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椴法華村史
(ブロウトンの再来航)
ブロウトンの再来航 寛政九年(一七九七)七月、前年のプロビデンス号の指揮官ブロウトンは別の船にて再度
絵鞆
,こうした時、藩側は、士卒三百名を
絵鞆
に急行させ高橋壮四郎に命じ堅く再来を禁止し、もしこれに背き不法に上陸,しかし、高橋は二日の午後やっと
絵鞆
に到着したため通告することはできなかった。
函館市史 通説編 第一巻
(噴火湾及び室蘭港調査)
室蘭港調査 この間、4月28日、サウザンプトン号が箱館港を出帆、5月1日噴火湾に入り、山越内沖から
絵鞆
澗内
函館市史 通説編 第一巻
(異国船の出没)
じないので来泊の事情を明らかにすることができないまま、英国船は17日錨を抜いて水深などを測量しながら
絵鞆
,プロヴィデンス号が破損したので、スクーネル船に搭乗、わが国の東海を経て7月19日(あるいは22日ともいう)またも
絵鞆
,松前藩では虻田勤番からの急報により、工藤平右衛門、加藤肩吾を遣わし、両人は26日
絵鞆
に着き、ただちに船,藩では、また下国武、新谷六左衛門らに命じて士卒300人を率いて
絵鞆
に急行させ、更に高橋壮四郎をして堅く
函館市史 通説編 第一巻
(箱館の場所請負人)
三〇九両八七五文 福山 和田屋茂兵衛 有珠 金 二一六両三分二朱 箱館 和賀屋卯兵衛
絵鞆
,和賀屋卯兵衛 金二〇七両三分 〃 甚三郎 金一七一両二分 〃 伊兵衛
絵鞆
椴法華村史
(ブロウトンの来航)
松前藩は、高橋壮四郎、工藤平右衛門、米田右衛門等を急派し彼らは
絵鞆
に停泊中のプロビデンス号を訪問し互いに
椴法華村史
(英人ブロウトンの日誌(要約))
あり、天候は不安定、風が追い風なので進路を港内に向ける、七時三十分南に恵山岬、風の都合がよいので進路を
絵鞆
港
函館市史 通説編 第一巻
(場所請負人の交替)
藤代屋藤吉 虻田 一〇〇両 松前 和賀屋七左衛門 有珠 一〇〇両 箱館 和賀屋卯兵衛
絵鞆
函館市史 通説編 第一巻
(ディアナ号箱館入港)
号箱館入港 ディアナ号 「北夷談」付図 (文化9年松田伝十郎著) ディアナ号は9月11日ようやく
絵鞆
函館市史 通説編 第二巻
(紋鼈・室蘭航路の譲渡)
初代渡辺孝平伝』によると1年ほど競争したが噴火湾汽船のほうから示談を申し込まれてきたので、それに応じて
絵鞆
丸
恵山町史
(1、異国船の来航)
にそれぞれ1か所の、合計14か所の台場を構築し、さらに勤番所を、東蝦夷地の山越内(現八雲町字山越)・
絵鞆
函館市史 通説編 第一巻
(請負人と場所との関係)
浜田屋兵四郎 有珠 和賀屋宇兵衛 和賀屋孫十郎 和賀屋宇右衛門 和賀屋孫次郎 和賀屋宇右衛門
絵鞆
函館市史 通説編 第一巻
(ロシア使節の来航)
到着す、而して新に松前より当市に来たれる幕吏四名と共に二十日(十二日)余等を船に訪問し、何故に指定の
絵鞆
港,は、厚岸出帆以来絶えず濃霧にて陸地とては更に見えず且つ海上殆んど凪続きなりし為め急潮に押流されて遂に
絵鞆
,余が指定したる人員は松前に行くことを得べきも、居残りの人々は日本人の加勢の下に最初約束に依り指定せる
絵鞆
恵山町史
(1、恵山式土器文化)
物質文化』60、1996 住居と墳墓 この時期の住居跡の発見例は少なく南川遺跡、室蘭市
絵鞆
岬遺跡
恵山町史
(6、郷土と高田屋嘉兵衛)
、ロシア暦5月26日)嘉兵衛を伴いディアナ号で国後島に到着予備交渉を成立させ、9月11日(ロシア暦)
絵鞆
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