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南茅部町史 下巻
(アイヌ神話)
(胆振地方) 有珠郡の
虻田
と、伊達の町の境にある談判岩(チャランケシュマ)という立岩。 ,昔、伊達と
虻田
の境の海岸に鯨が漂着した。この鯨を
虻田
部落のものが、ひとりじめにしようとした。 ,勝ちほこって威張っている岩が有珠のオキクルミの岩で、負けてしょ気ている岩が
虻田
のサマイクルの岩である。
南茅部町史 下巻
(北海道稲荷社 一一三座)
天塩 二座 文久三年苫前村 万延元年力昼村 胆振 三座 安政二年長万部村
虻田
振苗村
椴法華村史
(ブロウトンの来航)
来航 寛政八年(一七九六)八月十四日、英国海軍中佐ブロウトンの指揮するプロビデンス号乗組員百余名が
虻田
函館市史 通説編 第一巻
(異国船の出没)
したアジア大陸東岸を探検測量しながら、8年8月上旬奥羽南部に着し、北に向って噴火湾に入り、同月14日
虻田
,蝦夷地巡視のため厚岸に至り、その帰途長万部でこの知らせを聞き、ただちにこれを福山に報告するとともに、
虻田
,松前藩では
虻田
勤番からの急報により、工藤平右衛門、加藤肩吾を遣わし、両人は26日絵鞆に着き、ただちに船
椴法華村史
(アイヌ語か日持か)
(例) ススポッケ 上磯郡泉沢村(寛文十年頃使用) フルボッケ
虻田
郡後志川上流(明治時代使用,) ランボッケ
虻田
郡登別町(明治から昭和年代使用) 音江法華 余市郡 (明治時代使用
函館市史 別巻 亀田市編
(中島有郷)
明治三十二年十二月
虻田
郡眞狩村戸長役場を振り出しに、有珠郡伊達村の書記を経て、明治三十五年四月上磯郡上磯村
函館市史 銭亀沢編
(真宗興正寺派西願寺)
本堂に使われた材料は
虻田
郡喜茂別町から運ばれ、上磯郡木古内町在住の宮大工によって建設された。
恵山町史
([陸路の充実])
主な道路の開削では、寛政・享和年間(1789~1803年)東蝦夷地の礼文華山道(長万部~
虻田
)、様似山道
椴法華村史
(ブロウトンの再来航)
虻田
勤番所は直ちにこのことを松前藩に報告し、これに対して藩は、工藤平右衛門、加藤肩吾を急派した。
函館市史 通説編 第一巻
(畜産)
が馬を飼うことは従来通り禁止されていたが、和人地では自由に飼うことができたので、前時代から官設有珠・
虻田
牧場,こうして翌4年5月亀田村葭川(よしかわ)野(現吉川町付近)に牧場を取立て、有珠・
虻田
牧場から馬を牽き入
函館市史 通説編 第一巻
(場所請負人の交替)
山越内 一三〇両 箱館 藤代屋藤吉
虻田
一〇〇両 松前 和賀屋七左衛門
椴法華村史
(主要道路の開削)
そこで箱館奉行堀利〓は理想的な道路の開削計画として、箱館から鷲木・長万部・
虻田
を経て、勇拂と石狩川を結
恵山町史
(新たに設けられた19の支庁 明治30年(1897年)10月)
〃 網走郡北見町 網走・斜里・常呂・紋別 室蘭支庁 胆振国室蘭郡札幌通 室蘭・有珠・
虻田
,③同43年3月寿都・岩内・小樽の3支庁を廃止し、それぞれの管轄区域に
虻田
郡の東倶知安・真狩・狩太村を加
恵山町史
(3、泉藤兵衛の供養塔)
その間に菓子商を営み資金を蓄え、佐野孫右衛門より
虻田
礼文華の漁場を譲り受け漁業に従事する。
函館市史 通説編 第一巻
(箱館の場所請負人)
運上金 請負人 山越内 金 二六五両二分 福山 新屋新左衛門・由利屋与兵衛
虻田
恵山町史
(定雇船頭高田屋嘉兵衛)
十勝(金一八両) 山越内(金一〇両) 浦河より幌泉迄(金一四両) 沙流より三石迄(金一三両)
虻田
南茅部町史 下巻
(修学旅行)
僕等一行は
虻田
小學校に行って休ませてもらった。,
虻田
小學校の先生や生徒に別れて六粁程の道を洞爺湖へ歩いた。途中山道の木蔭で休んでは又歩む。,皆の持物は土産(みやげ)品の為めに大そう大きくなってもう
虻田
駅までの徒歩を望む者は一人もない。,電車に乗ることにして車中に風光を賞しながら
虻田
駅に向った。七時二十二分
虻田
着。 ,今度は汽車で
虻田
を發(た)って辨邊駅に着いたのは七時五十五分であった。すぐに罐詰工場を見學に行く。
椴法華村史
(蝦夷地の主要道路)
松前-大野-茅部峠-森-長万部(礼文華-
虻田
)-幌別-白老-勇拂-様似-幌泉-広尾-大津-白糠-釧路(
南茅部町史 下巻
(大正四年 函館港海運・回漕店)
三陸汽船株式会社 定航 玉ノ浦丸 同所行 函館噴火湾 定航 笠井丸 室蘭・紋鼈・
虻田
, 吹雪丸 森・室蘭 電話一五〇番・五七七番 伊達丸 室蘭・紋鼈・
虻田
南茅部町史 上巻
([北海道の大謀網])
文化十癸酉年茅部郡尾白内村ニ鯡差網ヲ設ケ一ノ漁場ヲ開鑿シ漁舎倉庫ヲ建テ鰊引網ヲ営ミ連歳ノ豊漁ヲ得又文化三年中胆振國有珠郡
虻田
字,ベンベ濱中及山越郡山越内字山崎ノ二所ニ鯡鰊鰯漁場ヲ開ク而シテ
虻田
ノ鯡漁終ルヲ須テ夏期山崎ニ於テ鰯漁ス同年中又亀田郡銭亀澤,糸網ニ倍スルノ収獲アルニ至ル幸吉前後漁業ニ従事スル五十餘年一日ノ如シ玆ニ至テ一家独立基業全ク成ル其後
虻田
銭亀澤,文化三年(一八〇六) 幸吉 臼尻村 鰯引網 一ヶ統 ①② 〃 幸吉 山越内村 鰯引網 ④ 〃 幸吉
虻田
村,統 ①②③④ 〃 三代 与五左衛門 胆振樽前 鰯引網 一ヶ統 ①②③④ 文政三年(一八二〇) 幸吉
虻田
函館市史 通説編 第二巻
(函館支庁の設置)
北見国網走郡北見町 網走郡、斜里郡、常呂郡、紋別郡 北海道庁室蘭支庁 胆振国室蘭郡札幌通 室蘭郡、有珠郡、
虻田
郡,注1 室蘭有珠
虻田
幌別勇払白老郡長 注2 台湾総督府法院検察官を兼務 注3 15.11.2区長不在時,注4 室蘭有珠
虻田
幌別勇払白老郡長 注5 釧路広尾当縁十勝中川河西河東上川白糠阿寒足寄川上厚岸郡長
函館市史 通説編 第一巻
(箱館奉行所建築)
同2年戸川安論に代わり、安論は近郷に墾田し、
虻田
に牧場を設けるなどのことがあった。
椴法華村史
(陸路の充実)
以上のような幕府の方針に基づき、まず寛政・享和年間(一七八九~一八〇四)には、東蝦夷地長万部-
虻田
間、
函館市史 通説編 第一巻
(恵山文化とその資料)
恵山式土器とそれに類似する土器は、函館周辺、噴火湾沿岸の室蘭、
虻田
、八雲などや日本海側の松前、江差、瀬棚
函館市史 通説編 第二巻
(紋鼈・室蘭航路の譲渡)
噴火湾汽船のほうから示談を申し込まれてきたので、それに応じて絵鞆丸と木の川丸の就航船をはじめ、紋鼈、室蘭、
虻田
函館市史 通説編 第二巻
(矢越丸による海運業の創始)
「
虻田
・有珠両郡 従来ハ漁獲物ヲ日本船ニテ函館地方ヘ運漕セシニ依リ甚タ不便ナルカ故ニ時期ヲ失ヒ直段ノ為
恵山町史
(1、菊池重賢 壬申八月巡回御用神社取調『解題』)
太櫓、久遠、奥尻、以上15郡 第2巻 上磯、亀田、茅部 以上 3郡 第3巻 亀田、茅部、山越、
虻田
椴法華村史
(昭和八年)
渡島國亀田郡尻岸内村字古武井金脈が現れたが函館からの自動車を古武井市街で降り立ち約一里をへだてた露頭金鑛地域は
虻田
郡豊浦村星野昌七氏
函館市史 別巻 亀田市編
(箱館奉行の馬産奨励と馬市)
すなわち従来の有珠、
虻田
にあった牧場に更に安政五(一八五八)年浦河に牧場を開設し、馬質改善のために不良馬百八頭
函館市史 通説編 第一巻
(円筒土器の遺跡)
函館周辺地域以外で貝塚を伴った遺跡は噴火湾沿岸に多く、長万部町静狩貝塚、
虻田
町入江遺跡、伊達市若生貝塚
函館市史 通説編 第一巻
(巨石文化)
北海道のストーン・サークルの南限は、このころ
虻田
郡狩太町(ニセコ町)であったが、南茅部町臼尻遺跡と函館
函館市史 通説編 第二巻
(渡島国を7大区とする企画)
胆振国山越郡)1~2小区 2村 1小区 2小区 山越内村 長万部村 第20大区(胆振国
虻田
有珠室蘭
函館市史 通説編 第二巻
(旧制度の改廃と開拓使の流通政策)
がなされず、函館と関係の深い旧東蝦夷地では、小林重吉が三石、杉浦嘉七が浦河、様似、幌泉、伊達藤五郎が
虻田
戸井町史
(二、汐首観音堂と円空仏)
、江差地方、松前地方、知内、木古内、上磯、七飯附近に仏像を納め、寛文六年の六月から八月頃にかけては、
虻田
函館市史 通説編 第二巻
(商取引の実態と商人の諸相)
佐野孫右衛門は石狩13か場所内の請負から釧路場所の請負人となり、
虻田
場所の請負や、北蝦夷地の漁場開拓に
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