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椴法華村史
(寛政十二年ころの昆布漁業)
寛政十二年ころの昆布漁業 『
蝦夷島奇観
』寛政十二年(一八〇〇)刊は昆布採集時期と種類について次のように,この「
蝦夷島奇観
」の記事から、昆布の採取時期は六月土用から八月十五日頃までにかけてであり、この当時の昆布,(御上り昆布というのは元昆布に属するものである) 「
蝦夷嶋奇観
」寛政12年(1800) 昆布と採取用具,の図 「
蝦夷嶋奇観
」昆布取りの図 寛政12年(1800)
函館市史 通説編 第一巻
(奏檍丸の記録)
幕府の蝦夷地調査隊に絵図師として参加した秦檍丸の『
蝦夷島奇観
』-寛政12(1800)年-に、国後、択捉,秦檍丸「
蝦夷島奇観
」″尻沢辺の土器″(図中右端のもの)
南茅部町史 上巻
(御上り昆布)
蝦夷嶋奇観
は、寛政一一年(一七九九)に成立したといわれ、数多くの写本がある。,
蝦夷嶋奇観
の一五六に「御上り昆布、一に曰く天下昆布」と記す。,(口絵参照)
蝦夷島奇観
秦檍丸 百五十五 昆布は東蝦夷地に産す
函館市史 通説編 第一巻
(風俗)
風俗 女子の風俗について『函館区史』は、「
蝦夷島奇観
に、『髪長くして美形細腰なる者多し』と記す。
函館市史 通説編 第一巻
(衣食住)
女子風俗図 「
蝦夷島奇観
」より 服装については、もしも貞治の碑がこの地で製作されたものとすれば,また寛政年間の『
蝦夷島奇観
』には、農耕をする女人の絵があって、「女子畑を作り粟、稗、蕎麦、大豆など作りて,住居については、『
蝦夷島奇観
』の絵によれば、土蔵や白壁の家らしいものも見られるが、その多くの家屋は屋根
函館市史 通説編 第一巻
(箱館山の薬師信仰)
箱館山の薬師信仰 『
蝦夷島奇観
』によれば、元和2(1616)年、河野政通の子孫で良道阿闍梨という出家
椴法華村史
(恵山)
恵山 『
蝦夷島奇観
』(泰(はた)憶丸(あおきまろ)著)によれば、「エシヤニノホリ、訛語してヱサンと云
函館市史 通説編 第一巻
(生活)
生活 童子雪中遊技図 「
蝦夷島奇観
」より 漁業商業とも箱館は夏期は繁忙となるのに反し、冬期はまことに
函館市史 通説編 第一巻
(幕吏の文人)
幕吏の文人 昆布と採取用具の図 「
蝦夷島奇観
」 東蝦夷地の直轄以来、箱館を訪れた幕吏もようやく,松平越中守に見いだされて幕府に仕え、数回におよぶ蝦夷地往来の見聞を『
蝦夷島奇観
』『東蝦夷地名考』『蝦夷産業図説,』等に著わし、とくに『
蝦夷島奇観
』およびその付録には、寛政年間の箱館が詳細に記録され、貞治の碑も彼によって
函館市史 通説編 第一巻
(箱館港)
箱館港 箱館市中図 「
蝦夷島奇観
」より 由来、箱館は津軽海峡の中央に位し、箱館山が海中に突出
函館市史 別巻 亀田市編
(亀田番所)
亀田番所 寛政年間筥館市中之図
蝦夷島奇観
所載 市立函館図書館蔵(箱館移転後の亀田番所) 亀田番所
函館市史 通説編 第一巻
(和人渡来と蝦夷の歌枕)
の際、戦いに破れてのがれ渡るものや、北陸道の辺りから、産物交易に通い、後永住した者もあったと伝え(『
蝦夷島奇観
南茅部町史 上巻
(御用昆布)
寛政年間すでに菅江真澄が記している尾札部から鹿部までの昆布採りのこと、文化年間、村上島之允の
蝦夷島奇観
南茅部町史 上巻
(口絵)
北海道建網大謀網漁業発祥之地の碑(黒鷲岬) 重要文化財 中空土偶/南茅部町尾札部(著保内野遺跡出土)
蝦夷島奇観
恵山町史
(1、蝦夷地の直轄)
に乗り出した(この年、渋江長伯一行が恵山を調査「東游奇勝」に著す、秦檍丸(村上島之允)も恵山を調査「
蝦夷島奇観
函館市史 別巻 亀田市編
(蝦夷地直轄)
蝦夷地直轄 箱館嶴地図(
蝦夷島奇観
) 市立函館図書館蔵 寛政十一(一七九九)年一月十六日、幕府
恵山町史
(2、箱館六ケ場所を『村並』に)
年(1799)幕府の調査一行が描いた恵山 「東游竒勝」より 秦檍丸の描いた恵山「
蝦夷島竒觀
函館市史 通説編 第一巻
(館主とその性格)
して南部の田名部に至り、前述のごとく安東政季に従って渡海し、宇須岸に館を築いたといい(『新羅之記録』『
蝦夷島奇観
函館市史 通説編 第一巻
(開墾事業)
農耕の図 「
蝦夷島奇観
」より 右のように一時は非常な意気込みで開墾され、ことに
函館市史 銭亀沢編
(マコンブと昆布食の歴史)
羽原(1940)が、江戸時代の文献『
蝦夷嶋奇観
』から「シノリ昆布。箱館東海に産す。長七尋余。
函館市史 通説編 第一巻
(掘割および築島)
『
蝦夷島奇観
』、『蝦夷雑記』、『箱館夜話草』などに、松右衛門や松右衛門島などのことが築島に関係して所見
函館市史 通説編 第一巻
(蝦夷地経営の方針)
蝦夷地経営の方針 寛政期の箱館の図 「
蝦夷島奇観
」より 蝦夷地経営にあたっては、蝦地夷御用掛五有司
函館市史 通説編 第一巻
(亀田番所の設置)
この亀田番所の設置年代はつまびらかでないが、『
蝦夷島奇観
』によれば「慶長中白鳥孫三郎 奥州盤井郡白取村社家
函館市史 通説編 第一巻
(日本人人種論)
この伝説は『
蝦夷島奇観
補注』(松前志摩守徳広)や『蝦夷図説』(山田金銀軒)にも抜書きされていて、要約すれば
戸井町史
([昆布漁])
(8)寛政十二年(一八〇〇)に書かれた『
蝦夷島奇観
』に 「昆布は東夷地に産し、西夷地にはない。,昆布についての古書、古記録を調べて見ても、村上島之丞の『
蝦夷島奇観
』の記述は、正に「絶品」である。
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