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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 通説編 第一巻 (箱館の請負人)

箱館の請負人 こうして箱館に根拠を置く場所請負人も、その後、しだいに頭角をあらわし、天明6(1786,ミツイシ シブチヤリ シツナイ  場所  請負人 倉部屋太兵衛 ホロベツ  場所  請負人 箱館村与左衛門,シリキシナイ  場所  請負人 白鳥屋新十郎 (『蝦夷草紙・別録』)    このように箱館,は、後背地帯である六箇場所をはじめとし、遠く東蝦夷地の場所場所まで箱館商人が掌握することによって、おのずから,産物は箱館港に集荷され、一段と流通経済の伸長を示し、いよいよ重要な商港としての役割をもって発展につながってくることになる / 箱館の請負人
函館市史 別巻 亀田市編 (箱館への移動)

も箱館の方に居を移すようになり、次第に役所や寺社も人口の多い箱館へ移動して行った。  ,常々番人給人侍遣シ置申ヨシ、当村ニ已前ハ船懸リヨキ澗有レ之候ヘドモ、近年遠浅ニナリ、船懸悪敷相成候故、同所向合セノ箱館村卜申所澗有,○元禄三(一六九〇)年 亀田の称名寺箱館に移る。,○宝永三(一七〇六)年 亀田の高龍寺箱館に移る。,○元文六(一七四一)年 亀田奉行所箱館に移る(箱館に移動してからも亀田奉行所又は亀田番所と称した)。 / 箱館への移動
函館市史 通説編 第一巻 (鰊漁)

茅部辺は比較的鰊の群来(くき)もあって、ここに出塚する者もあり、『松前地方並東蝦夷地明細記』によると、「箱館村,、産物十二月より正月まで冬鰊」とあって、この冬鰊は有川村、戸切地村および箱館村などで漁し、今日では、ほとんど
函館市史 通説編 第一巻 (戸口の増加)

戸口の増加 以上のように東部沿岸在郷における漁業の発達と生産の増加に伴い、経済の中心地となった箱館は,、前述のごとく寛政10(1798)年幕吏中村小一郎の『松前蝦夷地海辺盛衰報告書』にも、見られるように箱館地方,三十戸に足らず 百二十余人 下湯川村 五十戸に足らず 二百余人 亀田村 三十余戸 百四十余人 箱館村,前記のように亀田村には200戸を数えていたが、これが僅(わず)か30戸余に減じ、それに代って港を控えた箱館村,寛政3年『東蝦夷地道中記』によれば、   箱館 領主支配 御制札一ヶ所、家数四百軒余、
函館市史 別巻 亀田市編 (赤川沢から赤川村へ)

四里六丁二十四間   赤川村         湯川村 温泉あり 二ケ村あり   鍛冶村         凾館村,足 百二十余人   下湯川村 五十戸不レ足 二百余人     亀田村 三十余戸 百四十余人   箱館村, 四百五十戸不レ足、二千五百余人、此所へも諸国の商船湊ひ来て市をなす事松前に等し、因レ之松前、江差、箱館,金ノ丞ノ三名赤川沢エ 当時亀田郡赤川村ヲ云フ 木屋懸ケイタシ、薪并笋菌〔タケノコキノコ〕等狩取、当郡箱館市街
函館市史 通説編 第一巻 (三港の戸口比較)

三港の戸口比較 嘉永3年におけるいわゆる蝦夷三港の福山、江差、箱館の戸口を比較すると第2表の通りで、,箱館市中の戸口はいまだ福山には及ばないが、すでに江差を凌駕し、付近の村々を合わせた人口では第1位に躍進,その原因は東蝦夷地は漁況不振ではあったが、産物の大部分が箱館に集まり、また箱館付きの土地は比較的広濶で,2,284 8,898 4,857 4,041 計 3,853 15,292 8,163 7,129 箱館,備考 福山村々は知内より小砂子に至る21か村    江差村々は石崎より熊石に至る26か村    箱館村々
椴法華村史 (箱館より木直までの道)

箱館より木直までの道 前項にも記したように寛永十年(一六三二)には、西は乙部から東は潮泊・石崎(函館市,前松前藩も終りに近い寛政九年(一七九七)ごろの箱館から椴法華付近に至る状況を『蝦夷巡覧筆記』(別名松前東西地理,『蝦夷巡覧筆記』  高橋壮四郎等著             (別名・松前東西地理)   箱舘(ママ,ヨリ四月迠フノリ五月ヨリ八月迠昆布水ヨシ    城下大泊川ヨリ筥(ママ)館マテ二拾五里六丁二拾四間、箱館村,當所ヨリ少シ先ニ岩崎アリ、ワシリ海ヨリ切立テ通行ナラズ野道三百間行ク此邊山近ク木アリ夫ヨリ    箱〓 / 箱館より木直までの道
恵山町史 ([人馬賃銭])

(箱館奉行所官吏および在住の諸藩の士卒はこの半額、諸藩の持場内は無償)』と定められた。,などの条件が基準となり、支払いも米から銭に代わり、合理的にはなってきたが、『新北海道史第2巻』には、「箱館村二十四
恵山町史 (2、箱館六ケ場所の成立)

なお、「村並」とした際の幕府の記録(休明光記附録巻五・箱館奉行羽太正養)には「箱館最寄口蝦夷地之内ノタヲイ,六ケ場所の生産物の集荷権は、箱館商人が握っており、2百石内外の小船で箱館港に集められた、昆布を主に鰊・,       ・角屋太郎右衛門(箱館) 四〇両 カヤベ    ・角屋吉右衛門 (箱館) 四〇両, サワラ     産物 鯡 干鱈 鱒 膃肭臍(オットセイ) 鮭 昆布         但し亀田村箱館村々百姓,・現住吉町)より是迄之場所場所の産物 何品ニ而も不残 箱 館村之小廻船則 合図也 是ニ而積廻し 箱館ニ / 2、箱館六ケ場所の成立
函館市史 通説編 第二巻 (松前藩との戦闘)

松前藩との戦闘 箱館占拠後、有川の陣屋から福山へ戻った松前藩の出方をうかがっていた脱走軍は、10月28,小銃の一斉射撃で表門を突破、またこれと相前後して、裏手からも1隊が突入、松前藩兵は新城を築いた館村および,亀田郡大野町側)、次いで12日には稲倉石(中山峠の桧山郡厚沢部町側)を抜き、15日早朝には松前勢が立籠もった館村
椴法華村史 (人馬賃銭と駅馬)

『新北海道史第二巻』によれば、「箱館村二十四か村の人馬賃銭も同様であったが、村が困窮なので、文化五年(
南茅部町史 上巻 ([松前国中記])

箱館在尻沢辺村から小安、戸井、尻岸内、尾札部(松屋崎まで)の村々の産物の第一番目に昆布と記している。,郷土の産出の第一は昆布で、その産物はすべて箱館の商人によって運ばれていったのである。  ,ニ□然共 町御奉行所              ゟ 下夷地又は箱館地廻り御折御村々ニ 亀田御番所□□,            産物 鯡 干鱈 鱒 膃朒𦜝 鮭 昆布              但し亀田村箱館村々百姓,シツカリ  産物 煎海鼠 秋味有             尻沢部ゟ是迄之場所/\の産物 何品ニ而も不残 箱館村之小廻
函館市史 通説編 第一巻 (古記録)

この書によると箱館村戸数約450戸、人口約2,500人となっている。
恵山町史 (『蝦夷巡覧筆記』より箱館よりヲサツベまでのようす)

『蝦夷巡覧筆記』より箱館よりヲサツベまでのようす 『蝦夷巡覧筆記』(別名蝦夷地東西地理)は、寛政9年,箱舘村(函館市)、馬有リ  産物十二月ヨリ正月迄冬鯡、四季雑魚ワルシ。  ,城下大泊川ヨリ筥館マテ 二拾五里六丁二拾四間 箱館村ヨリ外海江砂道行キ 大森(通称大森浜)  此所,ヨリ少シ先ニ岩崎アリ、ワシリ海ヨリ切立テ通行ナラズ、野道三百間行ク 此邊山近ク木アリ、夫ヨリ、  箱舘村,箱館から小安村までは、しばらく野道、踏み分け道を歩く、山が迫った所は海岸へ下り、海ぞいの砂道・砂利道・ / 『蝦夷巡覧筆記』より箱館よりヲサツベまでのようす
戸井町史 ([シロイ浜の硯石と最上徳内])

寛政二年(一七九〇)に書いた『蝦夷草紙』巻の二「産物の事」という項に、    「一、硯石     箱館村
函館市史 別巻 亀田市編 (馬の飼育法と性質)

馬に関する記事]  この表から農業中心と考えられる富川村から亀田村、それに商業中心と考えられる箱館村,『東在弐拾六カ村様子大概書』に、銭亀沢村、戸切地村などは「箱館へ仕送り駄賃を重の渡世とす」と記されている
南茅部町史 上巻 (松前昆布)

箱館港から昆布が積み出され、長崎俵物として清国へ輸出されるようになった。  ,を取候跡の末昆布也    家大小に不レ限 舟大小に不レ限 右之通松前収納蔵へ納申由   一、亀田箱館,元文四年(一七三九)に  五月よりは昆布に取りかゝりて其場所々々へ出船す 昆布は西海にはなく東海路箱館,あり 蝦夷地の東方及びカラフト島の海底皆是を生ずといへども運送に人力の費多ければ之を取らず 今出る所は箱館村,同じく蝦夷松前、江刺、箱館などにも採れり。
戸井町史 ([戸井と近隣の変遷])

島郷帳の箱館以東の地名は     「箱館村、しりさぶ村、ゆの川村、しのり村、銭神沢村、汐とまり村、,しりきしない、はらき、しおくびのさき、汐くび、おやす村、石崎村、銭亀沢村、ゆの川村、しのり村、しりさぶ村、箱館村,⑤天明元年(一七八一)『松前志第三巻』   「湯川村、鍛治村、箱館村、えくらまえ、しのり村、黒岩村、,百二十余人  下湯の川村、五十戸足らず、  二百余人  亀田村、三十戸足らず、   百四十余人  箱館村,一、箱館村、馬あり、十二月より一月までは冬鰊。
戸井町史 ((参考)北海道と青森県の円空仏)

田舎館村 弁天堂 十一面観音立像 弘前市 西福寺 十一面観音立像 佐井村長福寺のものと同型  〃   ,平館村 福昌寺 観音像    北海道と青森県に現存する円空仏や背銘の年号などから円空上人の足跡の,ここから亀田、箱館、銭亀沢、石崎、小安と泊りを重ね、小安から蝦夷舟に身を托して恵山に着き、ここから蝦夷船
戸井町史 (四、戸井から六万枚の古銭と宝物出土(文政四年))

、世話人である戸井の藤吉(金沢)茂八、鎌歌の第吉(近江屋―後の宇美)等が協議の上、場所支配人であった箱館村
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