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南茅部町史 上巻
([松前国中記])
市立函館図書館 所蔵 下國兵太夫殿知行所 モヘチ 村 人家アリ川有
秋味
鮭
少々,アリ此所ヤケナイト申て氏神有 安部天満宮ト申 下國 氏代々の氏神也江戸登り
秋味
舟抔, 此沖ニ掛り日和見定るナリ 蠣崎三彌殿 知行所 トヒカワ村 人家有
秋味
川有 冬鯡揚,る ミツヤ 村 人家有 冬鯡アリ ヘキリチ村 人家有 冬鯡
秋味
鮭
城下御臺所御,鹿の皮 春鱒
秋味
有 御 場 所 ア井ロ 産物 干
鮭
鹿皮
秋味
有 松井茂兵衛殿知行所
南茅部町史 上巻
(訴願)
訴え事は、同村幸吉が
秋味
網の立場を専横しているということである。 ,このときは弁天島沖の
秋味
網立場を幸吉の独占に任かせることなく、村網方と隔年で操業させてほしいとの内容が,明治になると村網方は「そもそもの弁天島の
鮭
網は文政年中に松倉某が初めて臼尻湾に
鮭
網を製して漁業したもので,しかるに小川幸吉が松倉の
鮭
網を模造して弁天島近くの海中に投じて豊漁し、独り富貴をほしいままにし栄華を誇,生まれた川に帰ってくる
秋味
(
鮭
)などは土地で待っていて漁獲できるものに対しての権利意識がより強いわけである
戸井町史
(一、十八世紀後半の戸井の状態)
トヰ 佐藤権左衛門支配 出産 昆布、布苔(ふのり)、鮫(さめ)、鰤(ぶり)、魚油、
鮭
秋味
,現代では、
秋味
(あきあじ)は
鮭
(さけ)の方言といわれているが、
鮭
秋味
(さけあきあじ)という書き方をしていることは
函館市史 通説編 第一巻
(商取引)
また東回りの取引は、それほど増大したとはいえないが、東蝦夷地各場所産の
秋味
鮭
の多くは、各場所から直接江戸
南茅部町史 上巻
(村網)
村網 郷土の各地区では、弘化年間から村網または共同網という
秋味
(
鮭
)、鮪建網漁場を経営していた。,佐々木五郎松 杉林梅五郎 中津 仁助 (板木共同網 代表五〇名) 茅
鮭
定第四二号, 川井才五郎 中村 西松 西崎勘太郎 (川汲村共同網 二名) 茅
鮭
定第一六号
函館市史 通説編 第二巻
(原初的蓄積の第1期)
鰊は4月より5月末、鱒は6月初旬より土用の季節を中心にして8月下旬まで、
鮭
(
秋味
)は二百十日より彼岸にかけて,、つまり9月より10月初めまでであるが、シスカの漁場では夏漁の鱒に
鮭
(時知らず)の混獲される場所もあった,漁獲された鰊は農家向け肥料の締粕に、
鮭
・鱒はすべて塩引きに製造された。,この頃、鰊漁はまだ少なく、
鮭
・鱒が大半を占めていた。
南茅部町史 上巻
(【資料】滕知文「東夷周覧」(享和元年・一八〇一))
九月ヨリ
秋味
トテ
鮭
漁ヲナス。大凡十一月マテニハ終ルト云。此所ノ稼ハ昆布ヲ以テ第一トス。,九月ヨリ川々ニテ
鮭
漁ヲナス。女子ハアツシ、キナ等ヲ織テ自用トス。
南茅部町史 上巻
([北海道の大謀網])
蝦夷地に来住した和人たちも、鰮や
鮭
鱒の漁獲に差網や地曳網を使用するだけだった。 ,ノ設ナキヲ憂ヒ自ラ持場ヲ巡視スル毎ニ建網ヲ創始セン事ヲ企望スル処シ然トモ當時該網ノ
鮭
漁ニ利アルヲ識ル者,ノ鰮漁場ヲ以テ兼用ス)先是幸吉
鮭
鮪ノ建網皆麻絲ヲ用ヒ費用巨額ヲ要シ其益少ナキヲ察シ之カ改良ヲ圖ラン事ヲ,私網取建之義ハ、天保十三寅年、私領御掛役松山斧右衛門様ゟ被仰付、其砌者茅部村ゟ椴法花村ニテ廣場ノ處於今
秋味
場一,
秋味
)網とは大きな違いがあった。
南茅部町史 上巻
(箱館の税制)
蝦夷地穀役は、昆布積や
秋味
鮭
など眞䑺願済の如何を問わず、すべて初船役として取り立てた。
南茅部町史 上巻
(共同網の起源)
明治一七年の境界訴訟事件の控訴状には「松倉ナル者文政年間
鮭
網ヲ製シ、初メテ之ヲ臼尻湾ニ投シ」とし、のちに,小川幸吉の
鮭
(
秋味
)網と村方の網との境界争いに、六箇場所の役人ならびに村々の重立が和解のために立会したのが
南茅部町史 上巻
(鮪網漁場歩方)
飯田屋の
秋味
場所は、見日の長磯と黒鷲岬の間の沖合の水深九尋から一二尋にあった。 ,ひとつは、飯田屋の
鮭
分方、鮪網分方人名控や勘定帳、精算帳。,明治四十年度 飯田屋「
鮭
分方人名控」(その一) 網方監督員 飯田市太郎 〃 九十三番地 , 上野 景行 澤山 三太郎 明治四拾壱年 飯田納家「
鮭
分方勘定帳
恵山町史
(2、箱館六ケ場所の成立)
貫目 形壱〆三,四百目迄 松前公儀江御取揚げ罷成、其外大き成は皆御預り方之分也 ・右の地 秋は生
鮭
も,<松前国中記より六ヶ場所の状況> 蠣崎左士殿ヨリ上り地 シヲトマリ 産物
秋味
川有 フルカワシリ,もあ里 新井田兵作殿 知行所 小名 ヲトシベ ノタオ井 産物 鯡 干鱈 昆布
秋味
川有, 夷におっとせゐ取 塩漬封印追々取次第城下江上る 産物 鯡 干鱈 鱒 おっとせ
秋味
川有,御場所(藩主) シツカリ 産物 煎海鼠
秋味
有 尻沢部(箱館尻沢部村・現住吉町
恵山町史
(3、幕府直轄以降の箱館六ケ場所)
・蝦夷地穀役は、昆布積や
秋味
鮭
など「眞舟風願済(まはんねがいずみ)」の如何を問わず、すべて初船役として
戸井町史
([戸井と近隣の変遷])
この川は
鮭
ものぼらず、イシフシ(カジカ)も棲(す)まないという。 ,シオトマリ、 フルカワシリ 昆布、
秋味
(あきあじ)(
鮭
) イシサキ 昆布、秋はブリ、サメ
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