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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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戸井町史 (三、道南の館主と政季、信広の渡島(新羅之記録抜萃))

1、信広の渡島  「新羅之記録」に蠣崎信広が渡島する時に佐々木繁綱、工藤祐長の外に、蠣崎の土豪、酒井七内,「註」 安東政季、蠣崎信広等が、享徳三年(一四五四)八月二十八日に大畑から蝦夷地に渡ったということは誤,松前史を書いた者が蠣崎信広の前歴を穏すために、故意に康正三年を享徳三年とした節(ふし)がある。      
戸井町史 ([戸井町の文化財])

[戸井町の文化財] 和人が始めて戸井に渡来したのは「戸井町の沿革」で述べたように、松前家の始祖蠣崎信広
戸井町史 (二、和人の館)

不明分(○○○)があるので省いたということは蠣崎信広の前身前歴をかくすために故意(こい)に省いたことも,安東政季の聟になったり、政季の女を養子として蠣崎信広にめあわせた(○○○○○)などということから、恐らく,長禄元年(一四五七)コシャマインの乱の時の箱館の館主河野政通(まさみち)、相原政胤(まさたね)、蠣崎信広
函館市史 通説編 第一巻 (蠣崎氏の松前進出)

この間、蠣崎信広は蝦夷地統一への触手を伸ばし始め、上ノ国の天ノ川、石崎川、厚沢部川の豊富な鮭や、石崎川
椴法華村史 (康正二年、長禄元年の乱)

これが後の松前藩第一代の蠣崎信広である。
戸井町史 (三 蠣崎の錦帯城趾の伝説(川内町))

蠣崎信純は松前藩の始祖蠣崎信広といわれている人物である。  
戸井町史 (一、蝦夷時代の概観)

長禄元年(一四五七)下北から渡島した蠣崎信広が、コシャマインの大乱を平定してからも、和人に対する蝦夷の
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