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南茅部町史 下巻
(南茅部音頭)
南
茅
部
町史 下巻 / 南
茅
部
音頭 昭和三四年に町村合併がなり、九月には町制が施行された。 ,尾札
部
中学校教諭平沼吉太郎の作詞が選ばれ、曲は函館の音楽家、菅原憲明に依頼してできたのが南
茅
部
音頭である,南
茅
部
音頭 平沼吉太郎・作詞 菅原憲明・作曲 一、ハアー とろり朝なぎかもめが, 沖のだいぼうは うろこ波ソレ 「ほんによいとこ ほんによいとこ 南
茅
部
/ 南
茅
部
音頭
南茅部町史 上巻
(南茅部村設置)
南
茅
部
町史 上巻 / 南
茅
部
村設置 臼尻村・尾札
部
村は、新しい村南
茅
部
村設置のための手続きを経て、村長・村議会議員の選挙を,昭和三四年五月、南
茅
部
村の初代村長に鈴木慶一(旧臼尻村長)が就任した。 ,役場は、知事裁定に沿い本庁(旧尾札
部
村役場庁舎)と分庁(旧臼尻村役場庁舎)を置き、課を設けて新しい役場機構,南
茅
部
村議会が開かれて、初代議長に藤本種八(明治一七年生)、初代副議長に蛯谷金作(明治三六年生)が選出 / 南
茅
部
村設置
南茅部町史 下巻
(第二茅部病院)
南
茅
部
町史 下巻 / 第二
茅
部
病院 明治二〇年、かねて申請中の臼尻地方公立病院の設置が許可となった。,第二
茅
部
病院といい、位置は字臼尻六八番地に定めた。 ,初代医員には内田義久が命ぜられ、四月一〇日、鹿
部
村・臼尻熊泊村・尾札
部
村聯合の設立によって、開院式がおこなわれた, 第八公立病院 島牧郡泊村 公立島牧病院 一三・一〇・ 第九公立病院
茅
部
郡森村,に第二
茅
部
病院は廃止された。 / 第二
茅
部
病院
南茅部町史 下巻
(南茅部観光協会)
南
茅
部
町史 下巻 / 南
茅
部
観光協会 昭和四一年四月一日、南
茅
部
町観光協会が設立された。,目的は、南
茅
部
町の観光を内外に紹介し、観光施設の充実、観光資源の保護利用ならびに観光事業の振興に寄与することである,昭和五三年には、商工会婦人
部
の協力で、観光キャラバンをおこなうようになった。 / 南
茅
部
観光協会
南茅部町史 下巻
(〔南茅部の方言〕)
南
茅
部
町史 下巻 / 〔南
茅
部
の方言〕 ことばは生国(くに)の手形であるといわれる。,南
茅
部
に和人が来住したのは、二、三百年も昔のことで、おもに東北・北陸地方の出身者が、松前や江差に漁業などの,それぞれの国の方言が入り混じってくらし三代、四代と培われて、この地方なりの一つの風俗・習慣が形成され、南
茅
部
,南
茅
部
の方言は、この「浜ことば」そのものである。,石垣福雄著「日本語と北海道方言」に挙げられている道南海岸方言はそのまま南
茅
部
町の方言にあてはまるものが / 〔南
茅
部
の方言〕
南茅部町史 下巻
(南茅部八景)
南
茅
部
町史 下巻 / 南
茅
部
八景 奇岩聳える変化に富む古
部
・木直海岸から穏やかな渚の続く尾札
部
・臼尻への海岸や溪谷など試みに,南
茅
部
八景 大滝落雁(おおたきらくがん) 古
部
古
部
大滝の落雁。,赤壁(せきへき)に天より落ちて蒼海に飛沫 する大瀑布、古
部
の,黒鷲夕照(くろわしゆうしょう) 尾札
部
黒鷲八木浜の夕照。 / 南
茅
部
八景
南茅部町史 上巻
([南茅部町議会])
南
茅
部
町史 上巻 / [南
茅
部
町議会] 昭和三四年四月、臼尻村・尾札
部
村の合併に伴い新しい村の村議会議員の選挙が執行され、,南
茅
部
村議会が開設された。 / [南
茅
部
町議会]
南茅部町史 下巻
(南茅部消防団の沿革)
南
茅
部
町史 下巻 / 南
茅
部
消防団の沿革 昭和34・5・1 町村合併により尾札
部
村・臼尻村消防団を廃し、新たに南
茅
部
村消防団,分団長 浜田吉一
部
長一 班長四 団員二〇 34・ 9・ 1 町制施行により南
茅
部
町消防団となる,4・ 1 渡島東
部
消防事務組合渡島東
部
消防署設置(南
茅
部
町字尾札
部
六五番地)、職員一三名。 ,南
茅
部
町消防団を渡島東
部
消防事務組合南
茅
部
消防団と改称、団員二三〇名。 ,54・ 7・ 1 南
茅
部
消防署となる。 / 南
茅
部
消防団の沿革
南茅部町史 下巻
(南茅部町史に寄せて)
南
茅
部
町史 下巻 / 南
茅
部
町史に寄せて 南
茅
部
町議会議長 佐藤政五郎 [図] わたくしたちの郷土南
茅
部
町は,ここに永年にわたる研鑚の結晶として、南
茅
部
町史上下二巻の完結をみ、発刊できたことを町民ともども心から喜 / 南
茅
部
町史に寄せて
南茅部町史 下巻
(南茅部消防団 歴代団長)
南
茅
部
町史 下巻 / 南
茅
部
消防団 歴代団長 昭和34・ 5・ 1 南
茅
部
消防団 初代団長 大川源之助 47・ / 南
茅
部
消防団 歴代団長
南茅部町史 上巻
([茅部・山越水産組合])
南
茅
部
町史 上巻 / [
茅
部
・山越水産組合] 明治三五年、いよいよ漁業法が施行された。 ,はじめての漁業法に基づく水産組合規則により、
茅
部
・山越二郡をもって明治三五年七月、
茅
部
山越水産組合が創立,この年、全道的に漁業海区を適正区画して、漁業者の組織の独立と育成をはかる方針があったので、出願をうけた
茅
部
山越水産組合,ここに
茅
部
山越の二郡は、第一区古
部
より始まり、板木を加えて長万
部
まで二〇区をもって水産組合として新しい,[
茅
部
・山越水産組合] 区 分 村 名 組 合 員 副 組 長 検 査 員
茅
部
山越水産組合 / [
茅
部
・山越水産組合]
南茅部町史 上巻
(南茅部町の海藻)
南
茅
部
町史 上巻 / 南
茅
部
町の海藻 ヒトヒグサの類 アナアオサ エゾイシゲ チガイソ / 南
茅
部
町の海藻
南茅部町史 上巻
(茅部鰊(かやべにしん))
南
茅
部
町史 上巻 /
茅
部
鰊(かやべにしん) 上場所の鰊にくらべて沿岸の鰊は僅少であったが、
茅
部
鰊と総称されて砂原から長万
部
,開拓使事業報告の鯡漁業の項に
茅
部
郡 砂原村ヨリ落
部
村ニ至ル各村ハ 弘化中ヨリ漸々小漁,
茅
部
郡一円鯡大漁 (函館新聞 第二一六号 明治11・5・12 日曜)
茅
部
郡臼尻尾札
部
辺ハ(は,明治一二年の函館新聞には 尾札
部
村鯡豊漁千石漁獲
茅
部
郡木直尾札
部
川汲等の各村にて,冬ニシン漁開発 (函館新聞 第四八七号 明治14・4・14 木曜)
茅
部
郡尾札
部
村近海は、是迄夏鯡 /
茅
部
鰊(かやべにしん)
南茅部町史 上巻
(明治初期の茅部山越の財政)
南
茅
部
町史 上巻 / 明治初期の
茅
部
山越の財政 明治一八年当時、
茅
部
・山越郡長をつとめた桜庭為四郎の文書(北海道立図書館所蔵,)により、明治一〇年代(道庁以前)の函館支庁、函館県、
茅
部
、山越郡下の税賦課科目ほか微集高、予算、学校数,酒類小売営業鑑札料 正租五分一税 料理屋税 戸数割税 本表中○印ノ分ハ当
茅
部
山越両郡
部
内,三、旧開拓使
茅
部
山越両郡役所管内地方税賦課科目及徴収高調 四、函館県
茅
部
山越郡役所管内地方税賦課科目及徴収高調,四、函館県
茅
部
山越郡役所管内地方税賦課科目及徴収高調 五、協議費ヲ以テ支辨スル費用及費用金高年表 / 明治初期の
茅
部
山越の財政
南茅部町史 下巻
(〔南茅部電報電話局の沿革〕)
南
茅
部
町史 下巻 / 〔南
茅
部
電報電話局の沿革〕 ○開局前 明治 8・ 4・ 1 尾札
部
川汲臼尻郵便局開局 9,にそれぞれ合併 ○南
茅
部
電報電話局開局 昭和44・12・ 1 南
茅
部
電報電話局準備室設置 ,45・ 2・20 南
茅
部
電報電話局尾札
部
電話交換局設置(無人局) 47・ 4・10 南
茅
部
電報電話局, 52・12・14 木直電報電話局木直電話交換局設置(無人局) 53・ 4・28 南
茅
部
電報電話局,南
茅
部
電報電話局 / 〔南
茅
部
電報電話局の沿革〕
南茅部町史 上巻
(南茅部町の植生)
南
茅
部
町史 上巻 / 南
茅
部
町の植生 袴腰岳頂上(高山帯)付近とその植物 オオタカネバラ 袴腰岳頂上付近、,カンボク(果) ブナ林 ブナ林の内
部
( / 南
茅
部
町の植生
南茅部町史 上巻
(南茅部町史 上巻 目次)
南
茅
部
町史 上巻 / 南
茅
部
町史 上巻 目次 題字 小林 露竹 発刊のことば 南
茅
部
町長, 第二節 海藻…………………………………………………………………三八 沿岸の海藻 南
茅
部
町沿岸, 物 ―鳥類・昆虫―…………………………………………六一 位置・地形 鳥類 昆虫 南
茅
部
町昆虫目録, むすび 南
茅
部
町の植生・海藻・動物(写真)……………………………………八九 第二編 先史,……………………………………………………三三六 地名のうつり変わり 臼尻村字名改正 南
茅
部
町 / 南
茅
部
町史 上巻 目次
南茅部町史 下巻
([南茅部町議会議員])
南
茅
部
町史 下巻 / [南
茅
部
町議会議員] 昭和六二年四月二六日選(定員二〇名) 浜田常春 ,小板作次郎 佐々木勇一 杉林正一 田名
部
直司 / [南
茅
部
町議会議員]
南茅部町史 下巻
(〔北海道電力株式会社南茅部営業所〕)
南
茅
部
町史 下巻 / 〔北海道電力株式会社南
茅
部
営業所〕 北海道電力株式会社南
茅
部
営業所は、昭和五四年臼尻・尾札
部
電業所を,統合して、道々函館・南
茅
部
線沿い字川汲一五四八番地に新営業所が設置された。 ,南
茅
部
営業所は敷地三〇〇坪、機械室一〇〇坪の計四〇〇坪で、営業所面積一二一平方メートル(三六坪)である,北海道電力株式会社南
茅
部
営業所 南
茅
部
営業所概況 (表)南
茅
部
営業所概況 資料提供 北電, 南
茅
部
営業所 / 〔北海道電力株式会社南
茅
部
営業所〕
南茅部町史 下巻
(南茅部電報電話局電話加入者数)
南
茅
部
町史 下巻 / 南
茅
部
電報電話局電話加入者数 南
茅
部
電報電話局電話加入者数 昭和45・2・20開局 木直③,局 交換局設置 尾札
部
③局 臼尻②局 南
茅
部
町内 小計 鹿
部
⑦局 南
茅
部
局 総計 3・31,五九九 七六九 一、三六八 (三一二) (一、六八〇) 49・2・27 鹿
部
交換局設置,一、四二七 二、四〇〇 一、一六七 三、五六七 木直交換局一三六 12・14設置(古
部
九三 / 南
茅
部
電報電話局電話加入者数
南茅部町史 上巻
(南茅部町の動物 野鳥・海鳥)
南
茅
部
町史 上巻 / 南
茅
部
町の動物 野鳥・海鳥 メジロ オオルリ イソシギ アオバト / 南
茅
部
町の動物 野鳥・海鳥
南茅部町史 上巻
([南茅部町沿岸の海藻の分布])
南
茅
部
町史 上巻 / [南
茅
部
町沿岸の海藻の分布] 海藻の水平分布を左右する条件は、主として水温の相違であることは先にも述,前述のように、南
茅
部
町沿岸は直線的で単調なこと、さらに流入する大きな河川も無いことから種類の変化はほとんどない / [南
茅
部
町沿岸の海藻の分布]
南茅部町史 上巻
(南茅部町の環境と昆虫)
南
茅
部
町史 上巻 / 南
茅
部
町の環境と昆虫 昆虫は、生態系の中では食物連鎖の関係で重要な役割をしている。,化石と言われるムカシトンボがみられ、低湿地にはエゾアカガネオサムシ、乾燥地にクロヤマアリが営巣し、平野
部
や,北海道では南
茅
部
町と木古内町のみに生息が確認されているウラクロシジミなど食樹としてマルバマンサクのみを / 南
茅
部
町の環境と昆虫
南茅部町史 下巻
(〔南茅部町表彰条例〕)
南
茅
部
町史 下巻 / 〔南
茅
部
町表彰条例〕 (趣旨) 第一条 この条例は、町の行政、経済、社会、文化等の各般にわたって町政振興,南
茅
部
町表彰(功労章)昭和50年1月23日 功労章 受章番号 受章年月日 氏名 功労(善行),条例第三条第四号 二〇 50・1・23 故 秋本松雄 民生委員 (三一年)〃 二一 50・11・3 前野松蔵 古
部
町内会長,50・11・3 澤口吉雄 川汲衛生組合長磯地区班長(三一年)条例第五条第一号 六 50・11・3 岡
部
秀三,蔵書 六、八〇〇冊 寄附 条例第五条第二号 一六 60・9・25 日本電信電話株式会社 南
茅
部
電報電話局 / 〔南
茅
部
町表彰条例〕
南茅部町史 上巻
([南茅部町沿岸の環境条件―海流と水温])
南
茅
部
町史 上巻 / [南
茅
部
町沿岸の環境条件―海流と水温] 前述のように、海藻の地域分布(水平分布)を決める主な条件は水温,汐首岬から恵山岬を回って南
茅
部
町沿岸に至る海域にはヒバマタ、エゾイシゲ、ハケサキノコギリヒバのような寒流系種,したがって、南
茅
部
町沿岸は、襟裳岬以東の完全な寒流海域への移行地域、と見ることができるであろう。 ,南
茅
部
町沿岸の地形は比較的出入りが少なく直線的であるため、各地先特有の水温変動はなく、全沿岸ほぼ同じ変化 / [南
茅
部
町沿岸の環境条件―海流と水温]
南茅部町史 上巻
([南茅部町の埋蔵文化財調査年表])
南
茅
部
町史 上巻 / [南
茅
部
町の埋蔵文化財調査年表] 年 月 主な調査内容 昭和39・11 八木遺跡第一次発掘調査,ハマナス野プロジェクト設置し共同調査となる 7 文化庁文化財保護
部
記念物課田中琢技官視察,繩文時代中期の火災にあった狩り小屋発掘調査 8 南
茅
部
高校遺跡国庫事業発掘調査 ,光 B 遺 跡 83 見 日 D 遺 跡 84 岩 戸 C 遺 跡 85 南
茅
,
部
高 校 遺 跡 遺跡分布図 / [南
茅
部
町の埋蔵文化財調査年表]
南茅部町史 上巻
([南茅部町鳥類目録])
南
茅
部
町史 上巻 / [南
茅
部
町鳥類目録] アビ目GAVIIFORMES アビ科 GAVIIDAE アビ Gavia,調査区域は南
茅
部
町及び沿岸海域とした。 / [南
茅
部
町鳥類目録]
南茅部町史 上巻
(尾札部村冷蔵庫を設置)
南
茅
部
町史 上巻 / 尾札
部
村冷蔵庫を設置 (函館日日新聞/昭和12・5)
茅
部
郡尾札
部
村漁業組合は、事業振興を期するため,昭和一三年 漁業協同組合現況 無限責任 臼尻漁業協同組合
茅
部
郡臼尻村大字臼尻村, 電話臼尻四 地区
茅
部
郡臼尻村 設立 明治四四・四・二六 組織設定 昭和一〇・三・二八,
茅
部
郡尾札
部
村字尾札
部
電話尾札
部
四 地区
茅
部
郡尾札
部
村 設立 明治三九・一二・一一 ,準備金又ハ基金 一、二六五圓 其他積立金 一、八七一圓 組合員ノ生産總額 七二八、三四六圓 組合長
茅
部
郡尾札
部
村 / 尾札
部
村冷蔵庫を設置
南茅部町史 下巻
(〔渡島東部消防署〕)
南
茅
部
町史 下巻 / 〔渡島東
部
消防署〕 広域消防設置に伴い、亀田郡戸井町・尻岸内(恵山)町・椴法華村、
茅
部
郡南
茅
部
町・鹿
部
村,昭和四九年四月、関係町村は町村議会の議決を得て、渡島東
部
消防事務組合を設置、本
部
を南
茅
部
町に置く。,本
部
一、消防署 一、支署 五、分遣所 三をもって、北海道知事より危険物行政事務を引き継いだ。 ,初代消防長仲村由太郎・南
茅
部
消防署長前田利臣が就任した。 ,昭和五六年二月、本
部
に一課(管理課)をおき、次長を課長とし、二係制(総務係・消防係)となる。 / 〔渡島東
部
消防署〕
椴法華村史
(茅部丸の遭難)
茅
部
丸の遭難 大正十年十一月七日、
茅
部
丸、戸井沖で遭難。,大正十年十一月八日 函館日日新聞 ●戸井沖合で遭難せる
茅
部
丸 救助船急航す ,函館地藏町工藤喜一郎氏所有汽船
茅
部
丸(七十七屯)は昨日函館、蔭行雑貨を積取り出港したるに昨日午後十時頃戸井村沖合 /
茅
部
丸の遭難
南茅部町史 下巻
((6)木直学校古部分校)
南
茅
部
町史 下巻 / (北海道所蔵) 学第三十七号伺済 公立小学分校設立伺 一 分校位置 渡島国
茅
部
郡尾札
部
村支古
部
五番地,前條之通当支村内協議之上教則校則等者 御規則ヲ遵守設置仕度此段奉伺候也 開拓使渡島國
茅
部
郡,戸長兼学務委員代理筆生 小笠原 長
茅
部
郡長心得,
茅
部
山越郡書記 佐藤 宗正 開拓大書記官時任為基殿 (朱書, (函館新聞 第六五三号/明治一五・三・二〇 金曜) 分校設置の企(くはだて)
茅
部
郡木直 / (6)木直学校古
部
分校
南茅部町史 下巻
((2)尾札部学校)
南
茅
部
町史 下巻 / (2)尾札
部
学校 明治十三年 學校設立伺 學務係 (朱)民第二千七百五十五号,一、位置 渡島國
茅
部
郡尾札
部
村三拾三番地 一、敷地 六百六拾弐坪 内村共有地 一、校舎, 二拾五坪七分五厘 一、校名 尾札
部
学校 一、生徒 四拾名 一、教員 壱名 但シ,御指按 伺之趣聞届候事 年 月 日 公立小學校設立伺 一 学校位置 渡島國
茅
部
郡尾札
部
村三拾三番地,ニ係ル寄附金等別冊之通 一 校名 尾札
部
学校 一 生徒 四拾名 一 教員 壱名 但四十人受持 / (2)尾札
部
学校
函館市史 通説編 第一巻
(茅部漁民の訴え)
茅
部
漁民の訴え こうした状況のなかで箱館の集荷問屋長崎屋半兵衛と、場所請負人および零細生産者の具体的,安永8年5月19日、
茅
部
の漁民300余人が亀田村に至り、20日には、その数が増加して500余人に達し、,箱館に押し寄せ、各村の小頭が代表して亀田奉行に対し、
茅
部
の漁船中に役金を納めない者が240余艘もあるが,これは
茅
部
地方の漁民にとって、長崎俵物としての昆布生産が、いかに重要になってきていたかということを示すものであり /
茅
部
漁民の訴え
椴法華村史
(茅部漁民の強訴)
茅
部
漁民の強訴 昆布関係の税が松前藩の重要な財源であったことは前項で記したが、この税は昆布漁民にとってはかなりの,時代は少し下るが安永八年(一七七九)
茅
部
漁民が、長崎俵物昆布の一手買の不許可・昆布取船の役金の免除を求,
茅
部
地方は当時蝦夷地であったが、箱館附近から出稼する者が年々多くなり、中には定住する者さえも出てきた。,この時の要求は、
茅
部
の漁船の中で役金を納めない船が二百四十隻程もあるから、他の者もこれと /
茅
部
漁民の強訴
南茅部町史 下巻
(古部・滝ノ沢トンネル)
南
茅
部
町史 下巻 / 古
部
・滝ノ沢トンネル 昭和三六年、道々尾札
部
・戸井・函館線、古
部
・椴法華間の大開削工事が着手し、赤壁,昭和四一年一〇月一四日、古
部
・椴法華間道路開通式が現地で挙行された。,昭和四一年一一月、函館バスは南
茅
部
・下海岸環状線の運行が開始された。 , (昭和四三・五・六改正) 函館-鹿
部
-川汲-古
部
(以下海岸へ,(表)鹿
部
駅前-鹿
部
(温泉街) (注)△印は鹿
部
で臼尻川汲古
部
方面へ接続します。 / 古
部
・滝ノ沢トンネル
椴法華村史
(茅部郡鱈釣り船の行方不明)
茅
部
郡鱈釣り船の行方不明 明治四十年十二月、六日七日、九日、十日の暴風大時化のため
茅
部
郡沿岸の鱈釣り /
茅
部
郡鱈釣り船の行方不明
南茅部町史 上巻
(村を町とする申請)
南
茅
部
町史 上巻 / 村を町とする申請 七月二六日、南
茅
部
村議会は、南
茅
部
村を町とすることを議決し、鈴木村長は北海道知事に,昭和三十四年七月二十七日
茅
部
郡南
茅
部
村長 鈴 木 慶 一 印,の規定により昭和三十四年九月一日から
茅
部
郡南
茅
部
村を南
茅
部
町とすることについてよろしくお取計願いたく関係書類,議決謄本 第三回臨時会議案第一号
茅
部
郡南
茅
部
村を
茅
部
郡南
茅
部
町とすることについて 地方自治法第八条第三項,の規定により、昭和三十四年九月一日から
茅
部
郡南
茅
部
村を
茅
部
郡南
茅
部
町とすることを北海道知事に申請するものとする
南茅部町史 上巻
(創立期の役職者)
南
茅
部
町史 上巻 / 創立期の役職者 創立期の役職者 明治一七年設立の
茅
部
郡下漁業組合の役職者 北海道所蔵 尾札
部
村 ,戸長飯田与五左衛門
茅
部
第一組 尾札
部
漁業組合 村総代並 漁業取締 今津甚蔵 仝 仝副取締小田原幸作,仝 仝小板久兵衛 (尾札
部
村) 臼尻村・熊泊村 戸長篠田 順
茅
部
第二組 臼尻村,戸長高橋松之助
茅
部
第四組 鹿
部
村 〃 取締 伊藤源吾 副取締 秋田栄七 総代 原田栄太郎 (鹿
部
村), 戸長
茅
部
第十二組 落
部
村 〃 相木七五三作 副兼総代宮川勘之丞
南茅部町史 上巻
(浦役場)
南
茅
部
町史 上巻 / 難破浦証文の発行付与 船舶の出入の許可 水産物の検査・売買 明治一五年「
茅
部
郡役所伺届,ノ木蛯谷石倉三ケ村戸長 加 藤 保 身
茅
部
郡臼尻熊泊村二ケ村戸長 相 馬 権太郎 ,積
茅
部
郡砂原掛澗村二ケ村戸長 青 木 乾兵衛
茅
部
郡森宿ノ辺尾白内三ケ村戸長 村, 山 儀 助
茅
部
郡尾札
部
村戸長 飯田与五左衛門
茅
部
郡鹿
部
村戸長 ,高 橋 松之助
茅
部
郡落
部
村 戸長事務取扱筆生 古 沢 七 郎 右 之 通
南茅部町史 下巻
(【資料二-②】 郵便局等級手当人名表)
南
茅
部
町史 下巻 / 保坂源兵衛 二十銭 森 渡島
茅
部
, 下湯川 渡島亀田 ○ 五等七等 四拾銭 松倉重右衛門 戸井 渡島
茅
部
, 広島萬兵衛 川汲 渡島
茅
部
○ 五等七等 四拾銭 岩花与兵衛 ,臼尻 渡島
茅
部
● 五等七等 三拾銭 赤石歓三郎 鹿
部
渡島
茅
部
●,平田佐吉 掛間 渡島
茅
部
● 五等七等 三拾銭 三浦岩蔵 尾札
部
南茅部町史 上巻
(あとがき)
南
茅
部
町史 上巻 / 小林 露竹 昭和37年10月 南
茅
部
町教育委員会 南
茅
部
町史年表(一二五頁,) 小林 露竹 昭和42年9月 南
茅
部
町教育委員会 南
茅
部
町史料「木直二百年,の仏像」(昭和47)、千代肇編「南
茅
部
町の先史」(昭和48)、宗像英雄編「南
茅
部
町の植生」(昭和50),昭和五三年七月、南
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部
町の漁業開拓三百年記念事業が実施され、この終了とともに同年九月一四日、南
茅
部
町史編集室, 発行 南
茅
部
町 北海道
茅
部
郡南
茅
部
町字川汲一五二〇 印刷 第一法規出版株式会社
南茅部町史 下巻
(町の文化財指定)
南
茅
部
町史 下巻 / 指定文化財 一、国指定 名 称 所 在 地 所 有 者 指定年月日 摘要 土偶
茅
部
郡南
茅
部
町 字川汲一五二,〇番地 南
茅
部
町 教育委員会内 南
茅
部
町 昭54・6・6 著保内野段丘から発見された大形の土偶で、, 尾札
部
稲荷神社文 書 南
茅
部
町字尾札,
部
南
茅
部
町 昭53・2・28 天保一〇年(一八三九)飯田屋三代目与五左 衛門と小川屋幸吉は鮪漁法,科の大樹 南
茅
部
町字尾札
部
四七三番地 宗教法人尾札
部
稲荷神社 昭和53・2・28 昭和57・
南茅部町史 上巻
([引用・参考文献])
南
茅
部
町史 上巻 / 野遺跡発掘調査報告書 住宅建設に伴う国庫補助による第Ⅵ次調査 同 一九八〇年 臼尻B遺跡 北海道
茅
部
郡南
茅
部
町,における繩文時代中期集落の調査 同 小笠原忠久・松岡達郎 一九八一年 ハマナス野Ⅶ 北海道
茅
部
郡南
茅
部
町, ハマナス野遺跡Ⅷ 北海道
茅
部
郡南
茅
部
町における繩文時代前・中期集落の調査 , 雄山閣出版 一九八三年 ハマナス野遺跡Ⅸ 北海道
茅
部
郡南
茅
部
町における繩文時代前・中期集落, 一九八二年
茅
部
郡南
茅
部
町臼尻出土の石器 北海道考古学会だより第一三号 西連寺健編 一九七六年 松前町原口遺跡発掘調査報告書
南茅部町史 下巻
(漁業開拓三百年記念の歌)
南
茅
部
町史 下巻 / 漁業開拓三百年記念の歌 昭和五三年、南
茅
部
町の漁業開拓三百年の記念企画のひとつに町民の歌を制定することとして,町民のうたとして南
茅
部
音頭と町の歌をレコード化することになり、レコーディングの世話をしてくれた東京在住,の池田虎正の、南
茅
部
町の紹介テレビ番組「花も実もある旅」の主題歌「大謀網ばやし」と、「ふるさと慕情」を,南
茅
部
町音頭は尾札
部
の熊谷秀道(儀一)が唄い、大謀網ばやしは秀道の師匠で、木直出身の民謡歌手三島三秀が,南
茅
部
町歌 光あれ 原子修・作詞 川越守・作編曲 北方の風すさぶ
南茅部町史 上巻
(姉妹町友好(昭和五〇年))
南
茅
部
町史 上巻 / のち昭和四六年から南
茅
部
町もこれに参画した。 ,南
茅
部
町は合併町村としてのなりたちもあり、尾札
部
を開いた飯田屋初代与五左衛門は能登国珠洲郡飯田村の人である,尾札
部
は能登の能都町と、臼尻は南
部
の佐井村(青森県)の二つの祖先のふる里との友好促進の案を南
茅
部
町議会,青森県佐井村役場 協定書をとり交わした佐井村松谷村長と南
茅
部
町佐藤町長 北海道南
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部
町,[章] [南
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部
町概要表] 協 定 書 青森県佐井村と北海道南
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部
町は
南茅部町史 上巻
(建網)
南
茅
部
町史 上巻 /
茅
部
郡各種漁業
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部
郡各種漁業実際漁期調 資料 北海道立図書館所蔵 河野常吉「
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部
郡」(明治三九年,)
茅
部
郡各種漁業漁船漁夫数 三八年
茅
部
郡各種漁業就業者調 三九年,四〇年 河野常吉が明治四〇年ごろ、現地で取材した野帳ともいえる「
茅
部
郡漁業稿」(仮称)の
茅
部
郡漁業実際漁期調,尾札
部
村臼尻村七字(現在の南
茅
部
町の区域)の計は次のとおりである。
南茅部町史 下巻
(【資料】 竹中文書 一 「道庁 諸願届綴」)
南
茅
部
町史 下巻 / 渡嶋國
茅
部
郡尾札
部
竹中重蔵 自動車運輸営業路線延長許可願,本籍
茅
部
郡尾札
部
村字川汲百拾番地 商号 中 住所 同郡同村字恵比須浜壱番地 職業 自動車乗合運輸営業,竹中重蔵 慶応二年二月参日生 一、営業ノ種別 自動車乗合運輸 二、営業所在地
茅
部
郡尾札
部
村字恵比須浜壱番地,起点
茅
部
郡尾札
部
村字イナリ浜八拾参番地 経過地
茅
部
郡尾札
部
村字川汲同郡臼尻村,(表) 其詳細ハ別紙図面ニ記入ス 四、停車場ノ位置 (一)既許可営業路線停車場
茅
部
郡尾札
部
村字尾札
部
九拾五番地
南茅部町史 上巻
([海区漁業調整委員会])
南
茅
部
町史 上巻 / ・銭亀沢) 函館市 恵山 〃 (戸井・尻岸内・椴法華) 戸井村
茅
部
郡南
部
, 〃 (尾札
部
・臼尻・鹿
部
) 臼尻村
茅
部
郡北
部
〃 (砂原・,森・落
部
) 森 町 八雲長万
部
〃 (八雲・長万
部
) 長万
部
町, 郷土(臼尻村・尾札
部
村)は
茅
部
郡南
部
に属し、海区漁業調整委員会の事務所は臼尻村役場内に置かれて、,以来、多くの漁業問題について調整の役割を果たし、
茅
部
郡南
部
地区にはじまり、昭和二九年渡島北
部
海区、昭和三七年
南茅部町史 下巻
(高等学校の沿革)
南
茅
部
町史 下巻 / 5・ 1 臼尻村尾札
部
村合併、新しい南
茅
部
村発足に伴い設置者名変更し、南
茅
部
村立南
茅
部
漁業 ,9・ 1 町制施行により南
茅
部
町立となる。 ,を町立南
茅
部
高等学校と改称。,で南
茅
部
村が誕生したのに伴い、二村組合立南
茅
部
漁業高等学校と改称 昭和三四年(一九五九) 二年後,の町制施行を経て 昭和三九年(一九六四) 道立へ移管 南
茅
部
高等学校となる 校名の「南
茅
部
南茅部町史 下巻
([あとがき])
南
茅
部
町史 下巻 / 昭和六十二年九月 南
茅
部
町史編集室長 荒木恵吾 町史編纂審議会,委員 熊谷正一 会長・委員 徳田金蔵 委員 森野政利 町史編集室長 荒木恵吾 南
茅
部
町史 下巻,昭和六二年九月二五日 印刷 昭和六二年九月三〇日 発行 編集 南
茅
部
町史編集室 発行 南
茅
部
町,北海道
茅
部
郡南
茅
部
町字川汲一五二〇 印刷 第一法規出版株式会社
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