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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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恵山町史 (2、場所請負制)

また運上金も決まっていない。,これによれば運上金プラス差荷物代金・手場所運上金と、松前藩への納入金は5、6年の間に4倍近くにも膨れ上,手場所運上金とは、藩主の場所で良質昆布の成育地として割り増しの運上金であり、差荷物代金とは大型の荷物(,・2分積金)を課し、さらには別段上納・増運上金などの一時税が追加されるなど、運上金は年々大幅に増額されてきた,なお、この運上金の額は視点を変えると、その場所の生産性のバロメーターとの見方もできるであろう。
椴法華村史 (場所請負人)

場所請負人 場所請負人というのは、一定額の運上金を知行主に支払い、その場所内における漁業を中心とする,新井田兵内殿御預リ、運上金壱ケ年ニ四拾両宛箱館者共運上ニ申請、二百石ハカリ之小船ニ而度々箱館江通江申候,、夏之内ニ百石斗ナル舟ニ而三度通運上金不同。    ,」と書かれている部分は、運上金が漁の豊凶にかかわらず一定であることを示している。  ,箱館の者が請負人で運上金は一定である。   
函館市史 通説編 第一巻 (箱館六箇場所)

箱館者共運上二申請支配、運上金不同。,一 臼尻よりマツヤト申所迄、志摩守様江運上金揚ル。出物昆布ハカリ。,運上金弐拾両壱ケ年二指シ上ケ、亀田村卜申所ノ者共年々に商買仕候。,、夏之内二百石斗ナル舟二而三度通、運上金不同。,当時運上金が定められているのは、新井田兵内の知行地と北見与五左衛門の知行地だけで、その他は運上金不同とあり
函館市史 通説編 第一巻 (場所請負人の交替)

場所請負人の交替 この請負入札によって、東蝦夷地の運上金の合計は1万7000余両に達し、これに択捉などの,運上金を加算すると約2万両となり、直轄以前の寛政11(1799)年の運上金概算3300余両に比べると約,そのため請負後収支が償わず、運上金の滞納、請負人の交替などが続出し、直轄末期の文政3(1820)年の現状,しかも運上金は文化9年入札に比べて、約4割を減じて1万2000余両となったが、それでも寛政11年から見
恵山町史 (2、箱館六ケ場所の成立)

これにより藩主・知行主は労せずし一定(各種の運上金を課したり、値上げも行った)の「運上金」(税収入)が,<運上金>  幕藩体制にとって場所請負制は、運上金の収益に他ならないことは前述の通りである。  ,合計       85カ所 運上金 5368両 場所平均 63両余り ・運上金 200両以上の場所 ,これが、幕末には「別段上納金・増運上金」などと称して追加金が付加され、事実上運上金は大幅に増額されてきた,(阿部家文書)・松前東西地利』より (場所)  (知行主)   (運上金)・運上金以外の税 ・手場所
椴法華村史 (享保年間の昆布採取)

ウンカ昆布ト申大名物、黒昆布、シノリ同前、フノリ、秋ノ猟ハ鮫、鰤・箱館ト申所之人間共運上ニ申請支配仕、運上金之義年々不同,  一、イキシナイ并ニ、コブイ・此兩所御家老蠣崎内藏丞殿御預リ、出物類右同断箱館者共運上ニ申請支配、運上金不同,一、トトホツケゟヲサベ(ツ欠)迄十里ハカリ、此間蝦夷村沢山ニ有リ、昆布大出所也、新井田兵内殿御預リ、運上金壱,四拾両宛箱館者共運上ニ申請、二百石ハカリ之小船ニ而度々箱館江通由申候   一、臼尻ゟマツヤト申所迠志摩守様江運上金揚,各場所には知行主が定められており、漁業権を持っていたが、実支配は知行主に運上金を払った場所請負人が握っており
南茅部町史 上巻 (東蝦夷地六箇場所)

十里ハカリ  此間蝦夷村沢山ニ有リ   昆布大出所也      新井田 兵 内 殿 御預リ   運上金壱,箱館者共運上ニ申請 二百石ハカリ之小船ニ而度々箱館江通江申候 一 臼尻ゟマツヤト申所迄  志摩守様江運上金揚,見 与五衛門  殿 御預リ     鯡 数子 昆布 夏ノ出物 十月之初ゟ 膃肭臍取申候     運上金, 秋ハ生鮭モ少々上ル 冬馬足之立間ハ馬ニ而戸切地(ヘキリチ)ト申人間地江内浦越ト申所ゟ出ス    運上金, 権之助殿江上納    夏(ナツ)之内二百石斗ナル舟ニ而三度通 運上金不同   一 ユラブト申地   
恵山町史 ([幕府・松前藩時代])

恵山硫黄の採掘権は、当時松前藩が握っており、その運上金は藩主の重要な収入源になっていた。,この運上金の取り立てについては『飛騨屋文書、天明4年御収納取立目録に、…天明3年より4年間毎年運上金35,したがって松前藩に高額な運上金を支払ってでも相当な儲けがあったのであろう、記録に残っているだけでも福山
戸井町史 (二、松前時代前期の概観)

場所請負制度」が適用され、松前城下などの豪商を場所請負人として場所請負の権利を与え、要所々々に運上屋を設置し、運上金,租税を運上金と称し、昆布その他の産物を物納させた。,商人は、場所には臨まず、松前城下に居住し、場所にはその使用人を支配人、番人という名で場所に常駐させ、運上金,このような状態であったので、愛情のない、心の正しくない支配人や番人等は蝦夷に苛酷な運上金を課して、自らも
南茅部町史 上巻 (知行主)

ユウラップ 青山 栄治   六箇場所の場所請負だった商人の名を記すと、         蝦夷地収納運上金帳,     運上金 天明六年(一七八六)   寛政三年(一七九一)   年代不詳  小 安                             
戸井町史 (一、十八世紀後半の戸井の状態)

運上屋(うんじょうや)が置かれ、幕府や松前藩は主産物の昆布を物納(ぶつのう)させたり、その他の海産物に運上金,―一八〇〇)に書かれた『松前随商録(ずいしょうろく)』という古書に、戸井の小字名、産物、場所請負人、運上金,運上金、宝暦年中、二十七両二分。,その節は領主支配、其の後高橋氏へ下しおかれ、それより安永年中、運上金五十九両位。  ,春は支配、夏は御蔵納め、運上金三十五両位    小字名は村人のいうままに書いたようだ。
椴法華村史 (運上屋と番屋)

のもので、交通の要地に置かれた建物)が建てられ、知行主は次第にこの運上屋に一時的に滞在し、地域住民から運上金,即ち場所請負人は知行主に一定の運上金を支払って、漁業や交易を行い、のちにはその場所の行政権さえ持つに至
函館市史 通説編 第一巻 (貿易開始の準備)

その中で輸出品は、すべて5分の運上金を取ることを決めている。,この運上金は、いわゆる外国輸出の関税であって、国内交易での沖ノ口口銭とは別のものである。,なお、右の運上金と沖ノ口口銭および問屋口銭との関係が混同されるおそれがあるため、翌万延元(1860)年閏三月
南茅部町史 上巻 (松前随商録)

随商録にはヲサツベの「出産・昆布・苔・鰊・イリコ・干鱈・カシヘ(べ) 運上金百弐拾五両」で「安永中金弐百廿両
椴法華村史 (硫黄鉱山のはじまり)

『北海道史第一』によれば、      天明三年(一七八三)より四箇年間毎年運上金三十五両《但し天明三年,なお当時の恵山硫黄の採掘権は松前藩が持っており、その場所から上る運上金は藩主の収入となっていた。
函館市史 通説編 第一巻 (知行制)

そしてこれらの財源は、藩が直接場所を支配し、場所請負商人から得る運上金によって賄われた。
函館市史 通説編 第二巻 (箱館の動揺)

元箱館奉行支配組頭で蝦夷地の事情に精通していた一橋家郡奉行の橋本悌蔵を箱館奉行並に任じ、箱館の現況視察と運上金,の増徴(慶応4年は7か年季の場所請負運上金の年季切り替え年となっていた)などのため、箱館への出張を命じていた,箱館奉行所の年々の会計は、慶応年間には約10万両で、この内9万両程を場所請負運上金等の蝦夷地収納物でまかなうようになっており,をも断る程で(「箱館蝦夷地在勤中諸用留」『函館市史』史料編1)、自立経営を摸索していたらしく、このため運上金増徴,時には、人心の動揺の鎮静に心を砕いていた杉浦兵庫頭は、請負人の度々の歎願に押され、自己の責任をもって運上金
函館市史 通説編 第二巻 (政務の引継)

この引継演説書と共に、「運上金并増運上金増冥加金取調書」「東西請負人共請証文」「全島大幅切絵図」「場所々々切絵図
函館市史 通説編 第一巻 (修好通商条約の締結)

び、下田、箱館のほかに神奈川、長崎、新潟、兵庫、江戸、大坂を開いて外国貿易港とし、開始期日、居留地、運上金
椴法華村史 (戦後の処理)

に戦争の被害について調査を行い、米金銭を与え白米を低額で販売するなど住民の救済を図り、更に一年間の諸運上金
函館市史 通説編 第一巻 (松前藩の動き)

候などと、種々悪名ヶ条を以って申し立て」(『松前秘説』)て、そのことを逆にとり上げ、高田屋が問屋から運上金
椴法華村史 (前松前藩時代)

によれば「一、トトホッケゟヲサベ迠十里ハカリ、此間蝦夷村沢山ニ有、昆布大出所也、新井田兵内殿御預リ、運上金壱
南茅部町史 上巻 (長濱)

魚油・鮫・鱒・推葺・ヲットセイ・雑木   此處ゟ天明弐年ノ比(ころ)兜を献上す 温泉あり 萬病に吉 運上金百弐拾五両
椴法華村史 (昆布の清国直輸出)

ゆえに昆布場所請負人はいずれも収益を増加したが元治元年以後の東蝦夷地増運上金徴収の理由もまたここにあった
函館市史 通説編 第二巻 (脱走軍支配下の箱館)

また場所請負人へは年2回上納の運上金の一括前納が命ぜられた。,この稼業の切手と運上は「誠に迷惑やら恥ずかしいやら、一向市中淋しく、切手相渡りし上は励不申候ては運上金
函館市史 通説編 第一巻 (請負制度発生の原因)

が嵩(かさ)み、やがてはその償還に窮して、場所講負人の名目をもって交易権まで商人の手にゆだね、一定の運上金
函館市史 通説編 第一巻 (場所請負入札)

4 運上金は毎年6月、10月の2回に分けて上納すべきこと。
函館市史 通説編 第一巻 (箱館の場所請負人)

こうして入札の結果、高点をもって落札したのは次表の通りである    場所     運上金
函館市史 通説編 第二巻 (6藩分領と奉行「御預所」)

)、その分だけ蝦夷地にかかわる直接的な業務は減少するとともに、それに伴い蝦夷地にかかわる場所請負人の運上金
恵山町史 (4、海産税について)

明治2年9月、場所請負制の廃止とともに「運上金」の上納は当然取り止めとなり、以降、開拓使は漁業からの税
函館市史 通説編 第二巻 (町会所蓄積金)

また同書には古老談として「往時東蝦夷地請負人ヨリ運上金高ノ二歩方ヲ取立、之ヲ与内ト称シ、町役所ニテ管守,ス」とあり、場所請負人の運上金に2パーセント上乗せしたのが与内銭で、この金の主な支出項目は市民共有の準備米,けられているが、通常部分にプラスするもの、つまり割増ということが本来の意味で、与内銭というのは場所請負人から運上金
戸井町史 ([私設教育機関])

「二八(にはち)」というのは、場所の収入の二割を運上金として上納するという制度であったが、寺子屋の謝礼
函館市史 通説編 第一巻 (堀・村垣の復命)

ことに周海の漁利は莫大なものであるにかかわらず、松前藩は依然これを請負人に託し、ただ運上金・仕向(しむけ
恵山町史 (1、蝦夷地の直轄)

1700年代も後半になると各場所の漁獲物の種類や生産高も増加し、それにともない藩や知行主は、運上金の増額
函館市史 通説編 第二巻 (場所請負制、沖之口制の継続)

堀の名前で書かれた、安政元年12月進達の文書では、「是まで之通支配人へ相任せ置、運上金取建候」つもりであるとし,それで、従前どおりに運上金が徴収できる体制をそのままにしておこうと考えているわけである。,へ任せ置、運上取立支配向ニ而撫育方進退致し、三五年相様し候儀等見込之通可レ被二取計一候」-従来どおり運上金,幕領蝦夷地の経営も、場所請負人の上納する運上金に依存する面が大きかったのであるから、彼等の利害も考慮すれば
函館市史 通説編 第一巻 (直捌制廃止の理由)

一 当夏中、西地いしかり場所運上金千五百両にて御用達伊達林右衛門外弐人え御預け同様引請仰付けられ候処、,一体運上金千七百両にて御請仕り度き段市中願人もこれ有り候由の処、調役三浦喜十郎、下役庵原直一去卯年会所御勘定仕上
函館市史 通説編 第一巻 (俵物指定問屋)

住吉屋新右衛門が、長崎から松前に乗り込み、松前藩と直接交渉の結果、昆布に400両、煎海鼠・白干鮑に4000両の運上金
函館市史 通説編 第二巻 (開拓使設置後の税負担)

旧幕以来引き続いた主な税目をあげると、海産税(明治2年9月に場所請負人が廃止され、請負人納付の運上金が
椴法華村史 (一七〇〇年代の椴法華近海の海運)

トホホッネゟ(ヨリ)ヲサ(ツ)ベ迠十里ハカリ、此間蝦夷村沢山ニ有リ、昆布大出所也、新井田兵内殿御預リ、運上金壱
函館市史 通説編 第二巻 (沖之口制運用の変化など)

山田文右衛門のユウフツ場所では、運上金250両のほか弐分金5両、仕向金323両2分余、合計578両余の,上納であったが、慶応元年から新たに賦課された増運上金は、1000両だったのである(河野常吉資料「場所請負人及運上金
函館市史 通説編 第二巻 (雑税)

運上金が変質した海産税や函館地子永なども含まれ、すべての雑税目が挙げられているわけではないが、函館での
恵山町史 ([幕府の蝦夷地直轄と道路行政])

この場所での交易権は松前藩の家臣に与えられ、交易・商いの実際は運上金を納めさせ商人に請負わせる方法を取
恵山町史 ([古い歴史を持つ恵山硫黄鉱山])

運上金35両、但し天明3年は願い出により運上金20両に減額された。
函館市史 通説編 第一巻 (蝦夷地経営の方針)

しかるに松前家は弱少であって広大な蝦夷地を制御することが出来ないので、場所をわけて商人に托し運上金を徴収
函館市史 通説編 第二巻 (開拓使出張所の初政)

ノ人員戸籍改、在官非官武家吉凶届其外伺願事、賑救、諸藩願伺伝達、東西諸場所往復伝達御用向、東西諸場所運上金並別段上納金
南茅部町史 上巻 (【資料】滕知文「東夷周覧」(享和元年・一八〇一))

以前松前家臣青山園右衛門給地運上金七十両寛政十二庚申年正月ヨリ御用地トナル。  
函館市史 通説編 第一巻 (問屋の機能)

此問屋が保証人となるは、各漁場の豊凶に拘はらず、課定されたる運上金を若し請負人に於て怠る時は、代って納
函館市史 通説編 第一巻 (俵物集荷状況)

南部俵物昆布買入代 500 2200 田名部・宮古・八戸 2150 田名部・宮古・八戸 (津軽) 領主へ運上金
恵山町史 ([明治・大正時代の漁業])

直接経営「商場知行制」から、やがて場所請負人(商人)の手による「場所請負制」へと移行し規模・組織(運上屋・運上金等
恵山町史 ([税の負担])

①海産税は、明治2年に場所請負人制度が廃止され、それまで請負人納付の運上金が、漁民直納となり「海産税」
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