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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 通説編 第二巻 (各造船所の動向)

各造船所の動向 辻造船所 『北海道独案内 商工函館の魁』より    前述のとおりトムソン,続造船所は明治12年の大火で焼失したため翌年3月に続豊治の子福士成豊の名義で真砂町に造船所設置の埋立請願,   表9-2 市中造船所の西洋帆船建造一覧 造船所名 建造隻数 建造トン数 総製造費,トムソン造船所 続造船所 辻造船所 島野造船所 11 17 19,で建造された西洋帆船の建造数内訳は表9-2のとおりであるが、これで明らかなように辻造船所と続造船所の建造 / 各造船所の動向
函館市史 通説編 第二巻 (官設造船所と市中業者)

官設造船所と市中業者 函館の造船業界は安政期以降続豊治と辻松之丞(5代)の両船大工の共同作業によって,続豊治や辻松之丞の他に島野市郎治それにイギリス人のトムソンの4業者が幕末から明治初期にかけて「御船造船所,」と呼ばれた地域の周辺、すなわち地蔵町の築島一帯(後の船場町や豊川町)に小規模の造船所を構えていた。,このため文化年間から造船所として利用されたこの一帯の使命を終えた。,なお地目用途の変更のため近隣地にいた続造船所は真砂町へ移転せざるをえなくなった。 / 官設造船所と市中業者
函館市史 通説編 第二巻 (造船)

  表9-30 造船業の推移 名称 器械製造所 辻造船所 島野造船所 続造船所,目黒造船所 国永造船所 岩岸造船所 所在地 真砂町 仲浜町 西浜町 真砂町 真砂町 若松町,その他の造船所では、辻造船所は26年まで、続造船所は24年まで、トムソン造船所は前期末まで営業していたようである,そこで、前期より継続しているのは島野造船所のみとなった、島野市太郎は東京の石川島造船所で造船、造機の技術,このほか、新しく造船所を創業した若松町の国永造船所(24年8月、38年4月より有川通)、同じく若松町の
函館市史 通説編 第二巻 (函館の経営者)

渡辺熊四郎は船渠会社の生みの親であり、船渠会社の前身が渡辺等の創設した函館器械製造所(後の函館造船所),  さて造船所の事も種々困難を極めしが、明治二十三年頃より、漸く維持が立つ様になりし…船,皆拡張費に充てたり、…明治二十七、八年は盛になりて職工の四百名も使う様になれり  と、このように函館造船所,に引渡す様にと余が東京に到ると其話がありしが、余は長の間丹精して漸く今日、蕾が出来て花も見ざるうちに造船所,一方、渡辺より2歳年少で、渡辺が常に相談相手として、函館造船所創立以来の仲間である平田文右衛門は、渡辺
函館市史 通説編 第一巻 (造船)

豊治は高田屋が全盛の時その造船所に招かれて箱館に移住し、築島に居住して造船に従事、また関東、京摂の諸国,に入港するごとに、吏員の従僕となって外国船に出入し、詳しくその構造を視察して製法を会得し、辻松之丞の造船所,民間の造船では辻松之丞、島野市郎治らの造船所があって、日本形船の製造および修繕に従事していたが、なかでも,辻造船所はやや整備され、官船箱館丸、亀田丸などの製造に際しては、松之丞もこれを助け、これによって技術の
函館市史 通説編 第二巻 (西洋形帆船の建造の活発化)

西洋形帆船の建造の活発化 明治5年室蘭の加納嘉助が辻造船所に依頼し、建造された30トンのスクーナー形,また6年には会所町に住む三石の漁場持の小林重吉が同じく辻造船所に発注し、虎久丸(74トン)を建造した(,開拓使官僚の先進性が函館の船主層に浸透し、またその利便さを理解するようになり、ここに4造船所は一大造船
函館市史 通説編 第二巻 (肥田浜五郎の調査)

肥田は安政5(1858)年長崎海軍伝習所を卒業した後、幕府の軍艦頭となり、維新後は海軍省・横須賀造船所,として函館湾内を熟知している亀井惣十郎を顧問に迎え、湾内の深浅、海底の地質を調べ、あわせて辻、島野の両造船所,また肥田のこうした報告とは別に函館支庁側では肥田の推薦した予定地に近接する島野造船所に対し合併の件を勧,めており、島野自身も自己の造船所が狭隘であるため、内諾するという動きもあった(実際は実現しなかった)。,地主杉浦嘉七は売却に応じようとしたが、幸町の居住者から移転反対の声があがり、買収の件は取り止めになった(「函館造船所越歴概略
南茅部町史 上巻 (村から町へ)

村から町へ 昭和三〇年の臼尻村と昭和三三年の尾札部村の機構は、水道と造船所のほかはほぼ同じ分掌で、昭和三四年,戸 籍 係  統 計 係    統 計 係  国 保 係    国 保 係  水 道 係  造船所係
函館市史 通説編 第二巻 (計画の変更)

すなわち真砂町にある海軍省用地と機械類を借りて、当面は船舶用部品や小修理を目的とする「造船所」を仮設して,請願書の提出に先立ち、渡辺と平田は上京して肥田の助言を受けているが、この時に横須賀造船所の1等師桐野利邦,や製材機械などであったが、これらは旧加賀藩の所有になるもので維新後に海軍省に引き継がれ、同省が七尾に造船所建設,また東京石川島造船所の実質的な経営者である平野富二も明治11年の事業計画着手時から側面的に支援していた
函館市史 通説編 第一巻 (島野市郎治の埋立)

を要するので、安政4年地蔵町海面山田寿兵衛らの埋立地西方を出願し、許可を受け1,715坪余を埋築して造船所敷地
函館市史 通説編 第一巻 (工業の勃興)

全盛時代、船舶の新造、修理などの事業が見られたが、同家の没落とともに廃絶し、その後わずかに辻松之丞の小造船所
函館市史 通説編 第一巻 (掘割および築島)

享和元(1801)年蝦夷地取締御用松平忠明は同役とはかり、内澗町に掘割を設け、その浜手の寄洲を埋立て造船所,もこの築島の西側に接して825坪の埋立を行っているが、「(文化四年)蔵々拾五戸前、建家弐ヶ所相建、其余造船所無,レ之ニ付、造船所取設ヶ候事」(原喜覚『高田屋嘉兵衛と北方領土』)ともある。  
函館市史 通説編 第二巻 (30年)

真砂町に所在の函館造船所の買収は渡辺熊四郎の同意が簡単には得られなかったが、7月には敷地は賃借、工場および
函館市史 通説編 第二巻 (船渠製鉄所設立の出願)

このため船渠を有する本格的な造船所の設立への期待が高まった。  ,8代文右衛門となる)、浜時蔵(同12年に平塚姓に改称)の4名の商人が船渠を持ち鉄工部門をあわせて持つ造船所,      私共今回当港ニ於テ造船所製鉄所設置仕度ニ付歎願仕候 右ハ当港ニ於テ船艦ヲ保護,この時点での渡辺らは、当面の条件作りとして造船所用地の海面埋立に主眼を置いており、まだ造船所についての
函館市史 通説編 第二巻 (経営状態)

これは主に17年の沖鷹丸修理を請負ったために膨張したものと思われるが、造船所が総合産業としての性格を持,また彼らは船渠を欠く造船所ということでおのずから受注の枠を狭くしているという制約を強調している。,当初の事業計画にあったドックをそなえた造船所の設立運動は不況期を脱した明治20年代に再燃するのである。
函館市史 別巻 亀田市編 (大正七年の加入状況)

篠田金三郎五稜郭駅運送店など三 ○亀田村字有川通-大日本人造肥料株式会社(二)、函館築港事務所、中川駒太郎造船所
函館市史 通説編 第二巻 (幕末期の埋立)

享和元(1801)年蝦夷地取締御用松平忠明は、同役とはかり、内澗町に掘割を設け、その浜手の寄洲を埋立て造船所,この埋立地に造船所が設けられ、また高田屋の蔵も建てられた。  
函館市史 通説編 第二巻 (金森回漕組と改称)

れにあてられたが、明治25年までに前記の矢越丸、恵山丸のほかに神威丸(22年建造)、花咲丸(同25年)を函館造船所,その時に購入したのが豆海丸(前年に神奈川県広峰造船所で建造)であった。
函館市史 銭亀沢編 (コラム(イソブネの製作工程))

コラム(イソブネの製作工程) 函館の入舟町の平石造船所では、現在でも、イソブネの製作をおこなっている,図3・2・9 平岩造船所のイソブネ ①イソブネの材料 ②ムダマホリ ③ムダマ
恵山町史 (海運の官業)

凌風丸を買上げ、浦賀で大船神風丸を、南部大畑で数艘の小船を造らせ、翌12年には、東蝦夷地の様似に臨時造船所
函館市史 別巻 亀田市編 ([工業生産額])

星野工業株式会社 四六、六八八  ミクニ食品工業会社 七九、七六四  共成株式会社函館試験場 七八、〇〇〇  半田造船所
椴法華村史 (昭和五十四年の商工業)

また工業については、本村の主産業である水産業との関連で、造船所三軒、鉄工所が二軒あるが、大半が家内工業
函館市史 銭亀沢編 (〈コンブとり〉)

図3・2・6 モジップ(平石造船所製作)  シオが早いときにはアンカー(マッケ)をおろして船を固定
函館市史 通説編 第二巻 (鉄工)

その全貌を知る史料が乏しいので、38年の『道庁統計書』産業類別の造船機械の項目に掲載されている工場より造船所,なお、以上の造船所、鉄工場の材料である鉄物および地金類は東京、横浜、大阪等より移入しているが、その金額
函館市史 通説編 第二巻 (31年より)

函館船渠株式会社四十年史』より    31年から諸工事が本格的に始まるが、その前に船渠ならびに造船所予定地
函館市史 通説編 第二巻 (明治以降の埋立)

旭橋より東浜町堀江橋に至る海汀凡そ1200坪、市民自費を以て埋築 6.10 船匠島野市郎次、造船所設置,915坪余埋立 8.10 杉浦嘉七、西浜町海汀309坪余を埋立(後の幸町) 11.2 船匠辻松之丞、造船所設置
函館市史 別巻 亀田市編 ([主な工場(大正・昭和前半)])

大正・昭和前半)] 設立年 工 場 名 主 製 品 所在地 経 営 者 大正五年 合名会社 半田造船所
南茅部町史 上巻 (鈴木村政のあゆみ)

昭和三〇年一月一二日、臼尻村営造船所設置開業。  
函館市史 通説編 第二巻 (矢越丸の建造)

矢越丸以降明治25年に至る同所の建造および修繕実績を「函館造船所越歴概略」でみると、恵山丸(84トン)
函館市史 通説編 第一巻 (江戸交易と東回り航路の発達)

次いで浦賀、大畑および様似などにおいて造船、その他高田屋嘉兵衛に命じて大坂で官船5艘を建造、箱館にも造船所
椴法華村史 (明治二十年以後の海運)

各地ヘ定期航行スル汽船ハ別表ノ如ク猶外ニ凡船舶日本形船アリ航海ノ線路及度数ハ年々増加ヲ見ル又函館ニハ造船所四
函館市史 通説編 第二巻 (器械製造所の落成)

しかし横須賀造船所の業務が多忙となってきたため、出願は却下され、同人は7月に離函した。,15年から実質的に造船所としての機能を持つようになり多数の職工を有して、各種の注文に対応した。
函館市史 通説編 第二巻 (37、8年)

こうした窮況に至った原因を第19回の総会(39年1月)において、株主の梅浦精一(元石川島造船所専務)は
函館市史 通説編 第二巻 (海難事故と大津航路の受命)

函館造船所で絵靹丸(約150トン)、末広丸(287トン)を建造、木の川丸(約100トン)、日の丸(約280
函館市史 通説編 第二巻 (大型和船の建造禁止と海難防止策)

同時に室蘭に造船所を建設する予定であり、またその建造費用の貸与については別途講ずる旨を達している(「開日
函館市史 通説編 第二巻 (初代渡辺熊四郎)

これによると、彼は経営している造船所で70トンの矢越丸を製造したが、買人がないため、やむなく自分で回漕組
函館市史 通説編 第二巻 (電気事業)

発電機はポプキンソン式型単相交流二線式で、汽機・汽鑵は石川島造船所製である。
椴法華村史 (椴法華分室の開設)

なお十一月中には、日下石巻山西造船所で建造中の救命艇"ふたみ"(あかしと同型)が回航
南茅部町史 下巻 (渡島汽船株式会社)

  一〇〇株  函館製網船具株式会社    八〇株  信永吟一     七九株  株式会社西浜造船所
函館市史 通説編 第二巻 (29年の動き)

1か年63万余円の収入のうち、仕事高収入が約40万円見込まれているが、その説明として、「函館真砂町造船所
函館市史 別巻 亀田市編 (函樽鉄道の建設)

山越内、野田追、落部、石倉等の村落を過ぎて森に至り南に折れ峠下に至り亀田に達し、西南方位に進み、函館港造船所用地内
函館市史 通説編 第二巻 (西洋形帆船の建造ブーム)

また函館の造船界の受注体制の確立もそれに拍車をかけたが、建造ブームは一層活発となり時には函館市中の4造船所,として利用されたことのある信敬丸の払い下げを運上所に出願し(「評議留」道文蔵)、翌6年3月許可を得て、辻造船所,建造ブームは函館の造船所だけでは対応しきれなくなり、室蘭や森をはじめ、青森県下の造船工(彼らは大半は辻松之丞
函館市史 通説編 第二巻 (佐々木市造)

佐々木がリードしたと考えられるが、その理由は2代目佐々木市造が、函館で日本郵船の運漕店を託された時、自ら造船所
函館市史 通説編 第二巻 (経営の内容)

また表中の汽船福山丸は同社で購入した唯一の船舶であり、15年1月横須賀の海軍省造船所で建造されたもので
南茅部町史 下巻 (高等学校の沿革)

組合立漁業高校実習船栄光丸は、一一七トン三四、清水市三保造船所で一月一四日起工、          
恵山町史 (2、尻岸内小学校)

   補修科(2年)と裁縫科を加設し、随意科目となる      12・13 字浜中2番地の2(鶴田造船所
函館市史 通説編 第二巻 (創業時の経営)

回 268 273 専務取締役に平田文右衛門 就任、社長空席   船渠及び造船所予定地
函館市史 通説編 第二巻 (函館商人の系譜)

船大工から造船所を起した辻松之丞、島野市郎次、印刷業、新聞発行の伊藤鋳之助、硫黄採掘業の皆月善六、泉藤兵衛
函館市史 通説編 第二巻 ([目次])

/燧木製造所と囚人玉林治右衛門/その他の官営工業   二 明治初期の造船業…1039    官設造船所,と市中業者/西洋形帆船の建造の活発化/各造船所の動向   三 汽船建造と函館器械製造所…1044
恵山町史 (6、郷土と高田屋嘉兵衛)

嘉兵衛請願し隣接地825坪を埋立て、船作事場(造船所)を造る。,船修理のため箱館地蔵町沖に築島を造成したとき、嘉兵衛は請願し隣接の浅瀬を埋立て825坪の船作事場所(造船所
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