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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 通説編 第一巻 (択捉航路開発)

択捉航路開発 近藤重蔵  彼が厚岸に滞在中、択捉島開発の任を帯びてこの地に至った近藤重蔵に呼ばれ,、ついに択捉島へ乗切り、紗那を中心に、会所を建てるべき所や漁場などを見立てて国後に帰り、根室において近藤重蔵
恵山町史 ([道路開削の嚆矢])

[道路開削の嚆矢] 蝦夷地全域がまだ松前藩領土であった寛政10年(1798)、幕臣近藤重蔵の手により,その中に、支配勘定方近藤重蔵がいた。,・寛政十年       最上徳内  大日本恵登呂府        近藤重蔵       下野源助,                             (以下略)     国後・択捉島調査の帰途、近藤重蔵
函館市史 通説編 第一巻 (択捉場所開発)

けて寛政12年弟金兵衛とともに辰悦丸に乗り、図合船2艘、鯨船4艘を率いて様似に来り、この地に越年中の近藤重蔵
函館市史 通説編 第一巻 (幕府の蝦夷地調査)

に到着すると、渡辺胤はここに留まり、大河内政寿は東蝦夷地を巡回して様似に至り、その別動隊として配下の近藤重蔵
恵山町史 (蝦夷地の航路を開く)

箱館奉行支配役近藤重蔵は寛政11年(1799)、国後・択捉間の水路開拓を高田屋嘉兵衛に命じた。,そして70石の船を仕立て、支配役近藤重蔵・船頭ら10人、番人1人、アイヌ3人、16名が乗組み船出した。
函館市史 通説編 第一巻 (石器天降説)

新井白石や近藤重蔵(正斉)は石鏃を粛慎(みしはせ)がもたらしたものであろうと考え、神代の石から人が造ったものとの
戸井町史 (三、幕領時代前期の概観)

外国船が蝦夷地の沿岸に出没して村々を騒がせ、更にロシヤが北方から侵略する企てがあるという風説を聞き、近藤重蔵等
恵山町史 ([蝦夷地の馬])

・寛政10年(1798年)、先出、近藤重蔵らの手によりルベシベツ(現広尾町字音調津)からビタタヌンケ(
恵山町史 (6、郷土と高田屋嘉兵衛)

・「海路乗試御用船頭」を命ぜられ、近藤重蔵とともにクナシリの東北端アトイヤ岬に滞在してクナシリ水道を調,このとき択捉(えとろふ)開島の使命をもって厚岸に滞在していた近藤重蔵に協力を求められるとこれに力を貸し,此の三品は今尚秘蔵(現在は所在不明)せるが、一見数百年の古物にして「近藤重蔵」(前述、高田屋嘉兵衛に協力
恵山町史 ([沿革史にみる大正期の村勢])

軸物一幅及び算盤一挺、財布一個を与え大切に保存すべきを命ぜり、此三品は今尚秘蔵せるが一見数百年の古物にして近藤重蔵
恵山町史 (①松前地古武井熔鉱炉の研究並びに考証年表)

幅及び算盤1挺・財布1個を与え大切に保存すべきを命ぜり、3品は今尚秘蔵せるが、一見数百年の古物にして、近藤重蔵
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