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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 通説編 第一巻 (石狩低地帯(河野ライン))

石狩低地帯(河野ライン) 館脇操は、森林樹種の分布から、石狩低地帯を境として北海道を大きく二分し、この,また、この傾向は他の昆虫類にも当てはまるとし、虻(あぶ)類についても例示して境界線としての石狩低地帯を / 石狩低地帯(河野ライン)
函館市史 通説編 第一巻 (黒松内低地帯)

館脇操は石狩低地帯から南西部を温帯系域としながらも、その間に黒松内低地帯を重視した。,つまり、これより南の渡島半島はブナをはじめ東北北部との共通種の濃厚な地域であるとし、これより石狩低地帯
恵山町史 ((1)加曽利(かそり)系土器の北上)

石狩低地帯以西の遺跡では、最盛期には出土例が少なかったミズナラ、カシワ、コナラなどのドングリが再び出土,し始め、中葉には石狩低地帯まで分布域を拡大していたクリやトチノキなどの堅果の利用も始まり、本州では最盛期,ただ、土器文化圏は同じであっても、クリやトチノキの堅果と栽培植物の利用例は、石狩低地帯以東では確認されていない,小突起、沈線による曲線文が施文された涌元(わきもと)式土器が渡島半島に出現し、ついで秋田・岩手県北部から石狩低地帯,周堤墓は道央の石狩低地帯に集中して分布する傾向がみられ、周堤墓やストーン・サークルのような大規模な遺構
函館市史 通説編 第一巻 (函館地方生物分布の特質)

北海道全体が本州系からシベリア大陸系への移行地帯であると概観されているが、津軽海峡より黒松内低地帯、石狩低地帯
恵山町史 (1、恵山式土器文化)

初期には道南に遺跡の分布が限られるが、中葉には道央の石狩低地帯付近まで分布域を拡大するとともに、土器は,石狩低地帯以南の上磯町下添山遺跡や奥尻町東風泊遺跡、白老町アヨロ遺跡、苫小牧市タプコプ遺跡などの遺物包含層,遺跡数が増加して石狩低地帯付近まで分布する。恵山貝塚、尾白内遺跡が代表的な遺跡である。    ,この時期の土器も石狩低地帯まで分布し、札幌市N295遺跡などの土壙墓や住居内から出土している。  ,この時期の土器も石狩低地帯に分布するが、作られた土器が移入品として持ち込まれていたらしい。
函館市史 別巻 亀田市編 (周辺の地史)

渡島半島の地質研究の基礎になった報告で、地質がどのような構造で形成したかなどが述べられ、北海道の西南部は、石狩低地帯,地質学的には地殼を構成する地質から石狩低地帯を境にして成立が異なって、渡島半島は本州と同じ基盤から成立
函館市史 別巻 亀田市編 (本州との交流)

古墳時代につくられた東北地方の土師器と同じものが道南地方や石狩低地帯でも発見され、住居の構造も似ていることが
恵山町史 ([最盛期の縄文時代前・中期])

北海道ではこの時期にも石狩低地帯をはさんで、道南と道東で異なった土器文化圏が形成される。
南茅部町史 上巻 (はじめに)

(1933) 3.石狩低地帯  館脇操は日本列島北部の森林樹種の分布を論じ、この地帯をもって北海道,石狩低地帯により二分も可能。 D 北東小区……中央背稜山脈以東。
南茅部町史 上巻 ([続繩文時代])

この文化は、石狩低地帯を境として渡島半島に恵山式土器文化、他の地域に後北式土器文化があり、時間的には後北式土器文化
南茅部町史 上巻 ([自然環境と動物区分])

鳥類、昆虫にも深い関係のある植物地理学的区分には石狩低地帯、黒松低地帯がある。
恵山町史 ((3)円筒土器)

前期後半の下層式初期にはその分布は道南に限られるが、その後しだいに北上して噴火湾岸一帯に分布し、前期末には石狩低地帯付近,中期に入ると上層式土器が石狩低地帯や日高地方まで一気に進出して分布域を拡大し、日本海沿岸部では少しずつ,この時期になると、各地に大遺跡を形成し、石狩低地帯まで分布域を拡大している。,現在のクリの自生分布北限となっている石狩低地帯からクリの堅果や炭化材が出土し始めるのは後期中葉になってからのことである
恵山町史 ((2)縄文尖底土器)

同じ頃、噴火湾岸から石狩低地帯には道南に分布した土器と類似した、砲弾形の尖底土器に粗い斜行縄文が施文された
函館市史 通説編 第一巻 (多種の蝶相)

しかし、渡島半島を北上するにつれて、本州要素は漸減傾向を示し、石狩低地帯(河野ライン)に至って、寒地要素
恵山町史 ((4)恵山町内の縄文時代晩期の遺跡)

石狩低地帯以南の後期から晩期の低湿地遺跡から、北海道には生息しないイノシシの頭骨や牙が多量に出土し、本州
恵山町史 ((3)亀ケ岡式土器文化)

土器  亀ケ岡式土器は道南から道央の石狩低地帯までは分布が濃密で、時代が新しくなるにつれて石狩低地帯での
恵山町史 ((1)貝殻文土器)

のなかでもつねにみられ、両者の境界線は時代によって多少の移動があるが、ほぼ日本海側の石狩市と太平洋側の苫小牧市を結ぶ石狩低地帯付近
南茅部町史 上巻 (第四紀更新(洪積)世)

湊正雄監修・目で見る日本列島のおいたち)のようになっており(第6図)、更新世前期と中期では、いわゆる石狩低地帯
恵山町史 ([地理的位置])

は25℃以下で小さく、井上・羽田野(1983)の「気候図表」による地域類型化の「高温で年較差の小さい石狩低地帯以南
恵山町史 ([擦文文化])

その初期には道央の石狩低地帯に東北北部と同様な小規模な墳丘をもった、「北海道式古墳」とよばれる墳墓も造成
函館市史 銭亀沢編 (文献)

北川芳男・中村 斎・矢野牧夫・三野紀雄・赤松守雄・山田悟郎・小林幸雄・森田知忠・松下勝秀(1975)「石狩低地帯
恵山町史 (3、後北式土器文化)

続縄文時代になると石狩低地帯より西側に限られるが、道内の遺跡からソバの花粉が検出されたり、コメやオオムギ
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