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函館市史 通説編 第二巻
(山ノ上遊里の誕生)
山ノ上遊里の誕生 表13-1
遊女屋
一覧と抱え遊女数 遊 女 屋 名 遊女数 宮川屋与吉,翌安政6年には引手茶屋21軒の営業も許可され、
遊女屋
の行事からは料金規定をはじめ
遊女屋
仲間で決めた郭内規定証文,一方一向に減らない私娼に困った箱館奉行は、文久3(1863)年私娼をすべて山ノ上町
遊女屋
の人別に入れて,「元治二年箱館新廓
遊女屋
細見一覧」によると、幕末の山ノ上町の遊里は
遊女屋
25軒、異人揚屋1軒、会所・見番各,それぞれの
遊女屋
の規模は表13-1のとおりである。
函館市史 通説編 第二巻
(蓬莱町遊里の出現)
は人家も増加し市街の中心となってきていたので、この火事を契機に遊郭を移転することになり、山ノ上遊郭の
遊女屋
,1865)年に周りに堀が通され簡単な造成は終わっていた(前掲「地蔵町築地御用留」)が、この命令に対し
遊女屋
,9月末日にはまず12、3軒の
遊女屋
・引手茶屋が移転を申し出た。,また「手薄」な
遊女屋
たちではあったが、「替地初発ノ家作ニ付見苦敷建家モ致兼」(同前)ると資金の貸与を願,い出、その年の暮れには刑法係から引手茶屋6軒、
遊女屋
1軒が1200円を(明治4年「函館支庁日誌」道文蔵
函館市史 通説編 第二巻
(箱館開港と売女渡世の公認)
そこで箱館奉行は、年季奉公に抱えた娘たちを売女や女芸者に仕立て、彼女らに
遊女屋
同様の所業をさせていた茶屋営業者,に、
遊女屋
の営業を認可し、彼らから提出されていた3件の増株願いの件も許可して、その代償に指図しだいでいつでも,一九-六九) こうして箱館にも安政5年1月、奉行の命令で売女を公認された24軒の
遊女屋
,と異人休息所が誕生し、公娼(公に売女が認可された遊女)制度・集娼制度(公許地に認可された
遊女屋
が集まること
函館市史 通説編 第二巻
(賦金)
箱館戦争が終結してまもない2年9月から函館では旧例に倣い
遊女屋
税(10円)・引手茶屋税(5円)・見番税,改正内容は、(1)規則を犯して
遊女屋
同様の所業をしている引手茶屋に
遊女屋
業を許可し、課税額を従来の5円,だったが芸者が遊女と紛らわしい所業をしているので自前遊女と改称して月額5円、遊女へは1円を課税し、(3)
遊女屋
税
函館市史 通説編 第一巻
(五稜郭付近及び山の手方面)
五稜郭付近及び山の手方面 一方、築島には文政元(1818)年
遊女屋
5戸の出張を許していたが、慶応2(,亀田に通ずる道路に沿い市中の
遊女屋
営業者が出資して貸家も建てられた。
函館市史 通説編 第一巻
(鶴岡町海面埋立と蓬莱町排水)
産物会所用達杉浦嘉七、山田寿兵衛外1名組合に換地を与えるため、鶴岡町の海面5,190余坪を埋築し、また山上町
遊女屋
営業者
函館市史 通説編 第二巻
(解放後法則)
函館支庁は「解放後法則」で、
遊女屋
や芸娼妓へ今後のあり方について次のように指導している。,すること、今後の営業をはっきりと申し出ること、引き続き芸娼妓の営業を願い出た者へは鑑札を渡すこと、引き続き
遊女屋
函館市史 通説編 第二巻
(開拓使設置後の税負担)
糀冥加金 13 650 100石に付金7両 13軒 高 195石 芝居冥加金 200 山上町
遊女屋
冥加金,軒 山上町引手茶屋冥加金 105 1軒に付金5両 21軒 山上町見番冥加金 500 東築島町
遊女屋
冥加金
函館市史 通説編 第二巻
(雑税)
諸税 明治2年も徴収された税目……函館地子永、売下地価(沽券金のことか)、酒類醤油麹醸造、引手茶屋、
遊女屋
,吹抜庫税、陶器焼継税、糴種商税、諸種商税、差網鯡漁船小役、建網鯡漁小役、鯡漁建網釜薪税、引手茶屋税、
遊女屋
税
函館市史 通説編 第二巻
(茶屋渡世の公認)
また茶酌女などを置いて
遊女屋
同様の所業をしている者や安易に淫らな所業に就く女たちへは「是迄ノ心得違ハ不及沙汰候間
函館市史 通説編 第一巻
(米国官吏ライスの在留)
、また馬を借りて駒ヶ岳に登りたいと願い出て(遊歩区域外につき許されず)、更に奉行所に内談して山の上町
遊女屋
丈吉方
函館市史 通説編 第二巻
(ロシア病院と医学所の設立)
御役所からの1500両はあったものの、奉行所の諸役人、市中の医師、商人、
遊女屋
の積金などを以て建設したことは
函館市史 通説編 第二巻
(芸娼妓の解放)
これまで遊女や飯盛女、女芸者の類の営業は旧例にならい、直接あるいは
遊女屋
を経て間接に税を納めることで認可
函館市史 通説編 第二巻
(蓬莱町・台町遊里の指定)
こうして遊女の大半が娼妓へ転業したのに加え、従来帆縫女と呼ばれていた私娼も娼妓への転業が認められ、従来の
遊女屋
函館市史 通説編 第二巻
(開港による市街の二分化)
亀田道路に沿い市中の
遊女屋
営業者資を出し、貸家を建てしか、水なき為め居住するものなかりし」(『函館区史
函館市史 通説編 第二巻
(ロシア軍艦の乗組員)
「ロシア軍艦が入港するとこのホテルに市中の売婦が大勢やって来て
遊女屋
のようになり、築島の住人のみならず
函館市史 通説編 第一巻
(年中行事)
れも囃子方は揃の衣装にて笛、太鼓、三味線、摺り金、鼓弓等面白く囃し立て、わけて大黒山は女児の(多くは
遊女屋
児女
函館市史 通説編 第一巻
(箱館の町勢)
青楼(
遊女屋
)が古来から18軒あり、その他小宿、煮売屋、酒屋などがある。
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