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函館市史 別巻 亀田市編
(半農半漁の村)
半農半漁の村 鍛冶村の地名に関係がある最初の文献は『新羅之記録』で、「志濃里の
鍛冶屋村
に家数百有り」,「家数百有り」とまでいわれるほど栄えていた
鍛冶屋村
も、康正二(一四五六)年以後の蝦夷との戦いによりすっかり,統一事業が進み、蝦夷地が平定され、再度和人が渡島地方の海岸部に、漁業のために居住するようになり、以前
鍛冶屋村
,とあり、明治時代の初めころに聞取られた資料なので、やや確実性に欠ける面が見られるが、鍛冶村(以前は
鍛冶屋村
函館市史 銭亀沢編
(志海苔の鉄)
『新羅之記録』が伝えるように、その当時、「志濃里の
鍛冶屋村
に家数百」もあり、その
鍛冶屋村
にアイヌの乙孩,先住民のアイヌにとって、鉄とは何であったのか、また「志濃里の
鍛冶屋村
に家数百有」とは、どんな意味があるのか,「志濃里の
鍛冶屋村
に家数百有り」の中の鍛冶工には、あるいは、先祖伝来の鍛冶技術をもとに鉄を打つ中世アイヌ
函館市史 通説編 第一巻
(コシャマインの乱)
志濃里の
鍛冶屋村
に家数百有り、康正二年春、乙孩(おっかい、アイヌの男)来て、鍛冶に,いた)るまで、東西数十日程の中に住する所の村々里々を破り、者某(しゃも、和人)を殺す事、元は志濃里の
鍛冶屋村
函館市史 銭亀沢編
(コシャマインの戦い)
中比(なかころ)内海の宇須岸(ウスケシ)夷賊に攻め破られし事、志濃里(シノリ)の
鍛冶屋村
,に迪(いた)るまで、東西数十日程の中に住する所の村々里々を破り、者某(シャモ)を殺す事、元は志濃里の
鍛冶屋村
,その発端が康正二年、志海苔の
鍛冶屋村
を舞台にして起こった鍛冶職人と乙孩(オツカイ)(アイヌ語で少年・青年
函館市史 別巻 亀田市編
(蝦夷蜂起)
蝦夷蜂起 『新羅之記録』によれば康正二(一四五六)年志苔の
鍛冶屋村
でアイヌ人が和人の鍛冶屋に小刀(マキリ
函館市史 通説編 第一巻
(アイヌ蜂起の底流)
ことに志海苔の
鍛冶屋村
などは、すでに100戸を数える和人が進出して(『新羅之記録』)、地域ぐるみ封建的支配
椴法華村史
(康正二年、長禄元年の乱)
、長禄元年の乱 『新羅之記録』によれば、康正二年(一四五六)アイヌ人乙孩(オツカイ)は、当時志及利
鍛冶屋村
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