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椴法華村史
(福徳丸の沈没)
沈没 昭和二十五年十一月二十九日 北海道新聞 ▲二十八日午前四時三十分ころ汐首灯台沖で山形県
酒田
市飛島中村漁業斉藤末太郎所有漁船福徳丸,十一名は、付近航行中の東京都中央区小田原町一ノ八近藤佐京所有機帆船第六盛宝丸八十五トンに救助されたが、
酒田
市中村
南茅部町史 下巻
(大正四年 函館港海運・回漕店)
電話二三八番 定航 初穂丸 新潟直行 定航 五十浦丸
酒田
,・加茂行 定航 出羽丸
酒田
・加茂行 , 鞍馬丸 江差・瀬棚行 定期 平穏丸
酒田
, 布行 第五日高丸
酒田
行, 電話六五四番 函館区東濱町二七番地 〓樋口回漕店 第八盛運丸
酒田
行
南茅部町史 下巻
(沿岸の定期航路)
同所行 第二北越丸 新潟 佐渡行 第一北越丸 同所行 幸明丸 土崎
酒田
, 本荘加茂行 太平丸
酒田
加茂行 電話二四八 ハ宮本回漕店 定期有川丸
函館市史 通説編 第二巻
(邏卒の仮設)
黒田次官は
酒田
県(旧庄内藩)士族50人を函館の邏卒とすることで、
酒田
県参事菅実秀(旧庄内藩家老)と交渉,この
酒田
県士族を函館の邏卒にという企画は、4月5日に東京出張所から
酒田
県へ念を押す形で依頼され、函館へもその,これを受けて5月11日に引率者山内久内に率いられた
酒田
県士族50人(表2-5)は鶴岡を出発、函館に向かった,
酒田
県からの51人が到着したため、5年6月4日、松平は邏卒設置について出京中の杉浦判官へ「横浜ノ振合ヲ,
酒田
県士族が函館の邏卒として市中巡邏を開始した頃、札幌本庁から邏卒派遣の要請があった。
函館市史 通説編 第一巻
(運漕業を営む)
こうして同7年和泉屋伊兵衛の手船の船頭となって奥州
酒田
に航海し、手船新造を計画して帰り、西出町に「諸国物産運漕高田屋嘉兵衛
函館市史 通説編 第一巻
(幕府の物資輸送)
越えて翌11年、幕府が東蝦夷地を直轄すると、奥州
酒田
から幕府の必需品を箱館に回漕すること2回、更に厚岸
函館市史 通説編 第一巻
(衣食住)
食糧については、元文2(1737)年に来道した坂倉源次郎が著わした『北海随筆』には、「米は津軽、秋田、
酒田
,、越後、加賀、能登より廻し、御領主は
酒田
御廻米の内にて四千五百俵買請、米にて時の相場を以て代金上納也。
函館市史 通説編 第二巻
(移入米の取引)
が中心であったが、商取引や交通の事情によるのであろうか、函館と小樽では若干その仕出地が異なり、函館は
酒田
港,が中心で、新潟、土崎などがこれに次ぎ、小樽は伏木港が中心であって、新潟、兵庫、
酒田
、境、土崎が、これに
函館市史 通説編 第一巻
(近江商人の排除)
次いで兵庫、下関、
酒田
、青森、鍬ヶ崎、岩城、平潟、浦賀、下田等にも会所を置いた。
戸井町史
((1)開拓使の主な役人)
開拓使判官従五位 岩村 通俊 土佐高知県人 明治二年 七月任 開拓使判官従五位 松本 直温 羽前
酒田
県人
函館市史 通説編 第一巻
(開墾事業)
千代田郷 いまの大野町の内で、河村新左衛門が頭取で開き、その資本は出羽国
酒田
(山形県)の富豪本間正五郎
函館市史 通説編 第二巻
(共同運輸の体制が整う)
横浜~函館~小樽~根室、横浜~函館~青森~舟川~土崎~新潟、横浜~函館~小樽~舟川~
酒田
、横浜~函館~
函館市史 通説編 第二巻
(北海道関係の航路)
このうち北海道に関係する航路は東京-函館・小樽・根室、東京-函館・鰺ヶ沢・舟川・
酒田
・新潟、函館-小樽,この他に不定期航路は、函館・江差、福山(6月より10月までの期間に月に2往復)、函館・土崎、
酒田
、新潟
戸井町史
(四、足達(あだち)家(弁才町))
戸井郵便局草創期の局長、足達惣吉は、羽後の
酒田
で代々商業を営んでいる家に生れたが、長ずるにつれて保守的
函館市史 通説編 第二巻
(商業、金融資本との分化)
ただし蔵敷業は、原則として東京の本店だけで行い、函館・小樽・根室・
酒田
・横浜・四日市・伏木・野蒜・高知
函館市史 通説編 第二巻
(函館邏卒正式発足)
函館へ
酒田
県士族を送った、黒田次官はかなり性急な気持ちになっていたようである(「開公」5506)。
函館市史 通説編 第二巻
(航路の変動)
線は神戸-四日市-横浜-荻浜-函館-小樽であり、西回り線は神戸-尾道-門司-境-伏木-直江津-新潟-
酒田
南茅部町史 下巻
(〔七重勧業所の沿革〕)
明治 8年 6月
酒田
県士族二〇四人を招請し、一四三人を札幌に六一人を大野村において夫々桑園開墾にあた
函館市史 通説編 第二巻
(麦酒)
販売先は区内を主とし盛岡、仙台、秋田、
酒田
、新潟など各地へ移出した。
恵山町史
([盛況を極める海運業])
椴法華 忠福丸 ・戸井−日浦−尻岸内−女那川−古武井−根田内−磯谷−元村−椴法華−島泊
酒田
丸
恵山町史
(2、東雲山『高岸寺』)
同年の春、山形県
酒田
より布教のため来道した大滝孝全は、訪れた尻岸内の村人の余りにも荒んだ状況を憂い、豊浦
函館市史 通説編 第二巻
(日本郵船の創業と命令航路の開始)
下関、境、敦賀、伏木、直江津、新潟、
酒田
、土崎、函館に寄港。時には寿都、江差に寄港した。
函館市史 通説編 第二巻
(北海道関係航路の重視と道庁補助航路)
横浜 同洋食付き 四日市 神戸*3 同洋食付き 小樽*4 同洋食付き 能代・土崎
酒田
函館市史 通説編 第二巻
(販売市場と経営収支)
とし、次に仙台、塩釜と新潟なり、鱒はサガレン島総高十分の六は新潟へ、その余は東京、仙台、塩釜、石巻、
酒田
函館市史 通説編 第二巻
(航路と海事習慣)
北海産業合資 【大阪】 石垣隈太郎 沢口庄助 藤野四郎兵衛 函館汽船(株) 服部半左衛門 【
酒田
恵山町史
(6、郷土と高田屋嘉兵衛)
1795年(寛政 7)<27歳>・和泉屋喜兵衛の沖船頭になり、兵庫から日本海を通り、
酒田
湊(,1796年(寛政 8)<28歳>・辰悦丸に酒・塩・木綿などを積み
酒田
に回航、ここで米を積み込,同7年、和泉屋伊兵衛の北前船の沖船頭となって、兵庫から下関を経て出羽の
酒田
に廻船し、同国、庄内で和船技術,そして、寛政8年(1796)、辰悦(しんえつ)丸の直乗(じきのり)船頭となって、酒・塩・木綿類を積み
酒田
,寛政11年(1799)、幕府が東蝦夷地を直轄した際、幕府勘定役高橋三平重賢に見出され、官命で必需品を
酒田
椴法華村史
(明治三十七年)
この時小樽から
酒田
へ向け航行中の奈古浦丸千八十屯を襲い撃沈。更に他船舶を攻撃する気配をみせる。
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