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函館市史 通説編 第二巻
(内陸部の埋立と市街整備)
さて、
谷地頭
町は明治初期にあっては湿地帯であったため、宅地に適さない土地がらであった。,当地を視察した当時の開拓長官、黒田清隆が宅地不足もあるので政府事業として
谷地頭
の埋立を行うよう指導したのが,当地は明治11年の大火後にあっては「道敷地坪買上ヨリ宅地差支ヲ生スル者ハ懇致ニ説諭シ、
谷地頭
埋立地竣工,3万坪が入札によって払い下げられた(明治12年「
谷地頭
埋立及開鑿道路ニ係ル民有地買上書類」道文蔵)。,これによって
谷地頭
は様変りし、「谷地かしら公園抔へ散歩の人も多く浅田屋の七色・柳川の蕎麦を当込む女連中
函館市史 通説編 第一巻
(製紙)
安政3年箱館に移住し、官費で
谷地頭
に工場を建てられたのを引受け、職工2、3人とともに駿河、甲斐から三椏,ったが、その量は極めて少量で官用の一部を補ったに過ぎなかったから、江戸から多くの三椏の種子を取り寄せ、
谷地頭
函館市史 通説編 第一巻
(寒川火山噴出物層)
寒川火山噴出物層 寒川火山噴出物層は函館山の西海岸の穴澗や寒川地域から中尾根を経て、更に
谷地頭
町の東側海岸,全般に変質しているが、特に寒川から
谷地頭
にかけての部分は変質が著しい。
函館市史 通説編 第一巻
(函館考古会の設立気運)
「安政中箱館奉行が美濃の陶工豊次なる者を移し、窯を
谷地頭
に造らん為め斜崖を掘崩せし時、数多の土器及び石器,其他
谷地頭
に二、三の小貝塚あり。(中略)チャシコツは蝦夷語にして、チャシは砦、コツは跡の義なり。,
谷地頭
より稍々登りたる函館山の半腹字水元にあり。又蝦夷館と称す。」
函館市史 別巻 亀田市編
(青年会の組織)
青年会の組織 『亀田村郷土誌』によると、大正二年のころは、鍛神、赤川、桔梗、
谷地頭
の各青年会、石川親友会
南茅部町史 下巻
(小川幸一郎)
現今函館区
谷地頭
町に居住す。
函館市史 通説編 第一巻
(遊里)
このほかに密娼もおり、内澗町では「風呂敷」、大町では「薦冠(こもかぶり)」、弁天では 「車櫂」、
谷地頭
,また
谷地頭
も『蝦夷実地検考録』には「花木を植え、泉水を環らし、亭榭を設けて客を延く」、「函府第一の勝境
函館市史 通説編 第一巻
(遊歩区域)
また外国人の休息所はさきに箱館山ノ上休息所、高龍寺および
谷地頭
、七重浜各1か所と定められていたが、貿易開始後
函館市史 別巻 亀田市編
(和合寺(日蓮宗))
後、同十年二月十六日、日蓮上人降誕七百年記念事業として、自ら衣鉢を割き、檀信徒の援助を得て、亀田村
谷地頭
一七
函館市史 通説編 第一巻
(エゾシマリス)
最近、
谷地頭
町近くの函館山山麓の雑木林で数頭のシマリスを見かけるが、飼育中の逃亡か、故意に放たれたものかであって
函館市史 通説編 第一巻
(トーマス・W・ブラキストン)
彼が
谷地頭
で発掘した大形の磨製石斧はミルンの報告書に掲載されているが、今日でも珍しい石斧で、開拓使函館支庁仮博物場
函館市史 通説編 第一巻
(奏檍丸の記録)
寛政10(1798)年ころから明治時代にかけて知られていた先史時代の遺跡は、函館尻沢辺、住吉町掘割地、
谷地頭
函館市史 通説編 第二巻
(市街地の拡大と地価決定因子)
初めの増加期では台町、元町、
谷地頭
町、船場町、東川町、音羽町、真砂町がその地域にあたり、前述した地租改正後,次に宅地の増加については先の図4-10より、弁天町、台町、元町、汐見町、
谷地頭
町、東川町などが増加している,10 7 15 11 - 16 17 18 (5) 船見町 元町 青柳町
谷地頭
町
函館市史 別巻 亀田市編
(昭和になって)
中の沢) 福田稲荷神社(三軒家) 神山稲荷大明神(神山) 豊福稲荷大明神(赤川通) 猿賀神社
谷地頭
高野寺分教場
函館市史 通説編 第一巻
(五稜郭付近及び山の手方面)
また市街地の裏側に当る
谷地頭
、尻沢辺等も開かれていった。
函館市史 通説編 第二巻
(函館街道の馬車会社)
、末広町、地蔵町、鶴岡町、若松町、海岸町まで(2)台場から、鍛冶町、富岡町、会所町、相生町、蓬莱町、
谷地頭
町,運賃は各町間ごとに1銭であったが、
谷地頭
町へは4銭増し、若松町へは1銭増し、海岸町へは2銭増し、そして
函館市史 通説編 第二巻
(大火と校舎の焼失)
仲新 下新 元新 30.00 37.50 29.82 24.24 28.57 柳 浦
谷地頭
,0.00 0.00 208 会所 元 寿 曙 汐見 相生 青柳 春日 住吉
谷地頭
函館市史 通説編 第二巻
(公園の創設)
函館においても「明治六年、
谷地頭
町ニアル官有地若干坪を相シテ公園地トナス」(明治14年『開拓使函館支庁統計概表,していく傾向が著しいので、このままの状態を放置しておいては、公園地とすべき適当な場所もなくなることを憂い、
谷地頭
函館市史 通説編 第一巻
(製陶)
製陶 陶器は美濃国恵那郡の陶工、岩次、為治の2人が出願して、安政5年箱館
谷地頭
に窯(かま)を築き、尻沢部
函館市史 通説編 第二巻
(ハーバー殺害事件)
外国人殺害の目的で来函、数日市内を徘徊の後たまたま招魂場(現護国神社)付近を散歩中のハーバーに出会い
谷地頭
道
函館市史 通説編 第二巻
(アイヌ学校)
翌26年には
谷地頭
に校舎を新築している(『函館沿革史』、ジョン・バチェラー『我が記憶をたどりて』)。
函館市史 通説編 第二巻
(奥羽5藩の警備と箱館)
箱館表出岬警備専用心得、エサン岬~東蝦夷地ホロベツ間、東蝦夷地惣体の援兵心得)、元陣屋(箱館字水元より
谷地頭
函館市史 通説編 第一巻
(箱館通宝)
にしようとして、安政3年2月幕府に稟請し、6月命によって更に詳細な計画を上申して許可を受け、同年11月箱館の
谷地頭
函館市史 銭亀沢編
(旧教徒と親交を結んだ人びと)
彼らは当時、函館の
谷地頭
に住んでいたが、団助沢に行ってロシア語を覚えたのだという。
函館市史 銭亀沢編
(明治末から大正初めの道路事情)
これは、函館馬車鉄道を合併した函館水電株式会社によるもので、大正三年五月には
谷地頭
まで開通、現在とほぼ
函館市史 通説編 第二巻
(地券発行と土地の私有化)
明治5年における町別(坪あたり)地価一覧 1分 1分~2分 2分 3分 1両 1両2分 第1区
谷地頭
町,推移 1分 1分~2分 2分 3分 1両 1両2分 2両 3両 4両 5両 7両 第1区
谷地頭
町
函館市史 通説編 第二巻
(開拓使の政策)
函館市中では造船業をはじめ、陶器、煉瓦製造、製紙業、研ぎ石、硯石(以上は尻沢辺もしくは
谷地頭
)や皮革業
函館市史 通説編 第二巻
(函館仮博物場の新設)
また翌11年、
谷地頭
に造成中の公園地内に「人民の知識を開くに肝心なる博物館」(明治11年1月17日付「
函館市史 通説編 第二巻
(公園造成の具体化)
工事の監督は、
谷地頭
で料亭を営み築庭園芸の才能もあった浅田清次郎が任命された。
函館市史 通説編 第二巻
(戸長役場統合から廃止へ)
5組・6組→3組 1組戸長 小西清次郎 2組戸長 竹内与兵衛 3組戸長 相川洗心 2組 元町~
谷地頭
町
函館市史 通説編 第二巻
(清酒)
大久保酒造場 丸善酒造場 同第二酒造場 成田酒造場 所在地 台町 鶴岡町 亀田村 音羽町
谷地頭
函館市史 通説編 第一巻
(山岳地)
南東の
谷地頭
は、谷地の字の示すように、かつては湿地であり、谷地まなこと称した沼地を成していた。,
谷地頭
はその形が爆裂火口に似ており、ボーリング資料から得られた地下の構造も、すりばち型の岩盤地形を成しているといわれる
函館市史 通説編 第二巻
(区会開設請願)
昨日は函館区総代人一同及び有志輩とも凡そ五、六〇人名程
谷地頭
町朝清楼に集会し懇親会を
函館市史 通説編 第二巻
(経済力と土地所有)
0.06 19.13 (5) 山背泊町 台町 船見町 元町 汐見町 青柳町
谷地頭
町,- - 4.80 (5) 山背泊町 台町 船見町 元町 汐見町 青柳町
谷地頭
町,1,623 157 64.80 (5) 台町 船見町 元町 汐見町 青柳町
谷地頭
町, 住吉町 ○ ○△ ○△ ○△ ○△ △
谷地頭
町
函館市史 通説編 第二巻
(開拓使の神仏分離観の転換)
#160; 表11-2 神社一覧表 社 名 所在地 社 格 沿 革 氏子数 函館八幡宮
谷地頭
町,同6年
谷地頭
、同11年南新町、同12年に現在地に遷座。
南茅部町史 下巻
(〔戦没者慰霊祭〕)
函館引揚者会 市役所内 22・9・5 松川 哲美 約一五、〇〇〇) (〃留守宅会
谷地頭
町六四
函館市史 通説編 第二巻
(実行寺は再建か廃寺か)
そして同年6月6日と7日の両日、松尾が施主となって旧幕府脱走軍戦死者の13回忌大法会を、
谷地頭
碧血碑前
函館市史 通説編 第一巻
(取締港則)
後には南部牛を移入して官自らこれを飼育して渡さねばならなくなり、
谷地頭
に牧場を設け豚・鶏なども飼い、近村
函館市史 通説編 第二巻
(北海自由党結成の動き)
此ほど
谷地頭
朝田楼にて開きたる自由懇談会へ会合されたる有志の人々は、一昨日また豊川町武蔵野楼
函館市史 通説編 第二巻
(板垣退助一行の来函・遊説)
に小樽の山崎知遠、福山の岩田栄蔵、板垣一行とは別に東京をたち、函館で合流予定で既に7月31日に着函し
谷地頭
函館市史 別巻 亀田市編
(下肥)
寿町、東川町、春日町、西川町、相生町、真砂町、蓬萊町、 鶴岡町、恵比須町、若松町、宝町、音羽町、
谷地頭
町
函館市史 別巻 亀田市編
(東照宮の建立と焼失・遷座)
その後明治七年六月十五日仮殿完成(
谷地頭
)、明治十一年十二月現在の水元の位置に新社殿が完成し遷座したが
函館市史 通説編 第二巻
(明治以降の埋立)
船場町前海を埋め、土石を以て、幅14間余、長26間の物揚場を築く 経費2240円 14.11 開拓使、
谷地頭
埋立完成
函館市史 通説編 第二巻
(学校施設の充実)
また住吉・
谷地頭
町方面の不就学児童のために38年5月、青柳町51と春日町13~5にかかる地に住吉小学校
函館市史 通説編 第二巻
(蓬莱町・台町遊里の指定)
、営業指定地として蓬莱町・台町のほかに台町周辺の天神町と駒止町が追加され、数か月後にはさらに温泉地の
谷地頭
函館市史 通説編 第二巻
(渡島国を7大区とする企画)
会所町 上大工町 南新町 下大工町 青柳町 上汐見町 春日町 下汐見町 相生町 元町1、2丁目
谷地頭
町,元町 会所町 南新町 上大工町 青柳町 下大工町 春日町 上汐見町 相生町 下汐見町
谷地頭
町
函館市史 通説編 第一巻
(明治以後の気象災害)
谷地頭
町は小舟で通行。,激甚地、
谷地頭
、新川、千代ケ岱町方面。雨量106ミリ。
函館市史 別巻 亀田市編
(村道)
田家三角線 富岡七番地先 富岡一六番地 七〇〇・二 赤川通三角線 富岡一一一 富岡四番地 六四八・〇
谷地頭
赤川通線
南茅部町史 上巻
(博覧会等の沿革)
明治11・ 3 開拓使は函館
谷地頭
公園内に博物場の新設を計画する。
函館市史 通説編 第二巻
(麦酒)
谷地頭
72番地の土地、煉瓦建の工場兼貯蔵庫、その上に建てられた木造平家建1棟(内部には煎麦室とビヤホール
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