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函館市史 通説編 第一巻
(奉行所の備船)
奉行所の備船
箱館丸
民間の航運状況は以上のようであったが、箱館奉行は、特に西洋型船舶の便利,(豆州下田で造船したスクーネル型船)の信敬丸、順捷丸の2艘の回付を受け、また箱館においてスクーネル型
箱館丸
函館市史 通説編 第一巻
(造船)
これが日本において外国人の手を借りずに西洋型船を製造したそもそもの最初であり、伺いのうえ
箱館丸
と名付けた,島野市郎治らの造船所があって、日本形船の製造および修繕に従事していたが、なかでも辻造船所はやや整備され、官船
箱館丸
函館市史 通説編 第二巻
(官設造船所と市中業者)
官設造船所と市中業者 函館の造船業界は安政期以降続豊治と辻松之丞(5代)の両船大工の共同作業によって
箱館丸
,この御船製造所は
箱館丸
や亀田丸を建造されたところで、文化年間(1804~1818)に建設された御作事場
函館市史 通説編 第二巻
(新しい産業分野をめぐって)
安政4年11月17日、万次郎は、箱館に着、箱館奉行は、江戸へ向け出帆しようとしていた
箱館丸
に万次郎を乗組,捕鯨の実地の調査も行なうことになる
箱館丸
に、万次郎を乗組ませ、操船、捕鯨の指導にあたらせようというのが,奉行の計画だったらしいが、
箱館丸
の乗組員が万次郎を拒否して来た。,
箱館丸
は、箱館の造船技術で自力開発した新造船で、はじめて本格的な外洋航海へ出発しようとするとき、外部から,」に、午3月11日の書類のメモとして「房州勝山村漁師新兵衛外弐人、鯨漁御取開之為、
箱館丸
ニ而相廻し候旨
函館市史 通説編 第一巻
(製鉄)
1860)年2月、箱館奉行は南部藩の箱館留守居に頼み、その職工20人の雇入れを依頼し、また、たまたま
箱館丸
函館市史 通説編 第二巻
(汽船の購入)
一方、箱館府付属船となったロワ号は、
箱館丸
と改名され、生産方所属となり、7月20日、仙台藩が退去してしまった
函館市史 通説編 第一巻
(諸術調所)
には、実用に適さずと批評する者もいたので、斐三郎はその実証を試みるべく、安政6年、奉行から預けられた
箱館丸
恵山町史
(③幕末蝦夷地の洋式製鉄(金属・1968年9月1日号) 技術のふるさと:古武井の高炉)
そのため、没落前の高田屋嘉兵衛のもとで働いていた船匠豊治を起用して、安政4年に
箱館丸
、5年に亀田丸、万延元年,安政6年(1859)、武田斐三郎は奉行所で自発的に建設した前記の
箱館丸
に学生を乗せ、蝦夷地の産物を積載
恵山町史
((4)古武井高炉と一連の施設)
学生指導、安政4年4月アメリカの在箱領事ライスの来箱による翻訳の仕事、安政6年7月より翌万延元年1月まで
箱館丸
,因みに、武田斐三郎は安政6年(1859年)7月10日、
箱館丸
で航海の途中、同年末宮古桑ケ港に停泊し、大島高任築造
恵山町史
(①松前地古武井熔鉱炉の研究並びに考証年表)
、万延元年(1860)2月箱館奉行は、南部藩の箱館留守居に嘱し、其の職工10人を雇入れること、並びに
箱館丸
,諸術調所教授役も兼務し(10)、ライス来箱には翻訳係を命ぜられたり、安政6年7月より翌万延元年1月迄、
箱館丸
上乗,統治と箱館の守備・発展を期し、五稜郭、弁天砲台の二大工事、西蝦夷地久遠場所、臼別寄場、古武井熔鉱炉、
箱館丸
,件留取扱大意)○六年末出来栄之儀申上凡御入用積モ申上置候云々(小出箱館御用留) 7月・斐三郎、前島密、
箱館丸
恵山町史
(②古武井熔鉱炉に関する研究 幕末期蝦夷地開拓と外国技術)
古武井熔鉱炉の結果が余り思わしくなかったことから、萬延元年(1860)2月、南部藩の箱館留守居役に嘱して、偶々
箱館丸
,指支之筋も無之候はば、斐三郎は当節
箱館丸
御船に乗組、宮古浜に碇泊いたし居候間、同所より為二相廻一候積、
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