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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 通説編 第一巻 (遊歩区域)

遊歩区域 外国人の遊歩区域はさきに5里以内と定めたが、通商条約では拡張して10里以内としたので、東は / 遊歩区域
函館市史 通説編 第二巻 (遊歩区域をめぐって)

遊歩区域をめぐって 次に(4)の遊歩区域をめぐる問題に目を向けておこう。,旨ペリーに告げるや、幕府徒目付平山謙二郎、通詞名村五八郎の2名が未だ箱館に到着していないこと、箱館の遊歩区域,これに対し松前勘解由は、箱館の遊歩区域は、同地を視察したうえで決定する旨林大学頭と協議したというのであれば,、「人」が来ないばかりか、遊歩区域の決定もみていない。,であってみれば、箱館におけるペリーの言動、とりわけ遊歩区域の即時決定の要求とその主張のあり方は、まさに / 遊歩区域をめぐって
函館市史 通説編 第一巻 (遊歩区域の確定と批准)

遊歩区域の確定と批准 なお、ペリー提督が下田において再び林大学頭らと会談した結果、5月22日和親条約付録,を締結し、その第11条によって箱館における遊歩区域は、半径5里に制限して定められたが、この決定に当たっては / 遊歩区域の確定と批准
函館市史 通説編 第二巻 (条約附録と遊歩区域)

条約附録と遊歩区域 安政元(1854)年3月3日に調印された日米和親条約(神奈川条約)は、同年5月22,、箱館とかかわる重要なことは、箱館では石炭を用意しなくともよいことになったこと(6条)、箱館における遊歩区域,遊歩区域が下田が7里四方であるのに対し箱館が5里四方となったのは、当初応接掛は、箱館については現地調査 / 条約附録と遊歩区域
函館市史 通説編 第二巻 (幕吏との会談と退帆)

この会談でペリーが主張した主な点は、(1)遊歩区域を官舎を中心に7里四方とし、そのことを今日決定すること,なお、遊歩区域を官舎を中心に7里四方とする考えは、先のアメリカ人の行動に関する抗議文への回答書の後段で,安間・平山は、(1)の遊歩区域については、後日下田で協議すべきものであることを伝えるとともに、これはすこぶる,その結果、箱館の遊歩区域をめぐる問題は、結局下田での日米交渉にもちこされることとなったのである。
函館市史 別巻 亀田市編 (ペリーの和親要求)

わり、来航の目的を達し、さらに下田会見の予定日が近づいたことから、会見場では前の問題を再提起せず、ただ遊歩区域
函館市史 通説編 第一巻 (米国官吏ライスの在留)

足軽小頭鈴木三右衛門が足を痛めているのを見てこれを治療し、また馬を借りて駒ヶ岳に登りたいと願い出て(遊歩区域外
函館市史 通説編 第二巻 (箱館奉行の再置)

すなわち前節でみた如く、同条約では、下田は調印日より開港、アメリカ人の遊歩区域は7里四方とされていたが,、箱館については、開港期日は安政2年3月とされていたものの、遊歩区域は未定であった。,ところがその後、同年5月22日調印(25日交換)の追加条約(条約附録)で遊歩区域が正式に5里四方と決定
函館市史 通説編 第一巻 (学術上の調査)

ところがその地方の部落民の訴えがあり、この地方はまた遊歩区域外でもあったので外交問題となり、奉行小出秀実
函館市史 通説編 第二巻 (市中での買物とバザー)

応接所で松前勘解由以下の役人に対し、横浜・下田での日米交渉や日米和親条約の一方的解釈をもとに、箱館での遊歩区域,すなわち、箱館の遊歩区域は後日決めるとの第5条の規定をたてに、前日のアメリカ人たちの行動を非難し、薪水食料石炭他欠乏品
函館市史 通説編 第一巻 (ペリー提督上陸会談)

この信任状を見て安心したらしく、いよいよ会談に入ったが、最も問題となったのは、彼らの箱館における遊歩区域
函館市史 通説編 第二巻 (ペリーの抵抗と要求)

そのため、その後の日米交渉の焦点は、長崎以外の諸港の開港と開港場における遊歩区域をめぐる問題へと絞られていった
函館市史 通説編 第二巻 (箱館開港への対処)

箱館開港への対処 ともあれ、この条約附録の調印によって、箱館における遊歩区域が5里四方と決定し、箱館開港
函館市史 通説編 第二巻 (ペリーの新たな思惑)

市中各商人とアメリカ人との商品の直接売買の実施、(3)市中民家の戸締を開き、婦女子を見せること、(4)遊歩区域
恵山町史 ([五稜郭と古武井熔鉱炉])

決定するや同年六月二十六日、松前藩より箱館および同地より五~六里四方の地を上知し(箱館における外国人の遊歩区域
函館市史 通説編 第二巻 ([目次])

らされた条約/ペリーの要求と松前藩の回答/筆談から生じた誤解/ペリーの新たな思惑/市中での買物とバザー/遊歩区域,をめぐって/幕吏との会談と退帆   三 開港前後の諸問題と幕府の対応…47    条約附録と遊歩区域
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