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函館市史 通説編 第一巻
(蠣崎氏の独立)
すなわち、天正18(1590)年関白豊臣秀吉が小田原城の北条氏を滅ぼして奥州に出陣するや、
蠣崎慶広
(季広
函館市史 別巻 亀田市編
(松前藩の蝦夷地統一と番所の設置)
このような状況の中で
蛎崎慶広
(松前氏第五代)は文禄二(一五九三)年豊臣秀吉に謁し、志摩守に任ぜられ、蝦夷島主
戸井町史
(一、蝦夷時代の概観)
一、蝦夷時代の概観 天正十八年(一五九〇)
蠣崎慶広
が豊臣秀吉から蝦夷地の領有権を認められる以前を蝦夷時代,権謀術策によって、屢々(しばしば)蝦夷を敗り、松前藩が完全に蝦夷をその支配下においたのは、信広より五代目の
蠣崎慶広
椴法華村史
(安東氏より独立)
として、入港の商船から税を徴収することが主な仕事であった蠣崎氏は、徐々にその実権を強化していき、第五代
蠣崎慶広
戸井町史
(二、松前時代前期の概観)
二、松前時代前期の概観 天正十八年(一五八三)
蠣崎慶広
が、豊臣秀吉から蝦夷地の領有管轄権を認められた
戸井町史
(二、戸井への和人の定着)
天正十八年(一五九〇)に、松前藩主
蠣崎慶広
が 「汐首崎以東の蝦夷地には和人の往来を禁じ、汐首岬以西
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