の小田藤吉から次のような願書が提出された。, 乍恐奉伺候書付 青森県
用達
小田藤吉奉申上候青森港ヨリ御当港ヘ渡海ノ蒸気船無之不便,外務御役所 第三ノ五小区西河(川)町 井原兵五郎方寄留 青森県
用達
,また青森県
用達
という肩書に見られるように県の支援があって開業にこぎつけたとも考えられる。,ブラキストンから「雇船貨一件」につき訴えられ、小田が連帯保証人であったことや、また6月に小田が青森県の
用達
函館市史 通説編 第一巻
(文芸)
たまたま卓朗門下に思楽(本名・多湖九郎兵衛)がおり、これが箱館奉行
用達
島屋の支配人であったため、奥州や
函館市史 通説編 第一巻
(機械)
産額は文久2年ころには1か年2,000反内外で、これを産物会所付属の
用達
に命じて販売させ、また将軍家奥向用
函館市史 通説編 第一巻
(官費埋立)
箱館奉行は、そのために大町の海面を、長さ40間、幅50間地積2000坪の埋立を決し、石工井上喜三郎、
用達
忠次郎
函館市史 通説編 第一巻
(箱館港への集荷政策)
集荷政策 幕府は、前直轄時代にも、東蝦夷地産物の箱館集荷策を強力に推進し、更に高田屋嘉兵衛などの御
用達
商人
函館市史 通説編 第一巻
(神社)
御
用達
、問屋らの献金で神殿ができて結構を極め、「蝦夷日光」といわれたが、明治2年兵火で焼け、以後箱館に
函館市史 通説編 第一巻
(産物会所の設置)
、その他諸国の要地に箱館奉行付属の会所を設け、役人を置いて、その地の問屋などのうち相応の人物を選んで
用達
函館市史 通説編 第一巻
(取締港則)
そのため箱館奉行は佐藤忠兵衛、山田寿兵衛、杉浦嘉七の
用達
を指定し、これを取り扱わせたが、この3人は不慣,物品はすべて元価に3割5分を加えて売渡し、そのうち2割を
用達
に与え、1割5分は官の所得とした。
函館市史 通説編 第一巻
(箱館の年中行事および風俗)
同 三日 節句につき扶持家ならびに町年寄、
用達
、名主、目見得町人まで錦小袖、麻裃を着し、役所へ挨拶に,同 五日 節句につき扶持家、年寄、
用達
、名主、そのほか目見得町人まで染帷子(かたびら)を着し役所に礼,八月朔日 役所へ御礼として扶持家ならびに町年寄、
用達
、名主、そのほか目見得町人まで麻裃着用で出頭し、座敷
函館市史 通説編 第二巻
(電信の設置)
各々おゐては、こは如何
用達
ものやと驚嘆せり、扨又右を委敷解明さん、先づアメリカに於てフランクリンと呼びなせし
函館市史 通説編 第二巻
(設置の理由)
当時の金融機関である為替組、蔵元、掛屋、御
用達
、両替商のような者はみな官憲の命を奉じて、委託販売の事務,そこで開拓使は三井組および小野、島田両家に開拓使御
用達
北海道産物取締方を命じ、「産物会所規則」を制定して
函館市史 通説編 第二巻
(郭外の役宅)
、これら上級役人は、いずれも家族連れで、「老親妻子厄介等多人数」の者もあり、殊に「御固諸家家来より御
用達
町人等
函館市史 通説編 第二巻
(貿易策の建言と清国視察)
また4月には吉田建三が函館に出店し輸出業を興すための意見書を提出したほか、同じ時期に開拓使の
用達
である
函館市史 通説編 第一巻
(直捌制廃止の理由)
一 当夏中、西地いしかり場所運上金千五百両にて御
用達
伊達林右衛門外弐人え御預け同様引請仰付けられ候処、,調役三浦喜十郎、下役庵原直一去卯年会所御勘定仕上げ取調掛にて、右仕上に付金弐百両余相知れざる分これ有り、右の分
用達
共
函館市史 通説編 第二巻
(払下げ出願)
大蔵省還納金目途表(明治14年7月13日調) 項目 金額 円 国債局預 三井銀行預 第百十九国立銀行預
用達
貸渡,福山江差人民漁業資本金 本支庁家作改良資本 本庁営業資本金 旧公債証書実価 新公債証書実価 旧貸付金
用達
返納金
函館市史 通説編 第二巻
(北海道共同商会の設立)
七重農工事務所、根室県庁、函館県庁、紋鼈製糖所、根室農工事務所、内務省監獄局北海道建築掛の御
用達
になったのをはじめ,、明治19年にはコルサコフ日本領事館、釧路集治監御
用達
、また函館県庁より幌内石炭函館貯炭売捌方、紋鼈製糖売捌方
函館市史 通説編 第一巻
(開墾事業)
そこで調役山田鯉兵衛、下役村上次郎右衛門、石坂武兵衛、在住勤方代島剛平を掛りとし、その外
用達
、用聞にも
函館市史 通説編 第一巻
(幕府の蝦夷地調査)
それがため幕府は、この調査に際し、江戸の回船方御
用達
苫屋久兵衛を起用し、幕吏の蝦夷地輸送を命ずる一方、
函館市史 通説編 第二巻
(五稜郭の築造)
なお、五稜郭の築造にかかわった請負人は、箱館御役所附御
用達
の佐藤忠兵衛・山田寿兵衛・杉浦嘉七、箱館御用取扱北蝦夷地御直場所差配人元締
函館市史 通説編 第二巻
(広業商会の開業)
広業商会の開業 9年6月12日勧商局は笠野熊吉を
用達
に任命して、直輸出を担当する機関として東京に広業商会
函館市史 通説編 第二巻
(昆布の過剰輸出と上海での滞貨)
満期に先立ち5月に笠野吉次郎(笠野熊吉は12年6月に病没したので、その子吉次郎が勧商局の
用達
を拝命し事業
函館市史 通説編 第二巻
(氷専売の出願)
容易に許可された背景には開拓使の新規事業への保護政策とともに、中川自身が明治5年以降函館支庁の横浜買物
用達
函館市史 通説編 第一巻
(開墾)
亀田村惣百姓代松右衛門らも、村内の開墾を願い出たので、安政3年大縄において19町4反2畝歩を割渡したのを初めとし、市中の
用達
函館市史 通説編 第二巻
(西村貞陽の清国視察)
笠野は開拓使の
用達
として、清国直輸商会の設立人の1人となり、また上海の開通洋行の実質的な運営を担当していた
函館市史 別巻 亀田市編
(東照宮の建立と焼失・遷座)
元ハ上山村ナリシモ改メテ大神ノ鎮座ヨリ神山村ト称ス 御
用達
杉浦嘉七ヨリ数百両御宮御造営ニ献納ス。
函館市史 通説編 第二巻
(清水谷総督の赴任)
粗調居候間」(「内国事務局叢書」『復古記』2)を実践することになり、近江商人珠玖清左衛門を箱館裁判所
用達
函館市史 通説編 第二巻
(箱館における貿易開始の体制)
のねらいは不明であるが、この税率引上げには「可レ成丈下直ニ売渡様」=低価格での売渡を、交易担当の「御
用達
函館市史 通説編 第二巻
(第百四十九国立銀行の設立)
度旨規則書添同組長崎県士族小美田利義ヨリ出願取調為致候処本組ハ明治十年一月中東京府ノ許可ヲ得テ設立シ該組営業ハ元本使御
用達
木村万平等専, このように「不体裁ヲ釀シタルモノ」元開拓使
用達
木村万平
函館市史 通説編 第二巻
(交換条約と出漁)
これら漁民の系譜は、勝山藩・若狭藩関係者、加納藩関係者、松川弁之助一族、北蝦夷地出稼人・樺太御
用達
人にわけられる
函館市史 通説編 第二巻
(三井銀行への改組)
年以降、三井組は家政改革をすすめてきたが、一方では、新興部門の御用所(慶応2年、大元方直属で外国方御金御
用達
業務
函館市史 通説編 第二巻
([目次])
清国商人の登場/清国人民籍牌規則と董事職の設置/清商の組織/清商との取引/異人仲買 三 開拓使
用達
,による直輸出…735 貿易策の建言と清国視察/開拓使
用達
と清国直輸商会/函館店開業と上海支店・,…837 開拓使直営と郵便制度/汽船・弘明丸の就航/定期船の増船/民営の青函航路 四
用達
商人,の設置/三井銀行への改組/同行の営業状況 四 貸付会所の設置…967 設置の理由/会所
用達
函館市史 通説編 第一巻
(小宿)
併其時々客方より預り荷物の内、模様に寄り引当にて他借致し
用達
申すべき事もこれ有るぺく候。
函館市史 通説編 第二巻
(町年寄・名主の廃止)
翌10月から業務の本格始動を開始した開拓使は、町政の運営にも関心を示し、まず11月、旧幕府が町年寄や
用達
等
南茅部町史 下巻
(〔資料〕)
盛山之上御下金相願右ニ付内外願筋モ 無之寄持之義ニ付願之趣御聞届相成伺之上産会所付
用達
申付候事
函館市史 通説編 第二巻
(船舶購入と航路の開拓)
庚午丸の運用は開拓使
用達
に任された。
函館市史 通説編 第二巻
(旧制度の改廃と開拓使の流通政策)
箱館生産会所は、
用達
仲間商人の特権を抑圧し、北海産物の流通機構を統一的に掌握することを意図したが、それを
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