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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 通説編 第一巻 (貞治の碑)

貞治の碑 また、前編第5章においても若干述べているように、本市船見町の称名寺境内には、貞治6(1367,貞治の碑納堂 秦檍丸 貞治の碑図(木版画)  なお、貞治は北朝の年号で、6年は南朝の後村上天皇 / 貞治の碑
函館市史 通説編 第一巻 (生活の定着)

生活の定着 中世の庶民生活については史料が少なく詳細は不明だが、貞治の碑や永享の鰐口など、宗教関係の
函館市史 通説編 第一巻 (中世の遺跡)

貞治の碑とは、南北朝期の北朝の年号である貞治6(1367)年と刻まれた板碑であり、現在は称名寺に保存されているが,享和3(1803)年に秦檍丸(はたあわきまる、村上島之丞)が版行した「貞治の碑木版画」に出土の状況がしたためられ,貞治の碑と永享の鰐口は、北海道で最も古い板碑と鰐口であるが、板碑と伴出した遺物から、埋葬されていたのは
函館市史 通説編 第一巻 ([2 文化])

貞治の碑は、二様の阿弥陀信仰を陰刻し、平安から鎌倉にかけて信仰された来迎の浄土思想を、みごとに表現した
函館市史 通説編 第一巻 (衣食住)

女子風俗図 「蝦夷島奇観」より  服装については、もしも貞治の碑がこの地で製作されたものとすれば
函館市史 別巻 亀田市編 (擦文文化)

の存在と、それから出土する遺物が和人移住の証左として挙げられるが、中でも有名なのは称名寺境内にある「貞治,の碑」である。
南茅部町史 上巻 (志海苔で古銭の大甕出土)

をもとに、銭甕が埋められた年代を一四〇〇年前後とみると、 ―北海道史年表によると、函館称名寺に残る「貞治,の碑」(一三五九)の四〇年後のことである。
函館市史 通説編 第一巻 (幕吏の文人)

『蝦夷産業図説』等に著わし、とくに『蝦夷島奇観』およびその付録には、寛政年間の箱館が詳細に記録され、貞治,の碑も彼によって再発見され紹介された(同碑については享和3年にも、わざわざ単板で印行している)。
戸井町史 (二、戸井への和人の定着)

板碑(道文化財)  板碑が「貞治の碑」と同じ頃にトイに建てられたものとすれば、これを建てたという
戸井町史 (二、町史編纂六ヶ年の追憶)

では珍らしい「戸井館時代の板碑(いたび)」であることが判明し、昭和四十六年三月に、昔箱館で発見された「貞治,の碑」と共に、北海道有形文化財に指定された。
戸井町史 (四、戸井から六万枚の古銭と宝物出土(文政四年))

づけていた石碑が、古い時代の板碑であることがわかり、昭和四十六年三月五日、函館称名寺に保管されている「貞治,の碑」と共に、北海道有形文化財に指定された二基の板碑は、文政四年に古銭、岡部の碑、石櫃(いしびつ)などの
戸井町史 (二、戸井の板碑(いたび)と発見の経緯)

現在までに北海道で発見された板碑は函館市の称名寺に保存されている貞治の碑と、網走博物館に保存されている
戸井町史 (一、戸井の館とその伝説)

戸井の館跡附近から発見された二基の板碑は、昭和四十六年三月五日付で、貞治の碑と共に、北海道の文化財に指定
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