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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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南茅部町史 下巻 (川汲温泉ホテル)

川汲温泉ホテル 昭和四五年、温泉ホテルの新築によって、薬師堂の正面に大きなホテルの建物が建ったので、,社長小田原梅男夫人みつ(大正元生)は、温泉の近くで交通事故などがつづくことを憂慮して、薬師堂の移転改築,この移転に先だって旧薬師堂を解体したところ、内壁の板壁に使われていた明治前後の記帳と思われる落書が多数発見
南茅部町史 下巻 (〔嘉永七年「六ヶ場所書上」にみる神社庵室〕)

浄土宗箱館称名寺末   影の浜     地蔵      壱体           観音堂           薬師堂,六躰地蔵   川汲      稲荷社     壱ヶ所  亀田村神主 藤山大膳持           薬師堂
函館市史 通説編 第一巻 (神社)

神社 往時は神仏混淆の時代で、薬師堂のごとく寺か社か区別しがたいものもあるが、のちに神社と定められたものを,  湯川村薬師堂(現湯倉神社) 元和3(1617)年、湯座に薬師仏を祀ったのに始まると伝える,その鰐口は湯倉神社に現存し、それには「奉掛薬師堂松前千勝丸敬白甲午承応参年正月吉祥日」、裏に「国次作」
南茅部町史 下巻 (鶴の湯伝説)

この頃、薬師堂が建てられ、石仏薬師如来(実像は座像の地蔵菩薩像)を祀った。,のち、箱館の医師、深瀬鴻斎翁が薬師堂を建て替えたものだという。  ,薬師堂。一間に一間半位のうつくしき堂也。石階二十級斗を上る。湯守。
南茅部町史 下巻 (〔温泉〕)

一七四一~四四)、「土人始テ見出シ候由」と川汲温泉鶴泉の由来は、文化一二年、仙台の人千葉尚が記録した掲額が薬師堂
椴法華村史 (恵山大権現)

一八五五)の『東蝦夷地海岸図台帳』によれば、「ゑさんの川原より恵山御殿まで登り七百廿間、この所に秋葉山あり薬師堂入組
南茅部町史 下巻 (比企眠山の扁額「恭謝薬王殿」)

薬王殿(薬師堂)に度々参詣して、文化一二年、千葉尚の掲額を見聞した直道は、自らも薬王殿に掲げる長文をしたため
函館市史 通説編 第二巻 (5月11日の戦い)

諜報活動などを務めていた遊軍隊(当時の隊長は京都出立以来清水谷公考に近侍していた藤井民部)が、箱館山薬師堂
南茅部町史 上巻 (附記)

上に 薬師堂    一間に一間半位のうつくしさ堂なり。
函館市史 通説編 第一巻 (箱館の町勢)

薬師山 箱館山の頂上で峰つづきの少し東の方に薬師堂があり、市中で眼病を患う者がここにこもるという。
恵山町史 (銅・鉛・亜鉛・硫化鉄・アンチモニー)

露天風呂はしばらく姿をとどめていたが現在は消滅し、薬師堂に当時の面影を残すのみとなっている。
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