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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 通説編 第一巻 (旗艦ポーハタン号の入港)

右に付、応接方藤原主馬、関央、代島剛平、蛯子次郎橋船にて、前段蒸気船へ差遣し候処、年頃四十歳位に相見得候異人罷出,さて、この日の応接方藤原主馬らのアメリカ艦中における応接の次第を、『ペルリ提督日本遠征記』には、次のように
函館市史 通説編 第二巻 (黒船渡来)

その後「昼九ツ時頃」(正午頃)もう1艘の異国船が弁天崎台場沖へ碇泊したので、再び応接方(新たに藤原主馬,3艘が碇泊するや、ただちに応接方藤原主馬・関央・代嶋剛平・蛯子次郎が橋船でポーハタン号に赴き、ペリー付通訳
函館市史 通説編 第一巻 (艦隊の動静)

そこで遠藤又左衛門、藤原主馬の両人が、弁天崎に至って見分していると、ここには寄らず、内澗の方に乗入れたので
函館市史 通説編 第一巻 (2水兵の埋葬)

高龍寺下浜手に漕付け同所より上陸、山背泊火葬場へ葬送致し候に付、途中夫々警固致させ、且見届のため遠藤又左衛門、藤原主馬
函館市史 通説編 第二巻 (「松前辺」から「箱館湊」へ)

また松前藩は、その応接役に家老松前勘解由、用人遠藤又左衛門、町奉行石塚官蔵、箱館奉行工藤茂五郎をあて、藤原主馬
函館市史 通説編 第二巻 (ペリーの要求と松前藩の回答)

中国文翻訳者)羅森の6名、日本(松前藩)側代表は、用人遠藤又左衛門、町奉行石塚官蔵、箱館奉行工藤茂五郎、応接方藤原主馬
函館市史 通説編 第二巻 (ペリーから知らされた条約)

4月21日、藤原主馬・関央・代嶋剛平・蛯子次郎の応接方がマセドニアン号で幕吏の書状を受け取ったあと、ウイリアムズ
函館市史 通説編 第二巻 (幕吏との会談と退帆)

号上で安間・平山等とペリーとの会談が行われたが、この時井上富左右と松前藩側の遠藤又左衛門・石塚官蔵・藤原主馬
函館市史 通説編 第一巻 (アメリカ士官との応接)

上、今日応対の日本側の名前を尋ねたので、用人遠藤又左衛門、町奉行石塚官蔵、箱館奉行工藤茂五郎、応接方藤原主馬
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