• 機関トップ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧

函館市/函館市地域史料アーカイブ

  1. トップページ
  2. 詳細検索

詳細検索


検索条件を追加
閉じる
検索結果 : 76件
辞書ファセット
/ 2ページ
函館市史 通説編 第二巻 (町会所の新築)

町会所の新築 町会所  函館の町会所は、幕末期には奉行所の表門に付属した長屋(門長屋という呼称,この町会所、新築移転の時期や具体的内容を明確にすることはできなかったが、明治6年の大区割費の費途は「町会所,・駅場・町用掛月給・町会所取建拝借金納メ其外一切区入費大区割総合計」とあって、町会所建設のために開拓使,戸長達の詰所(町会所)は再び支庁内に戻ったのである。  ,戸長の執務場所が支庁内に移ったため、会所町の町会所は、旧町会所となり空家となった。 / 町会所の新築
函館市史 通説編 第二巻 (町会所蓄積金)

町会所蓄積金 町会所には町会所が管理運用していた町会所蓄積金と呼ばれる市民共有の財産があった。,この町会所積立金に関して、明治8年6月から明治10年10月までの「町会所予備基本金出納月表」(道立文書館蔵,町会所予備基本金というのは町会所蓄積金の大きな部分を占めることは間違いないと思われるので参考として掲げておく,この町会所蓄積金のほかに町会所には備蓄米が存在した。,このほか町会所は町会所持ちの共有地を所有し、地代金家賃が蓄積されていた。 / 町会所蓄積金
函館市史 通説編 第一巻 (町会所の埋立)

町会所の埋立 弁天岬台場から地蔵町に至る一帯の海岸は、箱館の発展に伴い埋立の必要が生じたので、町会所 / 町会所の埋立
函館市史 通説編 第二巻 (町会所の組織構成)

町会所の組織構成 前述の通り町会所の責任者は、江戸時代の町年寄・名主が開拓使により明治2(1869),町会所は区長・戸長・副戸長体制となったのである。,もっともこのときは、前年末の町会所行革のあおりで戸長は罷免され1人もいなかった。,大区事務所である区務所にあって大区を統括するというのが大小区制の基本形であるが、函館にあっては、その事務を町会所内,   表2-28 町会所事務分担表(明治12年中期) 事務内容 担当者 出納・用度・租税 / 町会所の組織構成
函館市史 通説編 第一巻 (町役所・町会所)

町役所・町会所 箱館もしだいに戸口の増加に従い、町政を司る所として町役所が置かれるようになった。,町役所も後には町会所と改められ、その役人は町年寄・名主、および町代といい、その下に組合頭があって5人組 / 町役所・町会所
函館市史 通説編 第二巻 (開拓使の町会所監督強化)

開拓使の町会所監督強化 町会所に自主的な町政運営を任せてきた開拓使も、官僚機構が整備されると、町政の,まず、明治5年12月函館支庁は次のような達書(『法規分類大全』租税門地方税)を出し、町会所の権限で徴収,  区入費坪割銭ト唱、是迄町会所并町用掛限取立来候処、以後相止メ候条、向後区入費坪割銭ハ,勿論祭事割合、瑣細ノ取立銭共、一箇年月或ハ半箇年且其時々総計割当計算済、当庁許可ノ上雛形ノ通金員払印町会所,しかし、この時は民事課の主張が通り官費により積立てた町会所予備金殻のみが会計課所管に変更された(「町会所金穀出納評議留 / 開拓使の町会所監督強化
函館市史 通説編 第二巻 (町会所蓄積金の経理調査)

町会所蓄積金の経理調査 体制を整えた函館支庁は、ついに町会所蓄積金の経理にメスを入れた。,函館支庁は明治10年12月支庁第45号広告で「函館町会所蓄積金穀ノ員数、従来精密ノ調査無之ニ付、今般官民,ノ内ヨリ委員ヲ命ジ調査セシメ候処現在ノ金穀左ノ通ニ候」と、町会所蓄積金調査結果を広告した。,の人事刷新と同時に、次の2点を改正して、町会所経理の公正を期した。  ,1、町会所の経理精算書を年2回(7月と12月)一般市民に公開縦覧すること。 / 町会所蓄積金の経理調査
函館市史 通説編 第二巻 (町会所蓄積金から函館区共有金へ)

この時から名称も町会所共有金と変わった。  ,出納表に「(出納内容を)詳細閲覧致族ハ函館区役所内町会所ヘ出頭帳簿閲覧」とある通り、町会所は区役所内に,出されたこの計算表は「細目承知致度向ハ町会所ヘ出頭帳簿閲覧」とあり、区務所が町会所内に置かれる形をとっていたのが,この時町会所共有金から区内共有金へと名称が変わり、町会所という名称も自然消滅となったようである。  ,洋風2階建84坪(本屋)の町会所の運営は町会所取締(初代取締今井市右衛門、副平田兵五郎、同工藤弥兵衛) / 町会所蓄積金から函館区共有金へ
函館市史 通説編 第二巻 (町会所開設の新聞縦覧所)

町会所開設の新聞縦覧所 明治の初期、新聞はどのようにして一般の人々へ普及していったのだろうか。,して進んで新聞を購読してもらい、それによって函館の人々の開明化を図っていこうという意図のもとに、6年町会所 / 町会所開設の新聞縦覧所
函館市史 通説編 第二巻 (書店魁文社の開店と新聞縦覧所)

#160;  この新聞縦覧所の運営は、北海道の書店の先駆けともいうべき書店「魁文社」の開店により、町会所,そして同時に、既設の町会所管理の新聞縦覧所はこの魁文社内の新聞縦覧所へ合併され、施設の充実が図られたのである,各種の新聞誌ヲ備ひ一層展観の便ニ供ス」(「官許新聞誌縦覧書移転御触書」、( )内引用者)という御触書が町会所,さらに翌9年には、施設の公共性より従来は町会所が負担していた新聞の購入代金を、経営のめどが立ったとして,魁文社が総てを負担することになった(明治9年「町会所金穀出納評議留」道文蔵)。
函館市史 通説編 第二巻 (函館の区入費)

明治5年はまだ町会所入費として江戸時代以来の坪割銭が徴収されたようで、この坪割銭の使用目的項目としては,「杉野家文書」の明治7年の大区割費徴収資料によると、明治6年の区入費は2636円60銭9厘で「町会所駅場町用掛月給町会所取建拝借金納,徴収に先立って、町会所から「大区割計算表」が市民に示され、「細目承知イタシ度モノハ町会所ヘ罷出帳簿閲覧可致,「払之部」の費目については、明治10年末の町会所経理調査の後(11年1月より6月の計算表から)、町会所経費,大区割区入費を町会所が総括していたので各大区毎に経費が集約されることはなかった。
函館市史 通説編 第二巻 (郵便役所設置前の函館事情)

十二月二十四日 玄蕃殿(永井玄蕃箱館奉行)ヨリ福山表人見勝太郎方ヘ御用書差出ニ付町会所ヘ差遣ス,ヘサシ出ス 三月二十六日 諏訪ヘノ返事、町会所ヘ差出 四月二日 高龍寺より竹中殿ヘノ手紙遣候ニ付、,町会所ヘ手紙添差出ス (「小野権之丞日記」『維新日乗纂輯』)    (1)の史料は明治元年,運上所が脱走軍首脳から逓送を依頼された手紙は、町会所を通じて(町会所からは請書を取る)且つ遠隔地は郷村継,これも手紙は町会所を通じて相手方へ届けている。
函館市史 通説編 第二巻 (町内入費)

坪割銭の徴収は年2回(5月と12月)で、町会所発行の切符「札」をもって徴収した。,この坪割銭は、明治5年に大小区制が導入され、町会所経費を大区費として整理されるまで続いた。  ,次に町会所の事務費といえる「筆墨紙料」であるが、宗門改の時にその他の役銭と共に集められた。,この祭礼銭は明治5年に大小区制が導入された後も、町会所が引き続いて徴収を続けたようであるが、明治10年,ただし、函館では後述する大区費小区費ともその内訳に祭礼費のような項目がなく、町会所がどのような形で八幡宮
函館市史 通説編 第二巻 (町年寄・名主の廃止)

町年寄・名主の廃止 江戸時代以来箱館の町政を担当してきたのは町会所である。,この町会所は、幕府による前直轄時代が始まる頃にはもうその存在が確認されている(「維新前町村制度考」『函館市史,』史料2)が、安政元年に幕府による再直轄が始まる以前については、「町会所」とその名称を特定することは難,つまり安政2年1月26日に出された「町年寄名主詰所ノ義、私領中町役所ニ唱来候得共、以来町会所ト唱可申候,」とする旨が明記されており、それ以後の触書では全て町会所名が用られている。
函館市史 通説編 第二巻 (大区扱所・小区扱所)

この大区扱所が、翌10年5月に「従来各町ニ取設有之大区扱所及ヒ会所等(函館町会所ヲ除)ハ、自今開拓使第何大区区務所,しかし区務所となっても大区事務が函館町会所において取扱われることには変わりなく、形式的には3つの区務所,が町会所内という体制であった。
函館市史 通説編 第一巻 (森林の保護)

においては毎年3月末から4月にわたり、山番をおいて野火を警戒したり、またほ文政中の公文書綴によれば、箱館町会所,以上     文政申三月二十八日        町会所    卯之助の植えた苗木もこのような
函館市史 通説編 第二巻 (板垣退助一行の来函・遊説)

明治24年6月7日、町会所での発起人会において、東北地方を遊説中の板垣一行を招待することになり、有志者大会,12日、町会所で開かれた有志者大会には70余名が出席、板垣一行の招待と、この時点まで29名であった発起人,7月5日、町会所で板垣一行歓迎準備のための発起人会が開かれ、送迎接待の委員として、馬場、佐瀬、平出、上嶋,12日、町会所での迎接委員会で病気を理由に出張委員を辞退した佐瀬に代わり馬場が選ばれた。
函館市史 通説編 第二巻 (大年寄・中年寄の任務)

中年寄の任務 ・毎日町会所へ出勤、大年寄の差図に従い当番制で御用向きを処理すること。,・人別取調べの際(10月)は町会所に詰め、市中の者が持参する下調べを篤と取調べること。,・大年寄中年寄が人別入りを認めた人別入り希望者へ町会所で御条目を読み聞かせ人別帳へ記入すること。
函館市史 通説編 第二巻 (開拓使時代)

営業希望者は取締人の連署と戸長の奥印を添えて出願、免許鑑札を受けて営業をし、町会所・取締人の元へは三業,三業に関する費用は、三業の鑑札料と等級別に収める税金(賦金)で賄われ、残金は女紅場開設の基本金として町会所
函館市史 通説編 第二巻 (函館区役所の開庁)

函館では、「大小区相廃シ」を受けて町会所内の第14、15、16大区区務所が廃止され、江戸時代以来函館の,町政を担当してきた町会所もその業務を区役所に引き継ぐこととなった。,この時、『函館区史』などでは町会所、区務所を廃止したとなっているが、大小区制によって設けられた区務所は,、大小区の廃止で区務所の廃止が確認できるが、町会所を廃止したという布達はなく、町会所という名称はしばらく
函館市史 通説編 第二巻 (小区割区入費)

第何大区何小区小区割計算表」という形で町内に示し、「細目承知イタシ度者ハ町用扱所ヘ罷出帳簿閲覧可致」と町用扱所名か町会所名,また月毎に支払合計表が町用扱所から町会所へ提出されていたが、これも明治12年からは先の整理された費目が
函館市史 通説編 第二巻 (解散に至る経緯)

400円を基金とし、それに協議費繰越金から620円を支出して加え、合計1020円の工費で、富岡町7番地の町会所敷地内,次いで7月17日、思齊会は町会所で最後の総会を開き、所有する書籍と金円および縦覧所の備品一切を函館区共有書籍庫
函館市史 通説編 第二巻 (女紅場設立へ)

諸営業税)賦課についての伺いを出したが、その中で支庁は、その収入を「女工授産場」などの設置資金として町会所,月廃止となった黴(ばい)毒検査費用の積み金の残金も女紅場設立のための資金の中に組み込まれ(明治9年「町会所金穀出納評議留
函館市史 別巻 亀田市編 (海岸町の函館組み込み)

亀田郡亀田村地内 海 岸 町   右ハ函館区内え列候ニ付、以後三大区三小区え組込、取扱向等町会所え申付候間
函館市史 別巻 亀田市編 (松前藩の林業対策)

文政七(一八二四)年箱館町会所の触書には次のように記されている。      
函館市史 通説編 第二巻 (第2議会への請願)

12月5日、町会所で請願有志総会が開かれ、江差の関川与左衛門、加藤重兵衛、福山の菊地純次郎、静内の西田玄次郎,   12月13日、町会所に50余名が来会し有志大会が開かれ、次の議題が協議された。,明治25年2月18日には、町会所で北海道議会請願有志大会が開催され、上京委員の竹内、上嶋が上京運動の報告
函館市史 別巻 亀田市編 (村役人の業務)

以上                  箱  館  府                   町会所
函館市史 通説編 第二巻 (戸籍法の制定)

この宗門人別改めは、函館では町会所が担当し、町年寄・名主の指揮のもと、町代・組合頭が実務を処理していた
椴法華村史 (戦後の処理)

                             箱館府                              町会所
函館市史 通説編 第二巻 (改正育児取扱規則)

改正育児取扱規則 12年、発起者であり社長であった槙山淳道がその座を降り、町会所がその仕事を引き継いだ,さらに13年育児会社に関する事務を町会所から引き継いだ函館区は、4年来の仮の育児規則を更正し、13年11
函館市史 通説編 第二巻 (区会の討議)

また今後は縦覧を廃止し、12円の修繕費を30円に増額した上で管理を区役所か町会所へ委託するべきだという,冒頭で林宇三郎が前回の発言を翻し、書籍館を函館区の共有財産へ編入し経費の節減をはかるため、一切の事務は町会所
函館市史 通説編 第二巻 (書籍館の建設)

また、函館書籍館の事務取扱人としては隣接地にある町会所の取締でもあった常野正義が任命された(「書籍館関係書類
函館市史 通説編 第二巻 (第1議会への請願)

明治24年1月25日、富岡町町会所において国会への請願運動に関する函館有志の発起人会が開かれた。,2月1日、町会所に240余名が参会し有志大会が開催された。,改められた外は原案通りに可決し、ここに「北海道議会設置之意見書」の成立をみ、意見書への署名が行われ、町会所,3月23日、町会所で上京委員の報告会が開かれ、江差より来函した関川与左衛門、矢木小三郎を含めて70余名
函館市史 通説編 第二巻 (組合頭・伍長)

其区組々組合頭公選ノ義本月十二日投票之処、前記ノ各名投票多数ニ付、本日組合頭申付候間、此段広告ニ及候也 町会所第二大区三小区中,町会所、区務所、小区扱所の関係と区長、戸長、町用掛、組合頭、伍長を系統図的に図示すると図2-1となる。
函館市史 通説編 第二巻 (郵便網の拡充と改定)

処分候条此旨可相心得事」と、郵便逓送業務は駅逓寮職員(郵便取扱人を含む)以外は出来ない旨も布達した(明治6年「箱館町会所御触書
函館市史 通説編 第一巻 (文化3年の大火と消防体制)

官では早速町会所に命じて大量の粥を炊かせ、罷災者に給与し、とりあえず山ノ上町の芝屋小屋をあけて仮りにここに
函館市史 通説編 第二巻 (公立小学校の経費)

してもらい、ほかの(1)教員給料(月給8円、6名を予定)・宿直料(1夜7銭)の年額600円50銭は、町会所予備金利子収入,寄付金200円が基礎資金としてあるのでまにあっているが、この寄付金がなければ、つまり授業料と戸賦金それに町会所,   〃   2    〃   3    〃   4    〃   5   第14大区4小区 町会所
函館市史 通説編 第二巻 (商取引の是正)

6-6 明治18年中設立の商業組合一覧 組合名称 事務所 認可月日 函館呉服太物商組合 富岡町町会所内,函館水産商組合 大町 4.17 函館書籍筆墨娠商組合 末広町 4.17 函館回漕問屋組合 富岡町町会所内
函館市史 通説編 第二巻 (町と町に準ずるもの)

の町役人の職務についての報告書には、中年寄の市中総町の担当区分ついて「市中八ヶ町を七人を以相勤、日々町会所,これは町政を担当していた町会所では、函館の町について「8町」と認識し、その他の町はこの8町持ちと位置付
函館市史 通説編 第二巻 (函館商法会議所の設立問題)

翌明治14年7月5日には、住友家の大番頭で、大阪商法会議所の設立に関与した広瀬宰平の来函を機に、町会所,  (七月)五日雲 午後五時函館町会所ニ至リ諸氏ノ請ニ依リテ商法会議所ノ経歴ト功用トヲ説
函館市史 通説編 第二巻 (町用扱所)

しかし函館では、開拓使官吏が意図した町用扱所は設けられず、市民の願伺届等の窓口は、町会所対応のままであった
函館市史 通説編 第二巻 (戸長、副戸長の任命)

白鳥衡平 副戸長 小島又次郎    函館では戸長の任命を単に戸籍吏の配置としてではなく、町会所,以後この戸長副戸長が町会所にあって町政を担当するという体制は、明治12年7月に郡区町村編制法が導入され
函館市史 通説編 第二巻 (廃館の要因)

の結果、図書費、人件費、修繕費などを合わせて118円とし、閲覧者が少ないのを理由にその管理を隣接地の町会所,こうして明治22年4月1日より書籍館の事務取扱は町会所に正式に委嘱されたのであるが、その後1年を経て今度
函館市史 通説編 第二巻 (五稜郭占拠)

箱館を押さえた脱走軍は、まず次のような触書を町会所を通して即日市中へ触れ出した。
函館市史 通説編 第二巻 (函館支庁の考え)

貸借ハ相対和談ノ上…」は、6年4月に「解放令」本来の主旨に反するとしてと取り消された(明治6年「箱館町会所御触書
函館市史 通説編 第二巻 (幕末期の埋立)

島野市郎治の地蔵町1715坪埋築、杉浦嘉七の地蔵町海面2865坪の埋立、幕府による鶴岡町5190余坪の埋築、町会所
函館市史 通説編 第一巻 (産物の箱館回送方請願)

去秋中両度願奉り候処、今度請負人勝手次第松前・箱館両湊の内にて相捌き候様市中一同有難き仕合せに付、此度町会所迄書付
函館市史 通説編 第二巻 (邏卒設置後の経緯)

違式というのは規則を犯すことで、詿違というのは心得違いをすることで、明治6年「箱館町会所御触書」によると,2~1日)であり、違式罪目としては21か条、詿違罪目としては25か条が挙げられている(「明治六年箱館町会所御触書,ところが10年2月17日に焼失して一時旧町会所に移り、11年7月1日会所町4番地に新築移転したが、これも
函館市史 通説編 第二巻 (町区総代人制の導入)

町区総代人制の導入 町会所蓄積金の経理の調査を担当した調査委員たちは、区戸長のみに町政を委ねていると,函館の公共事業を協議できる体制の誕生ということで、函館町会所は迅速に対応した。
函館市史 通説編 第二巻 ([目次])

   戸籍法の制定/戸長、副戸長の任命/中央の整理/三区の設定/渡島国を七大区とする企画   三 町会所,…327    町会所の組織構成/町会所の新築/戸長等の給料   四 市民の税負担…337    ,函館の区入費/小区割区入費/地方税と協議費/函館区内協議費   五 市民の共有財産…355    町会所蓄積金,/開拓使の町会所監督強化/町会所蓄積金の経理調査/町会所蓄積金から函館区共有金へ   六 町区総代人制,他の出版物  第三節 文化施設…1462   一 新聞縦覧所の開設とその役割…1462    町会所開設
/ 2ページ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧
  • 機関トップ
  • 利用規定
  • 利用ガイド
  • サイトマップ
  • ADEACトップ
X(旧Twitter) facebook line urlcopy
トップへ
ページURLがコピーされました