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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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戸井町史 ([シロイ浜の硯石と最上徳内])

[シロイ浜の硯石と最上徳内] 最上徳内(もがみとくない)が寛政二年(一七九〇)に書いた『蝦夷草紙』巻,渡島した御普請(ごふしん)役青島俊蔵の「検地竿取」という名で青島と同行して蝦夷地を調査し、寛政二年に『蝦夷草紙,松浦武四郎が、嘉永三年に書いた『蝦夷日誌巻の五』に「蝦夷草紙に、このあたり白い浜という所に硯石が出ると
函館市史 通説編 第一巻 (箱館の請負人)

カヤベ  場所  請負人 角屋太郎右衛門 ヲサツベ シリキシナイ  場所  請負人 白鳥屋新十郎 (『蝦夷草紙
椴法華村史 (明礬の採掘)

』に「エサンと申大山有、是は銅山にて硫黄・明礬の類も出候所也」と記され、更に寛政二年(一七九〇)の「蝦夷草紙
南茅部町史 下巻 (〔温泉〕)

寛政二年(一七九〇)、最上徳内(宝暦五年生・一七五五)は、「蝦夷草紙」上巻 巻之二 産物の事の項に、
函館市史 通説編 第一巻 (地誌・風俗書)

来遊は有名で、その見聞録のひとつの『ひろめかり』は、この地方の記録として貴重であり、また、最上徳内の『蝦夷草紙
南茅部町史 上巻 ([アイヌの戸口])

一八一七)の記録には、松前居住四五〇余人と記され、松前のほか五、九一〇余戸、二六、三五〇余人であった(「蝦夷草紙
函館市史 別巻 亀田市編 (農業の奨励と耕作方法)

また畑の耕作方法について、最上徳内の『蝦夷草紙』によると      東在郷には喜古内の沢辺に濁川、
椴法華村史 (場所請負人)

知行主と場所請負人との関係は、少しずつかわっていくのであるが、次に『北藩記略』天明四年(一七八四)と、『蝦夷草紙別録
函館市史 通説編 第一巻 (ロシア使節の来航)

ロシア使節の来航 最上徳内「蝦夷草紙」 最上徳内  この時、普請役最上徳内、小人目付和田兵太夫
戸井町史 ([松浦武四郎の『蝦夷日記』(嘉永三年)])

蝦夷草紙に「このあたり白い浜という所に硯石が出る」と書かれているが、場所はどこか私にもわからない。
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