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函館市史 通説編 第一巻
(写真撮影)
写真撮影
遠藤
又左衛門
とその従者 また、箱館の人々を驚かせたものに、黒人と写真がある。,すなわち、4月26日「二、三名の黒人どもは、店の近くに立っていて、
遠藤
(
又左衛門
)を驚かした。,と、『ペリー日本遠征日誌』に記され、写真については4月28日、「朝に
遠藤
と石塚官蔵は肖像写真をとってもらった
函館市史 通説編 第一巻
(2水兵の埋葬)
候橋舟、高龍寺下浜手に漕付け同所より上陸、山背泊火葬場へ葬送致し候に付、途中夫々警固致させ、且見届のため
遠藤
又左衛門
,この日正午ごろウイリアムズが応接所に来て、
又左衛門
に会い、「今朝葬り候場所え石塔取建て、且つ廻りえ木にて,この連絡を受けた
又左衛門
は、「故国を遠くはるかにした、若者の死に暖かい同情を示して、提督邸の丁度上の新桟橋
函館市史 通説編 第一巻
(松前藩の回答書)
これに対し
遠藤
又左衛門
、石塚官蔵が応接し、その回答書を提出した。,そして
遠藤
又左衛門
から後刻松前藩公の一族である高官、松前勘解由が提督を訪問する意向を伝えたので、アメリカ
函館市史 通説編 第一巻
(アメリカ艦隊の入港)
き候応接掛り代島剛平、蛯子次郎、稲川仁平外足軽共、橋船にて罷越し候処程なく罷帰り、左の通申達し候段、
遠藤
又左衛門
,有川詰太田脩三、種田徳右衛門、茂辺地詰近藤族、泉沢詰駒木根徳兵衛へは、
遠藤
又左衛門
、石塚官蔵より前段の
函館市史 通説編 第一巻
(ペリー提督上陸会談)
これに対し当方からは松前勘解由をはじめ
遠藤
又左衛門
、石塚官蔵その他が列席すると、ウイリアムズは書面をもって,そこで
又左衛門
は前月20日松前伊豆守から勘解由に申付られた手控書、 今般神奈川表え
函館市史 通説編 第一巻
(勘解由の米艦訪問)
勘解由の米艦訪問 松前勘解由が
遠藤
又左衛門
、石塚官蔵、関央、蛯子次郎、金田善右衛門の幕僚を従えて、アメリカ
函館市史 通説編 第一巻
(松前藩への通達)
松前藩江戸藩邸からの通報と、右の達書を受けた国元福山の驚きはひとかたならず、その応接掛として家老松前勘解由、用人
遠藤
又左衛門
以下属吏数人
函館市史 通説編 第二巻
(松前藩への幕府の達)
事実同年正月江戸藩邸にあった用人
遠藤
又衛門は、ペリー艦隊の江戸湾来航から2日後の正月18日、「弐駄早便,この
遠藤
又左衛門
の慌しい帰藩がペリー艦隊の江戸湾来航を告げるためのものであったことは想像に難くない。
函館市史 通説編 第二巻
(幕吏との会談と退帆)
そのため用人
遠藤
又左衛門
は、会談終了後ただちに井上富左右へその対応策を相談したが、実は、井上もこの日の,に平山・名村の両名を箱館に派遣してくれるよう要請するので、ペリーに江戸行を暫時見合わせるよう伝えよと
遠藤
,5月6日、ポーハタン号上で安間・平山等とペリーとの会談が行われたが、この時井上富左右と松前藩側の
遠藤
又左衛門
函館市史 通説編 第一巻
(アメリカ士官との応接)
それぞれ応接所へ案内したところ、彼らは6人の手札を差出した上、今日応対の日本側の名前を尋ねたので、用人
遠藤
又左衛門
,しかしこれに対し
又左衛門
は、いまだ江戸から何の通達もなく、かつ応接掛の幕吏も到着していないので、確たる,彼等が政庁に到着すると、奉行
遠藤
松(又)左衛門が幕僚中の主なる人物二人、即ち伊坂健蔵?と工藤茂五郎?
函館市史 通説編 第一巻
(艦隊の動静)
そこで
遠藤
又左衛門
、藤原主馬の両人が、弁天崎に至って見分していると、ここには寄らず、内澗の方に乗入れたので
函館市史 通説編 第二巻
(ペリーから知らされた条約)
ところで、その後4月23日、ミシシッピー号でペリーと家老松前勘解由・用人
遠藤
又左衛門
・町奉行石塚官蔵・,認候林大学頭様・井上対馬守様・伊沢美作守様・鵜殿民部少輔様御連名之御約定書御本紙、銅之目録箱様之物より取出し、
又左衛門
江相渡候間
函館市史 通説編 第一巻
(旗艦ポーハタン号の入港)
十五日二番入津の異船え同伴いたし、兼て御達しこれあり候浦賀表よりの御書翰一通相渡し候に付、受取罷帰り候趣、
遠藤
又左衛門
函館市史 通説編 第二巻
(ペリーの要求と松前藩の回答)
」とあるが、「ブラウン」とみられる)、広東人(中国文翻訳者)羅森の6名、日本(松前藩)側代表は、用人
遠藤
又左衛門
函館市史 通説編 第二巻
(「松前辺」から「箱館湊」へ)
また松前藩は、その応接役に家老松前勘解由、用人
遠藤
又左衛門
、町奉行石塚官蔵、箱館奉行工藤茂五郎をあて、
函館市史 別巻 亀田市編
(ペリー来航)
この突然の達しを受けた松前藩は大いに驚き、直ちに箱館へ応接掛として家老の松前勘解由、用人
遠藤
又左衛門
らを
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