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函館市史 通説編 第一巻
(アメリカ艦隊の入港)
き候応接掛り代島剛平、蛯子次郎、稲川仁平外足軽共、橋船にて罷越し候処程なく罷帰り、左の通申達し候段、
遠藤又左衛門
,有川詰太田脩三、種田徳右衛門、茂辺地詰近藤族、泉沢詰駒木根徳兵衛へは、
遠藤又左衛門
、石塚官蔵より前段の
函館市史 通説編 第一巻
(松前藩の回答書)
これに対し
遠藤又左衛門
、石塚官蔵が応接し、その回答書を提出した。,そして
遠藤又左衛門
から後刻松前藩公の一族である高官、松前勘解由が提督を訪問する意向を伝えたので、アメリカ
函館市史 通説編 第一巻
(勘解由の米艦訪問)
勘解由の米艦訪問 松前勘解由が
遠藤又左衛門
、石塚官蔵、関央、蛯子次郎、金田善右衛門の幕僚を従えて、アメリカ
函館市史 通説編 第一巻
(松前藩への通達)
松前藩江戸藩邸からの通報と、右の達書を受けた国元福山の驚きはひとかたならず、その応接掛として家老松前勘解由、用人
遠藤又左衛門
以下属吏数人
函館市史 通説編 第一巻
(写真撮影)
写真撮影
遠藤又左衛門
とその従者 また、箱館の人々を驚かせたものに、黒人と写真がある。
函館市史 通説編 第一巻
(ペリー提督上陸会談)
これに対し当方からは松前勘解由をはじめ
遠藤又左衛門
、石塚官蔵その他が列席すると、ウイリアムズは書面をもって
函館市史 通説編 第二巻
(幕吏との会談と退帆)
そのため用人
遠藤又左衛門
は、会談終了後ただちに井上富左右へその対応策を相談したが、実は、井上もこの日の,5月6日、ポーハタン号上で安間・平山等とペリーとの会談が行われたが、この時井上富左右と松前藩側の
遠藤又左衛門
函館市史 通説編 第二巻
(松前藩への幕府の達)
この
遠藤又左衛門
の慌しい帰藩がペリー艦隊の江戸湾来航を告げるためのものであったことは想像に難くない。
函館市史 通説編 第一巻
(艦隊の動静)
そこで
遠藤又左衛門
、藤原主馬の両人が、弁天崎に至って見分していると、ここには寄らず、内澗の方に乗入れたので
函館市史 通説編 第一巻
(2水兵の埋葬)
候橋舟、高龍寺下浜手に漕付け同所より上陸、山背泊火葬場へ葬送致し候に付、途中夫々警固致させ、且見届のため
遠藤又左衛門
函館市史 通説編 第一巻
(旗艦ポーハタン号の入港)
十五日二番入津の異船え同伴いたし、兼て御達しこれあり候浦賀表よりの御書翰一通相渡し候に付、受取罷帰り候趣、
遠藤又左衛門
函館市史 通説編 第二巻
(「松前辺」から「箱館湊」へ)
また松前藩は、その応接役に家老松前勘解由、用人
遠藤又左衛門
、町奉行石塚官蔵、箱館奉行工藤茂五郎をあて、
函館市史 通説編 第二巻
(ペリーの要求と松前藩の回答)
」とあるが、「ブラウン」とみられる)、広東人(中国文翻訳者)羅森の6名、日本(松前藩)側代表は、用人
遠藤又左衛門
函館市史 別巻 亀田市編
(ペリー来航)
この突然の達しを受けた松前藩は大いに驚き、直ちに箱館へ応接掛として家老の松前勘解由、用人
遠藤又左衛門
らを
函館市史 通説編 第二巻
(ペリーから知らされた条約)
ところで、その後4月23日、ミシシッピー号でペリーと家老松前勘解由・用人
遠藤又左衛門
・町奉行石塚官蔵・
函館市史 通説編 第一巻
(アメリカ士官との応接)
それぞれ応接所へ案内したところ、彼らは6人の手札を差出した上、今日応対の日本側の名前を尋ねたので、用人
遠藤又左衛門
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