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函館市史 銭亀沢編
(幕府、蝦夷地の直轄を開始)
この調査に参加した佐藤玄六郎の記録「
蝦夷拾遺
」には、村ごとの戸数と人口が記録されている。 ,表1・1・1 天明5年銭亀沢周辺戸口 「
蝦夷拾遺
」『北門叢書』第一冊により作成 本制札場
函館市史 通説編 第一巻
(生活水準)
しかし天明のころの箱館は「此処にても諸国の商船湊に来て市をなす事、松前に等し」(『
蝦夷拾遺
』)といわれるようになり
函館市史 通説編 第一巻
(地誌・風俗書)
北海随筆』を始めとし、天明4(1784)年平秩(へづつ)東作の『東遊記』、同6年佐藤玄六郎らによる『
蝦夷拾遺
椴法華村史
(椴法華の駅逓制度)
駅逓制度 椴法華において、いつごろから駅逓制度が実施されたものか詳かではないが、天明六年(一七八六)の『
蝦夷拾遺
函館市史 別巻 亀田市編
(上山村)
ノ中道ト申処左手ノ野道行キ、夫ヨリ川アリ幅三、四間、夫ヨリ少シ野道」と記し、天明六(一七八六)年の『
蝦夷拾遺
恵山町史
([尻岸内の運上屋・駅逓])
[尻岸内の運上屋・駅逓] 尻岸内の運上屋についての記録は、天明6年(1786年)の『
蝦夷拾遺
』に「シリキシナイ
函館市史 通説編 第一巻
(古記録)
古記録 現存する資料の中で人口・戸数を知り得る最も古いものは、天明5(1785)年の『
蝦夷拾遺
』に記載
函館市史 別巻 亀田市編
(赤川沢から赤川村へ)
また天明六(一七八六)年の『
蝦夷拾遺
』には、 七重村 五十戸不レ足 二百六十余人 上山村
函館市史 通説編 第一巻
(戸口の増加)
銭亀沢村 十余戸 五十余人 潮泊村 二十余戸 九十人に足らず 石崎村 六十戸に足らず 三百余人 (『
蝦夷拾遺
戸井町史
(一、明治以前)
○天明六年(一七八六)『
蝦夷拾遺
』 石崎村 六十戸足らず 三百余人 小安村 四十戸足
函館市史 別巻 亀田市編
(馬の飼育法と性質)
次に天明六(一七八六)年の『
蝦夷拾遺
』により亀田郷に属すると考えられる村名と戸数を記し、これに寛政九(
南茅部町史 上巻
(松前昆布)
刈取て濱邊へ敷並べて干揚るまで仕舞て、七月より一同休みて盆中は上下打混じて踊ることなり
蝦夷拾遺
戸井町史
([戸井の地名考])
その後天明6年(1786)の『
蝦夷拾遺
』に「トイ、運上屋(うんじょうや)一戸、世田良(せたら)村と境を,古書を調べて見ると、『松前志』には「せたら(・・・)」、『
蝦夷拾遺
』には「世田良村(・・・・)、十戸足,松前蝦夷聞書』には「おやす」④天明元年(一七八一)の『松前志』には「小安村」⑤天明六年(一七八六)の『
蝦夷拾遺
戸井町史
([戸井と近隣の変遷])
⑥天明六年(一七八六)『
蝦夷拾遺
』 これは幕吏山口高品が天明五、六年の二ヶ年間で調査した報告書である
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